児童文学の最高傑作との呼び声も高い、はじめて読んだんですが、これは大人こそ読むべき小説だと思います。もくじ『モモ』がどんな作品かひとことで言うと、副題にもある通り、時間どろぼうと ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語です。主人公の女の子「モモ」がとある町にやってきて、そこの住人たちと友だちになり、はじめは仲良く暮らしています。ところが、ある日「時間どろぼう」である「灰色の男たち」がやってきて、住人たちの時間をうばって大ピンチに。そこでモモが仲間たちと立ち上がって、灰色の男たちと対決するというストーリーです。とは言っても、ただ単に悪者をやっつけるという単純な勧善懲悪ストーリーではありません。『モモ』の見どころは、そのこの本には、探偵小説のようなスリルと、空想科学小説的なファンタジーと、時代へのするどい風刺があふれています。そしてその全体は、ロマン主義的な純粋な詩的夢幻の世界、深くゆたかな人生の真実を告知する童話の世界の中に、すっぽりとつつみこまれています。ぼくも登場人物の子どもたちが描くファンタジックな世界観の虜になり、その一方で「人生とはなにか?」という問いについて考えさせられました。主人公のモモには、ひとつだけ特殊な能力があります。それは(一)ばかな人にもきゅうにまともな考えがうかんできます。(二)じぶんのどこにそんなものがひそんでいたかとおどろくような考えが、すうっとうかびあがってくるのです。(三)どうしてよいかわからずに思いまよっていた人は、きゅうにじぶんの意志がはっきりしてきます。(四)ひっこみじあんの人には、きゅうに目のまえがひらけ、勇気が出てきます。(五)不幸な人、なやみのある人には、希望とあかるさがわいてきます。小林良孝氏の論文それは、(一)にあてはまるのは、左官屋のニコラと安居酒屋の亭主ニノである。彼らはモモに話を聞いてもらうことによって、互いに相手を(二)と(四)にあてはまるのは、子供たちである。彼らはモモと一緒に居 るだけで、奇想天外な遊びを思いつき、ひっこみ思案な子でも、その遊びに熱 中し、見ちがえるほど勇敢に行動したのである。子供たちはモモと一緒に居る だけで、(二)と(三)にあてはまるのは、観光ガイドのジジである。彼もモモと一緒 に居るだけで、彼の空想力は天衣無縫にはばたき始め、自分のやりたいことが はっきりしてきて、あすへ向かって(五)にあてはまるのは、道路掃除夫のベッポじいさんである。彼もモモに 話を聞いてもらうことにより、道路掃除という・仕事の重要さへの信念をますま す深め、道路掃除夫であっても自分はこの世では唯⊥無二の重要な存在である という信念をますます深め、ますます喜々として自分の仕事に着実に励むよう になったのである。つまりベッポは、モモに話を蘭いてもらうことによって、しかし、これら4つの能力は、灰色の男たちの策略によって、「時間」とともに奪われてしまいます。では、この物語のテーマでもあるエンデは作中でこう語っています。時間をはかるにはカレンダーや時計がありますが、はかってみたところであまり意味はありません。というのは、だれでも知っているとおり、その時間にどんなことがあったかによって、わずか一時間でも永遠の長さに感じられることもあれば、ほんの一瞬と思えることもあるからです。「時間とは、生きるということ、そのもの」時間=生きること=人生ということは、灰色の男たちによって「時間」を奪われてしまえば、「人生」そのものを奪われてしまうということになります。言い換えると、灰色の男たちの価値観でもっとも大切なことは、もちろんそれらも重要ですが、それだけを追い求めるとどうなってしまうのかは、観光ガイドのジジが教えてくれました。灰色の男たちの作戦によって、スターに仕立て上げられたジジ。「ひとかどのものになる」という夢はかなえられたものの、次第に仕事をこなすために信念を曲げ、生きがいのない毎日になってしまいます。そこで、このひとこと。モモ、ひとつだけきみに言っておくけどね、ジジは夢をかなえられたものの、まったく幸せにはなれませんでした。灰色の男たちによって、時間とともに大事にしていた「希望する」能力を失い、自分自身に希望をもてなくなってしまったんですね。人間に時間を与えるマイスター・ホラは、灰色の男たちの正体についてこう語っています。「彼らは人間の時間をぬすんで生きている。しかしこの時間は、ほんとうの持ち主からきりはなされると、文字どおり死んでしまう。「じぶんの時間」を生きられなければ、灰色の男たちのようになってしまいます。なにについても関心がなくなり、なにをしてもおもしろくない。この無気力はそのうちに消えるどころか、すこしずつはげしくなってゆく。日ごとに、週をかさねるごとに、ひどくなる。気分はますますゆううつになり、心のなかはますますからっぽになり、じぶんにたいしても、世のなかにたいしても、不満がつのってくる。そのうちにこういう感情さえなくなって、およそなにも感じなくなってしまう。なにもかも灰色で、どうでもよくなり、世のなかはすっかりとおのいてしまって、じぶんとはなんのかかわりもないと思えてくる。怒ることもなければ、感激することもなく、よろこぶことも悲しむこともできなくなり、笑うことも泣くこともわすれてしまう。そうなると心のなかはひえきって、もう人も物もいっさい愛することができない。ここまでくると、もう病気はなおる見こみがない。あとにもどることはできないのだよ。うつろな灰色の顔をしてせかせか動きまわるばかりで、灰色の男とそっくりになってしまう。そう、こうなったらもう灰色の男そのものだよ。この病気の名前はね、致死的退屈症というのだ。「じぶんの時間」を生きるとは、自分にとって大切なものを抱えて生きるということ。ニノと二コラにとっては、子どもたちにとっては、ジジにとっては、ベッポにとっては、モモは人生におけるこの4つの重要性を教えてくれました。自分にとってほんとうに大切なものは何なのか、考えさせられます。最後に、大人だからこそぐさっと刺さる『モモ』の名言を紹介します。まずは道路掃除夫ベッポの名言。 「とっても長い道路をうけもつことがあるんだ。おっそろしく長くて、これじゃとてもやりきれない、こう思ってしまう。」終わりの見えない道を進んでいたら不安になりますよね。そんなときは、つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけを考える。そうすると楽しくなってくる。楽しくないと仕事はうまくできないんだ、というベッポさんの格言でした。観光ガイドジジの名言。空想の話ばかりしていて、「その話はほんとうか?」と疑われたときのひとこと。まあ単なる嘘つきなんですがw、こんなこと言われたら「確かにな・・・」と思っちゃいますよね。「ほんとう」とはなにか、「うそ」とはなにか、考えさせられます。ちなみにこの作品には、「『時間』を『お金』に変換し、利子が利子を生む現代の経済システムに疑問を抱かせるという側面もある」らしいんですが、個人的にあまりしっくりこなかったのでここでは触れてません(参考:とはいえ、幻想的な世界のなかで、「時間」について、「人生」について振り返る機会をくれる素敵な小説でした。小学校高学年の生徒向けの本書ですが、大人にこそ読んでもらいたい一冊です。タケダノリヒロ(大人におすすめの児童文学。たくましく生きる子どもたちに生き方を学びましょうアフリカ・ルワンダでスタディツアー&オーダーメイド旅行運営/ YouTube「ルワンダノオトTV」/ ルワンダ情報サイト「ルワンダノオト」/ブログ月15万PV/メーカー営業→青年海外協力隊→Africa Note Ltd.起業/好きな飲み物は白湯Copyright © 時間を大切にするとは、一見無駄な時間は省き省いて時間に追われることではなくて、『するとたのしくなってくる。これがだいじなんだな、たのしければ、私はいま「今」を疎かにしていないだろうか。きちんと目の前にあることに、email confirmpost date日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。©Copyright2020 モモらの活躍によって戦略は成功し、 時間がよみがえって、人々には 生気と心の余裕が戻る。 どうする? 感想文 さあ、どうでしたか? なかなか深い哲学を含んだ作品だ ということがわかりましたよね。 読書感想文などを書くなら、ぜひこの