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誰にも晩年は訪れる。本人が「晩年」と自覚しているかどうかは別にして、後世に生きる我々愛好家は作曲家の没年を知っているから、作品名を見ればそれが晩年の作品かどうかわかる。モーツアルト、シューベルト、シューマンなど死が早く訪れた作曲家は、死期を悟った作品を残しにくい。後世の愛好家はいかようにもこじつけるが、当人の自覚は薄かろう。ベートーヴェンは、本人が意識していたかどうか不明ながら、人間離れした作品が出現する。14番嬰ハ短調の弦楽四重奏曲や、大フーガで名高い変ロ長調13番の弦楽四重奏曲だ。あるいはイ短調の15番も加えていかもしれない。常人の理解を超えてしまっている。ピアノソナタの30番31番32番あたりも同様で、ある種の狂気を感じる。お叱りを覚悟で付け加えるならば、第九交響曲にもその萌芽を感じてしまっている。そしてバッハには「フーガの技法」がある。「音楽の捧げ物」や「ロ短調ミサ」など集大成を狙った巨人のような作品もその仲間だ。バッハ、ベートーヴェンとともに3大Bに数えられるブラームスの晩年は、少し勝手が違う。伝記を読めば分かるとおり、弦楽五重曲第2番を仕上げた後、ブラームスははっきりと創作力の衰えを自覚し、クララの死以降は自らの死期まで悟ったと思われる。一連のクラリネット入り室内楽、ピアノ小品、4つの厳粛な歌、オルガンのためのコラール前奏曲といったラインアップを見ると、響きや表現の簡素化を指向する傾向こそあれ、そこには狂気と名付けたくなる要素は少ない。そしてさらに死の3年前には「49のドイツ民謡集」が刊行される。枯淡の境地とはこういものなのだろうと思えてくる。特別なことは何もないシンプルさがかえって心に響く。そこではバッハやベートーヴェンの晩年の作品に感じてしまう近寄り難さを感じることは少ない。個々の作品の優劣を断じようという意図は全く無いが、私がブラームスのことを深く愛する原因の一つであることは疑えない。 イベント終了後に行われる関係者の懇親会のことだ。音楽家にとっては演奏会後の打ち上げでの語らいとビールは、大きな楽しみである。1897年1月2日ウィーンでヨアヒム四重奏団が演奏会を開いた。演奏の呼び物はブラームスの弦楽五重奏曲第2番ト長調op111だ。このころ既にブラームスは死に至る病に取り憑かれていたが、大晦日のプローベから立ち会っていた。終演後聴衆の反響は凄まじく、楽屋にいたブラームスをヨアヒムがステージに引っ張り出したという。その後、当然のごとく打ち上げになだれ込む。ブラームスとヨアヒムは大いに語り合いお開きの頃には日付が変わっていた。これが1853年5月にはじめて出会った2人の最後の対面になった。このときブラームスの命は残り3ヶ月に迫っていたからだ。何を話したのだろう。 ブラームスの第一交響曲の直前にもハ短調の室内楽が相次いで生まれている。第一交響曲と同様に「情熱」と「絶望」を内包する曲調だ。ピアノ四重奏曲第三番op60と弦楽四重奏曲第一番op51-1だ。 ウィーンフィルのコンサートマスタだったアーノルト・ロゼーによって1882年に創設された弦楽四重奏団。ウィーン最高の弦楽四重奏団の地位をへルメスベルガー四重奏団から引き継いだ形となる。ロゼーは1863年ルーマニア生まれだ。17歳でウィーン宮廷歌劇場管弦楽団のコンサートマスターに就任した。以後58年間コンサートマスターとして活躍した。もはや伝説上の人物だ。大変な実力者で、エピソードには事欠かない。クライスラーの読譜力に疑問符を投げかけたのも彼と言われている。マーラーの妹ユスティーネと結婚して授かった娘の名前は、マーラーの妻にちなむ「アルマ」だった。コンマスへの就任は1880年で、四重奏団の創設は1882年。つまりブラームスの壮年期と重なっている。弦楽四重奏曲第2番を得意としていたと伝えられるが、弦楽五重奏曲第2番を世界初演している。ブラームスの信頼は厚く、室内楽のウィーン初演を次々と担って行く。ブラームスの推薦によりウィーンに進出したドヴォルザーク作品の初演にも尽力した。 私が古くから愛読する書物のタイトル。エルネスト・ハイメランとブルーノ・アウリヒさんの共著。オリジナルは「Das Stillvergnungte Streichquartett」という。ドイツ語の本だ。私が持っているのは16版の第一刷で1975年に刊行されている。版を改めながら装丁を変えて出続けていると聞いた。アマチュア演奏家の立場から古今の弦楽四重奏を弾きこなすためのバイブル・指南書という体裁に徹している。アマチュアが弦楽四重奏を演奏するささやかなコンサートを開く前提で、それをアシストするという姿勢がほほえましい。肝心な選曲のもとになる弦楽四重奏リストでは、各々の作品がスパイスの効いたコメントとともに紹介されている。「作曲家名」「調」「難易度」「出版社」が基本情報で、一貫性があって楽しい。弦楽四重奏を中心に別の編成にも言及しているものの、二重奏が収録対象になっていないのが至極残念だ。この書物の中で、ブラームスは褒められている。「とにかくブラームスはよい弦楽のための作品がたくさんある」などなど。何だか鼻が高い。「アマチュアの指ではなかなかこなしきれるものではない」と釘を刺す一方で「ある程度以上のプレーヤーなら大変よく響くようにできている」と上々の評価。1番ハ短調は、「経験豊かなアマチュアなら十分響かせられる」とおっしゃっている。各楽章へのコメントでは、第3楽章が「大変独創的」となっているのが印象的。2番イ短調は、「1番より比較にならぬほど難しい」とされる一方「しかし大変美しい」と賛美する。フィナーレを称して「野蛮なシンコペーションに気をつけよ」とはどこまでも優しい。3番変ロ長調について、「愉快に開放されている」という。第三楽章のヴィオラの活躍が特筆されていて嬉しい。 室内楽24曲、交響曲協奏曲8曲、ピアノソナタ3曲の計35曲のうち、緩徐楽章が無いのはチェロソナタ第1番くらいだ。全34個の緩徐楽章のうちニ短調になっているケースが2回ある。弦楽六重奏曲第1番作品18と弦楽五重奏曲第2番作品111だ。 「ブラームスの辞書」では2つの音が交互に繰り返される音形をしばしば「さざなみのような」と表現している。実例は以下の通りである。見ての通り全てが伴奏のパートに現れる。さらにこのうちの3番目と4番目は1886年、1890年という具合に作曲年が近い。ソプラノ音域に置かれたさざなみの下、テナーまたはバリトンの音域で雄渾な旋律が放たれる。ダイナミクスはほぼフォルテと思われる。そしてどちらも第一楽章の冒頭つまり作品の冒頭だ。まさかと思うことがある。この作品冒頭におけるさざなみの系譜は、1892年に生まれたドヴォルザーク室内楽の最高傑作、弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」の冒頭にひそかに受け継がれているような気がする。お叱りはもとより覚悟の上でござる。