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全663件 全663件 ロケ地探しやエキストラ手配などで製作スタッフを支援し、これまで韓国ドラマ「雪の花」をはじめ映画、CMなど計44件を受け入れた。 さらに東国原知事の就任以降、県内観光地や料理店を紹介するテレビ番組が増え、FCが対応しただけでも29件。 TEL06-6351-5790 ... ひたすら職人気質のご主人と研究熱心の奥さんの夫婦のくりなす技。「せきやんさん~~無濾過の焼酎はどう味わうの~~??」「11月1日の日記と2、3日前の食の日記よんでくださ~~い。」「無濾過の詳細が・ワ・カ・リ・マ・セ・ン・!」「明日のブログに書きましょう」焼酎の本場は鹿児島と宮崎、熊本の一部の飲食文化。微妙なる味の世界はまず基本を本場から学ぶが正しきもの。このお客さんを大事にする姿勢はカルピの味に及ばぬはずが無い。大阪一の・・日本一の心のこもったカルピ店この姿勢からせきやん選んだカルピの三ツ星店。・・・無濾過とは美味しいの?無濾過とは器械濾過をせず、冬場の寒冷期に手作業でフーゼル油をすくって除去しています。フーゼル油とは主に脂肪酸ですがこれは焼酎の旨み成分でもあります。従って除去しすぎると旨みの薄い辛い焼酎になります手作業でフーゼル油を除去するには小さな蔵の小さなタンクが最適です。ゆえに大きなタンクでまとめて製造することができない焼酎なのです。無濾過のこの焼酎が美味しいのは旨み成分が取り除かれていないからです。・・・無濾過焼酎を造るの難しいの?無濾過の焼酎は原料の芋が少しでもいたんでいたり鮮度が悪いと味にストレートに反応します。この焼酎の原料は近くの農家と栽培契約を結びすべて新鮮な朝掘り芋を使用しています。またその一つ一つを手作業でカットしていますのでいたんでる傷んでる芋を確実に除去できます。よって雑実が無く、芋本来の純粋で自然な香りと甘さを引き出すことができるのです。新鮮な芋だけを使用できる環境の蔵だけが製造できる焼酎です。 2007年12月01日コメント(0)なにかに憑かれる状態とは他者からの論評で本人にしてみれば、いたく集中してる状態。求道者に限らず何事のつけその姿勢は大事なもの。KYなどと空気が読めないなどの気使う世相のようだが、日本人のよさが失われようとしてる。何事にも純粋無垢に一生懸命が他民族にない生活の隅々に日本独特が生まれた大事な要素である。米国人で歴史好きなら遅かれ早かれ南北戦争に熱中するはアメリカ人を読み解くのも取り憑かれる状態なんであろう。日本人が「赤」の思想のハシカにかかるが如しのようである。アメリカ病はマークツゥェインをを通じてかかるのが日本人に多いらしい。スティーブン・クエインやアンブローズ・ピアスの小説は軽いほうで済むらしい。リー将軍やグラント将軍の伝記や日記を読み沈り、当時の戦法たる馬術火砲制服も調べ地図とにらめっこし戦闘の展開を洗いなおし、気に入ったモニュメントまで現地に調べに行くのは重症。わが国の防衛大臣の石破などまだお宅状態ではない。守屋事務次官に至っては憑かれたほど勉学の後はない。むしろ揺るがしてる黒幕にそれがあるのやも知れぬ。「人が馬に乗ってるのは重要な情報が含まれている。」馬の脚がポイント。前足両方上げてる・・   戦場で死んでいる。前足の片方上がっているなら   乗った主人は戦場で負傷しているひずめがみんな地上に着いているなら   戦場とか関係ない死で漏水とかである。クラント将軍は生きのび、大統領に治まったが馬の脚は4本静かに地面にある。彫像の多いヨーロッパで研究すれば早く証明されるハズローマのマルクス・アウレリウス皇帝の馬は右の足だけ上げている。・・・・ 遠征先のオーストリアで水疱瘡で58歳で死んだと伝記にあるらしい。おい!おい!・・・・キモチ・・ワリィ~~イ霊感が国を支配してる・・・日本では・・・・・皇居の楠木正成は・・・左の前足が上がっている。唱歌にもある忠君の武士は湊川の戦いで親子で自害している。キモチワリィ・・・・仙台の青葉城の伊達正宗。精悍な馬は右の前足を上げている。??人生を全うしたではないか。ナンダコリャァ~もうダビンチコードの映画状態。と・・・何かにつかれた・・・わかったことは馬の前足が力ののポイントだけ。両方があがっていると・・・・・動両方が地に付いていれば・・静片方だと・・・・・・・・・・・・・・・中間。騎馬像の本当の主役は馬を意味解きたかっただけ難かもしれない。馬トシの人は・・確かに・・トラと同じで・・・。実に強い!トイ・・心強い。!川島なおみのテレビ放映を利用すべきハシャイデるのはせきんだけ。こうなりゃ~さえこ=ダルビッシュ頼み。おばさんたる若女将さんの会の会長さんたるひとをホテル浜そうに訪ねる。美人はビジン・ビギゃン・ビガンとビジンの変化。・・・なんのコッチャ~~シャィゆえ・・テレです。「ごくろうさま。・・・」もう仕事なんぞ!ビジンの前ではどうでもいい。・・勢いでニシタチで二軒のお客さんを得る。二本しか足がないので馬の占いはできないのは憑かれてる日本人ゆえかもしれない。2007年11月30日コメント(0)昭和40年代に上京するにはカバンのそこに偲ばせる密かな飲み物があった。2合の焼酎の入ったプラッスチック製で蓋はオチョコにはや代わりする全体が丸みを帯びた優れもの器。東京には焼酎を売る店がなかったからだ。唯一宮崎県会館にのみ、このプラスチック製が置いてあったが、これが品切れ状態のときがある。さらにこの時期の移動の足は、空の航空機でなくひたすら20数時間もかけての列車移動が基本。空は偉いさんのみのステータスの出張。その長き鉄道移動の行程を癒してくれるのが焼酎のプラスチック製が最良であった。駅弁の友はお茶でなく焼酎である。お~~いお茶!などの現在のペットボトルはなく、弁当と共に売られてるお茶の透明の入れ物はプラスチック臭で飲めたもんじゃ~ないのが原因でもある。焼酎は芋製が九州南部の鹿児島、宮崎、米製が熊本と一部の飲み物であった。宮崎の北部都市・延岡での宴会はビールで乾杯。後は日本酒で焼酎はほとんど飲まない。ここが焼酎文化の北限。九州の本州への玄関下関には焼酎は売ってなかった。100パーセント日本酒。第何次かの焼酎ブームをへてどうやら落ち着いてるところは、昔からあった焼酎に嗜好が向いてるようだ。本格焼酎といわれる芋焼酎である。臭い匂いが敬遠されていたが、原点嗜好が焼酎ファンの世論の流れ。そこに繰り広げられる人生模様。昨夜泣いた。弱くなってる涙腺が堪えきれなくなって焼酎文化を峻がする人生ドラマ。なにも焼酎を介在させたり日本人だけのものでもない。米短編作家・0・ヘンリーのペーソスと人情溢れるお話にあるように人類共通のことでもある。宮崎一の達筆で美術諦観にもあり、一字が28万円の中央での書道展での無鑑査の方にラベルを書いていただいての納入をお願いして1ヶ月。幾多の努力も納入には至らない。それが今日先方のオーナーから謝罪含みと取引宣言である。「大人気なかった。取引したいので・・と深深と頭を下げられる。・・・」「あなたの誠意ある熱意に取引をしましょう・・」宮崎一の老舗の高級バーに納入することができるようになったのである。貴乃花が婦人を娶った舞台でもあり、今井美樹、布袋が出くわした場でもある。金時芋の無濾過の焼酎がこの店に置かれる。ここんとこの全国j規模で普及し、地元宮崎は遅れてる状況があったのにニチタチでの普及が大きくすすんだことになる。「焼酎のウンチク・・期待してます」ブロガーせきやんを知ってるゆへに対する最大の賛辞。地道な努力が実った日。虐め専門のうら若き隣人が交通事故なのに何らの処理もしてないこともアドバイスを協力に指導したお人よしも神が見ていたんであろう。お昼は同僚の女性の暖かい焼きそばの絶品の味のプレゼント。霧島焼酎の金キリシマは冬草夏虫が入った健康焼酎で入手が困難。ネット販売でのみ手にはいる。その原料を韓国の大学から橋渡しで入手、大商社員よろしく国際貢献に尽くした人はいま福岡で病用静養中。貧困の中から何百回渡朝したものかせきやんのみ知る真実。大学当局、韓国当局。鹿児島防疫所、幾多の困難があった。その方から電話で秘話の会話。「雑巾がけ、便所掃除、一から人生修行中です~~。」「よう~~やっちょるな~~」温かき言葉をいただく。「「こいつは朝から縁起がイイワイ~」夜の成果に結びついたんであるのもご利益があったんであろう。ひたすら耐えた自己教育の成果。一人悦に入っている。教育機関でさえ文化継承がわかってきたようである。こだわりの1品 日南農林高生が焼酎造りの報道がある。 南郷町・日南農林高(岩下英樹校長、333人)の生徒たちが焼酎造りに取り組んでいる。原料栽培からラベルデザインまで、全工程に生徒がかかわり、3月に完成予定。生徒たちは「多くの人に飲まれる焼酎を造りたい」と意気込んでいる。 取り組んでいるのは、生物工学科食品製造班の11人。県南で盛んな焼酎造りを体験して地場産業に対する理解を深めようと、課題研究の一環で実施。北郷町郷之原甲の櫻の郷醸造(寺田徳男代表社員)に協力を依頼した。 製造するのは芋焼酎。原料は、校内の畑で無農薬栽培したコガネセンガンとムラサキマサリの2品種を使う。先月末aに1.5トンを収穫。授業や休日を利用して細かく切り刻み、仕込み用として同社に持ち込んだ。・・・・・記事の続報が待たれる。飲みすぎできついが期待にこたえたい。阿蘇の湧水を求めて184年文政4年からの伝統の焼酎。金時芋無濾過焼酎・蔵乃介がおいしいわけ焼酎造りで大事なのが蒸留法、麹、水、です。蒸留法は味や風味個性に大きく影響します。1蒸留方法と貯蔵方法こそが味を決める。酎焼は単式蒸留方法で造られます。蒸留方法は昔から伝わる常圧蒸留と70年代中ごろから始まった減圧蒸留の二通りがありますア、常圧蒸留で造られてます常圧蒸留はもろみを100度C近い温度に沸騰するため焦げ臭や雑味のもとになるフーゼル油などの微量成分も抽出される。これが濃厚で深みや億生きのある味を生み出す一方強いクセのもとになる。減圧蒸留は蒸留器の内の気圧を10分の一程度まで減圧することでもろみの温度を40~50度ほどの低圧に保ったままで蒸留することができる焦げ臭などの酸味を抑えることができ、まろやかで飲みやすい焼酎ができる。蒸留法を変えることで原料、麹、水などが同じでも全く違った味と風う身の焼酎が出来上がる。  ※もろみ=主原料に麹と水をあわせて仕込み発酵させたものイ、貯蔵方法貯蔵方法も味を大きく左右します焼酎の貯蔵醸成期間はほぼ1~3ヶ月で、3年以上を長期醸成酒、泡盛を古酒と呼びます。熟成でまろやかな味は増しますが長く醸成させればいい訳ではありません。1ヶ月の醸成でも見事な風味になります。焼酎の個性で醸成期間も変わってきます。醸成期間が長ければよいというわけではありません。文政4年創業の醸造元は甕貯蔵、樽貯蔵方法の施設を保有しています。焼酎は樽の木の香が移ることや甕の味の変化に応じやすい焼酎の貯蔵方法を熟知しています、金時芋の風味を伝えることに鑑み、ステンレスホーローのタンク貯蔵で容器の臭いが移ることを避けました。184年も続いてる経験則から近代的貯蔵で原料の味を伝えることにしました。2水と麹が決め手ア水名水地域に銘酒ありとの諺があります。いい焼酎は銘酒の蔵元の位置を調べるが早いようです。焼酎の水へのこだわりは日本酒以上ともいえます。九州の名峰阿蘇山は百年近くを経て遠く熊本市内の水前寺公園等にも湧水として水の恩恵を与えています。創業文政4年の蔵元は名水を求めて創業し、阿蘇の湧水を使って仕上げられています。仕込み水、割水にこだわっています。イ麹焼酎造りに使われる麹は主に三つあります。黄麹白麹黒麹麹菌の胞子の色から分けられています。麹によって出来上がる焼酎に色がついたりすることはありません。明治期までは黄麹で造られていました。3原料で違う味と個性芋焼酎第一次焼酎ブームの時には強い臭いとクセが敬遠され愛好者は限られていましたが、いました。その後の本物嗜好から、味や風味も改善され今やトップランナーに大変身。特に蔵乃介は契約農家が栽培した減農薬の金時芋を厳選して高品質の製品に仕上たのが人気の秘密。これまで喜ばれていた黄金千貫を原料とする焼酎の愛好者が蔵乃介に変えられています。蔵乃介には金時芋の特性を生かした濾過、無濾過、原酒と味わいの深い焼酎が取り揃えられております。その他の焼酎麦焼酎は生産消費と全体の半分以上を占めています。減圧蒸留という蒸留方法が導入されクセの無い爽やかさ口当たりがヒットした要因でしょうか。そば焼酎は1970年代の半ば過ぎから販売が始まりました比較的新しい焼酎です。米焼酎は主食が米の国の最も馴染みやすい焼酎かも知れません。食の安全はミートホープじけrんからオ伊勢産の赤福、漫画老い新保でさえ取り上げられるほどです。契約農家の減農薬の金と奇異もに厳選して使用して2007年11月29日コメント(0)国権の最高機関は国会にある。国政調査権はバッジ族の名刀正宗であり、青竜刀。国内外の国家利益を守るため切れ味よろしくなければならぬ。上段に構えてるだけでは、舞川雷蔵の円月殺法の舞台の幕は上がらず石早乙女モンドも市川歌右衛門の天下御免の向こう傷も出番がない。守屋証言の政治家の名は旧田中派の流れを汲む金丸小沢に引き継がれ今は隙を見て久間、額賀が中心で、権力のうまみを存分に甘受している。沖縄米軍基地のグアム移転の様相が明らかになりつつある。米人8000人と家族9000人計1万7千人の集団移転はかって過疎化の西都市三財の寒川16世帯の移転どころではない。総予算は102,7億ドル=1兆2300億円。日本側の負担は7300億円。現地グアムも含め企業を集め8月説明会を実施している。民主党の浅尾参議院議員が国会で追求した。3500戸のコストは驚くべき金額ではないのか。久間初代防衛庁大臣は調査すると答えたままでその後進展していない。、1戸8000万。グアム米軍予算は2000万円。4倍である。ニュースでプレハブ状の建物が出てくるハズだがが日本国民の税金を支出されて建てられたこれが一戸8000万円なりの建物である。ブログの皆さんに問いたいが土地を除く一戸建て8000万円なりの建物を目にされたことがありますか。これが駐留移転利権の一部といわれてる沖縄基地グアム移転の実情である。岩国基地にその一部の戦闘機などが移転する。市民生活にどれほどの影響があるのか考えたことはあるのか。宮崎は新田原空軍基地にやってくる。いいな~補助金もらえて。では問わん!戦闘機が飛び交う空の下の耳を劈く騒音の下に何分絶えられますか。?飛ぶたびに会話は中断。子らの授業、発育にどれだけの悪影響を与えているか。ニワトリや牛などでさえ、慣らされ地響きする騒音に耐えている。学術機関に問いたい。何故地道な研究成果がないのかを。岩国市には移転の迷惑補助金は来てない。周辺自治体には交付されてるのに陰湿なる国の本性。普天間基地の空中給油機の岩国受け入れの代償であるそれどころか議員を扇動して4度目の補正予算案の否決で市長や市当局の日常にストップをかけている。市長攻撃派議員もどうであろう。本来国の兵糧攻めを批判すべきなのに本末転倒。予算執行否決は08年度の予算編成の困難であり支出の停止は、市民生活への影響が出てくる。政治的混乱を意図したもの。、岩国市は国の卑劣な仕打ちに屈せず憲法、地方自治を掲げ12月1日シンボル・錦帯橋の下河原に1万人集会を対峙する。普天間基地の基地移転のグアム、国内外のうごきはこのようなもの。があるこれに対して特捜部八木宏幸部長。「今回の事件は日米の政界疑獄に発展する。」CX用エンジン納入のGEが入札停止処分テロへの協力軍事利権への変化が起きることが予想される。大統領選にも影響しよう。日本は何故、米国を陥れようとの謀略戦を仕掛けたのか。米国政治家を震撼させただけでなく、ソ連中国を注目させている。文字通り今日28日は日本の運命を決めた日の謀略の日昭和18年11月28日テヘラン会談に連合国があつまり、ソ連参戦を論議した。サルコジフランス大統領は来年ポストに着くEU代表もかね中国にくる。武器輸出解禁が最大のテーマとなろう。保たれてる軍事バランスが崩れる。新米のサルコジの意図が注目されている。日本高官が米国高官を工作した。逆ロッキードである。ジェームズ・アワー米国国防総省本部長アミテージ国務副長官は小沢一郎とは家族ぐるみの付き合いとも言われている。封印されてきた利権が一挙に噴出してきた。安全保障議員協議会の事務局長秋山直樹の証言次第となろうが喚問は実現していない。CX用エンジンは1000億円規模テロ特措法が延長国会でえ期末を迎え緊迫している。インド洋、クウェート、イラクでの自衛隊員の死者は35名いる。「一発の銃弾も撃たず、一人の死者もださず、りっぱににんむをやりとげた。」小泉の訓示だが、自衛隊の秘密主義は給油回数や日誌のあったり、消えたりでデタラメであることはこの国会で明らかにされた。文民統制なんぞは実態的にあったモンじゃァないことが明らかになった。防衛庁の頃で防衛省に昇格以前でさえないがしろにされてきた管理監視機構。防衛省は死亡者は3人としているが、殉職隊員追悼式では死亡隊員14人。その後死者は35人、うち自殺者は16人と発表。原因を照屋社民議員が聞いている。「ストレス、虐め原因はいろいろあるが、間接的に無辜(むこ)のイラク市民を殺している。良心の葛藤にさいまなされ隊員もいるのではないのか。追求研究が必要。医療などの非軍事部門の人道支援にこそ取り組むべきではないのか。」昨夜の選曲で井上陽水の♪傘がない~行かなくっちゃ~~と青春を絶叫したのがいけなかったのか。或いは異様なこの時期の台風の余波なのか久しぶりの傘無しでいい程度の朝のパラリの雨。夕方も同じ。降ってはいないのは路面さえ濡れていない。が久しぶり青空がない。宮崎市千草町にaquadrop・cafeがある。CAFE=coffeeの直感のイマジネーションと紹介雑誌の写真の違和感。さっそく訪ねる。おそらく唯一の貴重酒・金時芋無濾過焼酎を置ける店。・・・洋酒のみの店内一杯の熱帯魚水槽のある特異なるお店である。お客さん自体が水槽のコンセプトがいい。でも二種のピンク・マリンブルーと挑戦中の未発売新酒が一番あうことを直感での紹介に急変さす。売り出し前の商品説目デモとはナンタル矛盾横着さ。すべてに雑巾かけを修行中。常に柔軟が営業の基本。お客さんは神様以上に偉いんである。マスコミ力にはだれしも魅力を感ずるその潜在力に脱帽。川島なお美が来週頭テレビ撮影収録でこの店に来るらしい。「未発売で困難!」を直ぐに訂正。「掛け合って・・お持ちいたします。」営業修行は辛い。素人営業もいい場合もあり、みすかされたのか飾り付け中の植木職人さん。島原のSAMURAIの居酒屋に貴重酒・金時芋無濾過焼酎を届けられるよう依頼される。これだから有難い。誠心誠意は伝わり、メッキははげるは当たり前、商道の極意あきずにやるのが商い。なんである。引退した飯島愛は「ウチ来る?」のテレビの残像があるのでわかるんだが、川島なお美の名前だけは記憶にあるが残像が出てこない。かえって上司に聞くとすぐさま間違った印象を訂正。新聞記事の遅めの春で婚約記事が目の残像にあったのだ。なあぁ~んだ!川島なお美・・ナンダ!やっと理解。渋谷・恵比寿と六本木のパティスリー「トシ・ヨロイズカ」連日長蛇の列のお客さんで繁盛してる鎧塚俊彦(42)の店。元祖女子大生タレント川島なお美も47歳。「私は熟されたワイン」11月15日ボジョレーの解禁フィバーに沸き女史の出番である。ワインの帝王はロバート・バーカー(60)田崎真也も川島なお美も目ではない。自らの鼻に100マンドルの保険で話題を欠かさず、毎年出すワインのガイドブックスは世界各国のベストセラー。「バーカーの銅像をボルドー広場に立てたい」の話は絶えない。評価によってワイン価格は値動きしてしまうほどの影響力がある。ワインを100点満点で評価するパーカーポイントは従来の評価に捕らえられない独立独歩の姿勢を貫く。「ワインはキリストの血」の文化圏のヨーロッパ諸国、米英ゆえ、たかが酒のお話にとどまらない。夏場の天候不順の今年のヌーボーも「フレッシュ∩フルーティー」が例年より発揮されていない。日本の輸入量も2割減。「ロバート・バーカーの神話の崩壊」なる著作がもと部下のアンナ・アゴスティーニ嬢が刊行。暴露本ゆえ内容は辛らつ。恋多き女とバツイチ世界的評価の料理人。95年スイス、フランスベルギーで8年間修行。00年パリ国際菓子博で優勝。三ツ星レストランでシェフ・パテッシエを勤めてきた世界的に評価が高い。川島なお美の恋のお相手の貞方那介39)仏通訳フローラン・ダバチィー大物作家、プロゴルファー華やかなる経験は庶民からは到底理解できるものではない。造られた報道もあろう。マスコミ人を利用せぬ手はない。社会制度を思い知らされている。あげそこ幻想社会の底辺思考である。はなばなしき守屋問題はまだ米国には飛び火していない。きょうの逮捕がありえよう。CIAの揉み消しである。海外記者クラブの利用がないゆえ見えてくる。これをきに新酒焼酎を映像に写せないか急激なる膨らみ思考。政治の裏の謀略に似たるもの。バッサリと名刀の切れ味の如き成功が出来ぬものか。名刀を数々生み出した井上真改を生んだ宮崎でもある。2007年11月28日コメント(0)[マリア・アメリア・ロペス」のブログには世界中から6万のアクセスがあるという。スペインの女性ブログである。ここまでは誰??半端ではない。スペイン首相のサバテロさえ祝福を寄せ同世代人にブログを始めるように進めたという。???書いている以上はやはり読んで貰いたい物がどこかにあるのかもしれない。カウンターの回転が目にはいる。それにしても管理が大変であろう。カキコに感動してる暇はない。最初の書き出しはこうであった。  ・・・「きょうは私の誕生日。孫が私にブログをおしえてくれたのよ。」???おい!おい!なんかおかしいジャン!ブラジル、ロシヤ日本からと14歳からの人生相談もあるらしい。スペイン内戦のフランコ時代の頃から・・??・・・???何ちゅブログや!・・??・・・過去の男のこと。ええっ!「昔の男はよかったわ~花束やチョコレートをくれたもの・」「イマドキの下品で口汚い連中とは違うのね」そん中そこいらの若者にかける発言、文章ではない。誰だ思わせぶりの書き出しで引っ張るの。もぅ~わかったので聞こうじゃん!覚悟はできた。・・・・・なんと95歳の方が書き手である。この状況ではあなたよりもっと長生きするかもしれない。あやかりたければアクセスすればいい。スペイン語わかるの。??」確か・・・第二語学でとってるはずだが。流石に午前様にはアルコール分解度のいささか低い体質ゆえ朦朧としている。どこでもいつでも一生懸命は決して喜ばしきことではない。人格を疑われるが如きはいいとして、社会的統一的常識破壊者とさえ見られかねない慄然たる「いいこの国民」作りが仕上げられている。飲んだときぐらいハチャメチャでいいではないか。それが活字メディアのインタネットが被う知性の劣化現象の再世論の形成ともなれは、不気味さでは済まされない。サイバー攻撃的に死ね死ネ死ね!の連続くの書き込みではたまらない。それでも書きつづけておられるかたからのアクセスがあった。「ダカーポ」が休刊と成る。社会をおおう思想統一の風潮にマガジンハウス社営業もやむエヌ自体に鳴ったんであろう。噂の真相の後の月刊誌、雑誌の論調の統一さえ図書館の雑誌で感じる。神田・神保町の入手困難書取り扱いの「書籍アクセス」の今月での閉店がその象徴。高学歴ワークプアー26万人にもなるそうだが道草は人を鍛え造るでなく思想の貧困化に成ってるようだ活字離れは携帯、ネットで埋め合わせられたが知性の劣化が思想の再統一になっている状況を感じる。井上揚水を何十年ぶりに♪・・都会では~♪自殺する・・若者が~~♪カラオケで歌い流行の歌の世相でさえ感じるものがあった。。どうにも飲みすぎたか。不覚!2007年11月27日コメント(0)気仙沼の漁民がカキ生息をめぐり、遠き山に漁民の植林が実施される。川を通じて落ち葉から染み出した豊富な栄養の水と海水が混ざるところにプランクトンが発生しカキが豊富に生息する。自然の恵みは自然体系がもたらしている証左である。日向高鍋カキは小丸川河口にに生息する。日向灘の荒海のみの自然の恵みだけではないのである。小丸はおまるの便器に通ずる。バキュームカーは川崎市が発明し廃棄船をもたぬため砂浜に投棄していた。土の中長い間で土に返る。総量が限界を超え処理法は破壊した。赤潮、アオコの発生は人災である。ミクロキスチィスは植物プランクトンで青い粉になる。光合成は表面のみで水の下のほうでは酸欠で光合成がないので貧酸素水。シジミ、貝などの死滅、赤潮でえら呼吸ができず窒息死。浄化できなかったものはぬけて海に出る一度荒れた状態になったらそのまま。諫早有明に下水場から処理水が流れこむ。ノリ養殖で酸素が減る。対策はは浄化槽を家庭で造る。生物的高次処理を併設する。公共的高次処理施設は費用が高いため30箇所しかない。施設が完備しても、カドニュム、水銀六課クロムなどの重金属は海洋に出る。他にもトリハロメタン、ダイオキシン、農薬有機塩素系化合物、環境ホルモン、油、塩素消毒もそうである。今も海に流れ内湾は有機汚染状態。ただまだ人間が生きる環境にはある。海が汚れたら陸はない。いまは砂漠化、温暖化の方が優先されている。ウンコは肥料と使用されていた。農家の幼子は一生懸命に田畑に撒いた。水田とウンコは共存していた世界に例のない瑞穂の国の循環型生活スタイルであった。下水処理の役割もあった水田稲作農業。水田の基本の土・。好気層と嫌気層。表面積が広く空気中から酸素を取り入れ浄化、水は土中に浸透させた。洪水対策でもあった。川堤防の役割である。水の調整保水の役目があったのである。水田は食料生産基地だけでない。多機能を持っていたのである。ルイ14世紀のベルサイユに象徴される静養の汚物処理の未成熟はお恥ずかしい。パリロンドンでも部屋の小丸で済ました後は二階、三階から下に投げた。掛け声をして投げるのがマナー。なにがマナーなのか本性がわからぬ「なんのこっちゃ~マナー。」所詮マナー常識なぞ存外そんなもの。時代の所産にすぎぬ。これでハイヒールが発明されたのはベルサイユというのもシタリ顔で頷ける。噴水があれほど立派なのに西洋人の無頓着には驚く。コレラで国民の大多数が死んでいく歴史を何度となく繰り返す意味がウンコ処理ににあったことがここに意味解かれる。江戸都市環境の清潔に驚いた幕末に渡来した西洋人。便所の生活文化発達がオシッコ・ウンコを分けた。窒素分がほとんどで作物ごとに分けて利用した農業。自然循環を見事に体系化してた農業。小2~3の頃分校の授業では柄杓で便層から樽に汲み取り、山上にある校畑にウンコ群の液体物=ダルを運んだ。二人で担ぐ訳だが真中に樽=タンゴ、臭くて後ろにつくほうが大変。作業をさせるだけで、作物への必要なこと、食の大事さが解かれないないので苦だけが残り、楽しくはない。体ごと教え知らされたウンコとのイヤイヤながらの共存の生活。文明の人類の発達史のインダス・モヘンジョ・ダロにも見られぬウンコの処理。ただひたすら捨てる、見えないところに排除するワザ。あの地下排水施設は衛生思想のコレラ対策ではなく、雨水の下水処理に過ぎなかったのである。日本の鎌倉時代には便所は存在していた。残されてる風景図にも厠は描かれている。」それどころか回虫は縄文遺跡さえ、さかのぼれる。作物とウンコ処理がされていたことを示している。貴族はオマルに済ました。小丸は重宝がられた。呪力のあるウンコゆえの名残が残る。不浄は鬼、魔物も嫌うゆえ、子供を守るため幼名とした。牛若・・「丸」とか「麻呂」とかしたのである。田に撒かれたウンコの栄養素が無学で説明できぬが稲尾として結実してることを農民は知って、信じていたので稲穂を黄金色と呼んでいる。朝の行事たる水洗トイレでウンコノ流れるを考えるもいいが流されるための補助役の水。ウンコの倍の水体積容量が流れ去っていっていよう。さらにウオーシュレットが拍車をかける。以前より余計に使う状況にあろう。顔を洗うとき出しっぱなしで洗う傲慢なる生活の水の無駄使い。12月3日から世界水サミットが大分県別府で開催される。水田、湖水、池がなくなり水辺植物が毎日消滅していっている。湖水を見ると浄化効果を見ることができる。樹木、アシ、ホテイアオイと水の浄化の植物群があり、エコトーンとよぶ。開発との戦いに生き残った貴重なる風景でいとおしい。この長き雑文~~こりゃぁ~~きっと悪質便秘だなぁ~~ウンコの話ゆえ水に流してください!・・・・・ください  ザブトン・・・2007年11月26日コメント(0)11月26日の今日の花はサフラン。花言葉は「愛への誘い」アヤメ科なんだが葉っぱが棕櫚の木の葉如く硬い。チョッと薄く紫色に10月頃から咲く。紫の中から白い花弁が薬用などのサフランとなる。」インド店で米が黄色い場合があるがサフラン仕上げのご飯である。紀元前16世紀ギリシャ・アテネで使用されてたようで、実に古い。婦人薬サフランでもある。1975年昭和50年きょうから8日間公労協のスト権スト。日本の大動脈が止まった。全国公務員も一日のスト。国体道路・一つ葉有料道路をバスで始めて走った高揚していた時期。早朝からびろうなお話で恐縮している。健康のお話でも気を使わねばならない世相のようでマナーとしてお許しがいるようであるから儀礼的ではある。女性にあった職場ゆえ、老醜で匂いを発してるようで朝昼と老醜用スプレーをかけるが紫外線破壊のフロンガスではないようではある。、ウンコはオシリまで洗ってくれるので洋式だがどうにも異物に座るのは生理的納得はしていない。ましてや、ウンコ健康法を生き抜く健康のバロメーターにしてるので紙を浮べその上にする。黄色くスト~~ンとバナナのごときが最高の体調。職場環境で精神的に追い詰められてるこのごろは灰色薄緑で色が悪く体調不良の危険なシグナルを示している。よって改善を訴えてるが如何ともしがたい。ウンコは黄色いやや硬めが最良で食事療法的には豆、葉っぱ類の取得を体が訴えている。有田正光は鹿児島の人で25年生で電機大建設工学科教授「トイレで語る環境論理」を上辞予定であったが娘も反対する中でも編集者の売れるホントするため「ウンコに学べ」筑摩選書とした。その本を元にたけしとの対談紙面があった。来月3日から世界水サミットが大分別府で開催されるが参加されるのであろうか。テレビではウンkネタは差別用語で使えぬらしい。落語でこのような高座を持ったらどうだろう。歩いているとウンコに似たものが落ちている。踏むと大変なので確かめようとする。「落ちてるところに近寄ると、どうもウンコである。」「顔を近づけるとウンコである。」「臭いをかいで見るやはりウンコだ。」「指でつついてみるとどうにもウンコである」。「舐めてみて本当にウンコであることがわかった。」「ああよかった踏まなくて。」禁酒番屋のションベンでエバル武士に庶民魂の意地を示すジャンルのナンセンス・与太郎話。円鏡=円蔵や兄さんの林家三平で演ずれば聴けなくもない。円楽がガン手術を終え退院したよかったですね。ところが離婚話の衝撃が走る。その帝国ホテルでの悲しくない演出の金の屏風を背にマスコミを楽しませた。異様なる時間。落語界のリーダー春風亭小朝(51)と婦人泰葉(46)の会見である。この会見と架けまして私泰葉と解きます・・怖さしらず=小朝しらずのギャグを飛ばす妻たる泰葉。峰竜太婦人の姉たる美どりとは仲が悪いに引く会場。写真では隅で涙ぐんでる現正蔵と一平が印象的。正蔵(44)はこぶ平がその芸風の違いを超え小朝の努力もあり無事襲名した。一平(36)は来春三平を継ぐ。師匠三平から託された二人の道は見届けた。林家一門安泰である。海老名家に尽くしきった小朝師匠の粋やよし。林家正蔵=彦六の弟子は春風亭柳朝。その弟子が春風亭小朝。小さいとき両親の離婚で父と共に父の母のもとで育った苦労人の人。父親は小さいときから小朝の高座を見守るだけ。誰もこの落語の寵児を助け得ない。NHK横丁の若様のフレーズの時には苦労を微塵もみせず大物ぶりが凝縮され、ひときわ目立った。いずれ小朝時代の到来は落語ファン誰も信じて疑わなかった。88年林家の次女との結婚。「ハハ~ン大名跡のお膳立て・・」結婚のとき誰しも思ったことであろう。19年を経た。小朝連続続30日は銀座博品館で田舎から上京、二日立ち会った。入場のしおりは実際の押し花が表紙明けを飾ってた上品なもの。声枯れが可哀想であった。日暮里の三平堂の第一号入館者は何を隠そうこのせきやんである。あの嫌いな芸風が努力の人三平の笑いであったのをみて、泣いた。二階に上がるところにこの開館の前日閉館したサトハチローの等身大のポスター今年2月久しぶりの来館でそれがないので気づいた。ここ三平堂は一軒の独立家であった。海老名家は広大なる屋敷で前庭はすこぶる広く欅などが茂っていた。屋敷が処分されこじんまりな海老名家となっていた。落語の話なのにオチさえない。林家は悲しい家。オット!ウンコの話。毎朝御用を足すのにご丁寧な方は一日二回も身近なるものなのにどうにも体内から離れると嫌われ居場所がない。体内から離れた瞬間もう嫌われている。一気に水に流されうが行く末までは考えもしない。ウンコは海洋投棄で処理されていた。それも07年2月までである。焼酎のカスも今年つい先月の完全禁止前までやっていた。「その男凶暴につき」の映画のワンシーン。千住橋より石を船に向かって投げるシーン糞尿を海洋投棄するための専用船である。捨てられたウンコをプランクトンが分解魚が寄ってきてプランクトンを食べる魚を狩猟し食する人間さま。基本的単純なる食物連鎖のサイクル社会が存在していた。ウンコは有機物の塊。二つの細菌が自然の分解でつく。好気性細菌は酸素がいる。嫌気性細菌は酸素を使わない。発酵腐敗するのはこれである。嫌なにおいはバクテリアがウンコを分解する後の有機物がなくなるとバクテリア同士が食い合うそのときの臭いがあのいやな匂いである。完全に分解する三ヶ月もすると匂わなくなる。事例をみることができる。どこか。過酷な野クソ環境をみることができる。釣りで磯の岩場を見たときにビックリしたことがある。釣り糸の辛味は別として野クソのあちこちには農家育ちのせきやんも流石に閉口した。風化が早い場所とはゆえ、壮絶なるもの。海に放り込めば魚の餌になるのにモラルはない。なにが太公望などと風流人を気取ってる場合かと憤った次第。東京湾は干潟を埋め尽くし干潟の環境浄化能力が無くなって来た。残りは1割程度。その盤州干拓保存運動がそこを埋め立て下水処理場建設反対となっている。数十万人分の下水処理能力がある干潟に同じ規模の人口施設建設の論理。朝の流した後の家庭排水の行き先である下水場の施設はこうである。浄化の前にまずゴミ取り。バクテリアに食べさせる空気活性化で空気を送り込む。攪拌。バクテリアの処理の速度は速いバクテリアはゼラチン状の塊となる。活性汚泥である。沈殿する水分と分離する。汚泥に変化させ回収焼き固めレンガにしてるところもある。処理される過程が自然の摂理応用した科学にもとづいた水理学流体力学の公共事業との接点での貢献もあり、、堤防環境が整った。汚染浄化に進化させ生物的知識が必要となる。土木建設応用できる学問を作り上げつつある段階。宮崎のメインストリート橘通りは人影も少ないが12月からタバコの喫飲、ゴミのポイ捨て2000円の罰金である。農業振興区域の田んぼを潰してイオンに毎日数万人が押しかけるが市街地には人はいない。なにも知らない観光客のみが取り締まられよう。観光の古き伝統にそぐわぬ笑止の愚策。さらに車両渋滞を招く橘通りの一車線減での公園化案と同様である。全国初のコミュニティ税金導入も迫ってこよう。津村市政も驕りが出てきたが後釜に市長の選挙戦を戦った戸敷を再度擁立しようとニシタチ飲食組合が動いている。今日の地元紙のニュースで仕事仲間だった三谷美徳(61)の研究が公表されている。紀元2600年の昭和15年を前に日本の故郷、天孫降臨の地に誘わんとのパンフレット。黒木知事=岩切章太郎以前から観光政策はあったわけである。神の使わせたそのまんま知事効果で全国初であろう県庁が観光スポットとなっている。30万都市になり県と同じ施工力のある宮崎市の驕りが出てるようで公園化に東国原知事はGO!サインを出していない。長友テイゾー市長と県知事が不仲で市政の停滞が会った時期に立ち戻らなければよいがどうしたものか。宮崎には政治的暗部が横たわっている。江藤VS黒木の怨念の対立である。せっかく江藤隆美VS黒木博知事=知事の娘婿上杉光弘の構図が江藤隆美の客死で安心してる矢先である。ゴミポイ捨ては環境倫理から説くしかない。文系的哲学が絡む。土木的には衛生工学といわれる分野。宮崎の中心たる中央郵便局うらあたりでさえ、ほんの先年水洗化されたばかり。東京の足立区内もトイレは汲み取りが数年前まで主流であった。中国北京オリンピックが360日を割ったがトイレ問題はなんら解決していない。汲み取りの時には「いただきます」といって汲み取り人が作業をして大根など、代金代わりをおいていったらしい。「化学肥料の時代が早くくればいい。」が幼きものの率直な気持ち。お金で買うのでキンピ=金肥言葉のキンピはヨチヨチ歩きの頃から知っていたが「金肥」を知ったときのナルホド度。子供の知恵では肥溜めの重要性は理解できるはずがない。ある程度の科学知識が無いとわからない。ウンコはリンや窒素栄養塩に分解される。植物はそれで育っている。いまは偏差値のみで若い人々の日常が成立して食物の主要物にウンコがあることさえ知らぬ。食さえまともにとっていないインスタント世代。まともな精子や卵子が体内にあるんであろうか。切れる世代がわからずでもない。メコン川の料理店が魚がメイン。急にもよおして来たので店主にトイレを聞くと裏にあるという。裏には魚の泳いでる小さき池=肥溜めに二本の板が架けてあるだけ。ポッチョン便所である。覗くと売り物の魚が泳いでいた。「先ほど名物料理として食したばかりの生き作りがなに知らぬ顔で泳いでいる。・・」石垣島でのたけしの総領弟子のそのまんま東の逸話。ダンカンと海にもぐる。ウンコをしたそのまんま東の後に群がる熱帯魚。食べ始めた。綺麗なのか臭いのかわからぬ状態のそのまんま式観光まき餌。よもやお忘れ、記憶にないではありますまいな、東国原知事さ~~ん。2007年11月26日コメント(0)ロシア文学が難解なのは氏名やあだ名の呼び方の長き名に理由の一つがある。男か女か年齢さえ判断がつきがたい。翻訳者があまりにも言語に忠実すぎるのも一つであろう。親しんだロシア文学の訳者は大体、米川正夫、原卓也、江川卓の面々ではなかったか。外国語大学長がロシアのホテルに自ら缶詰めに律して完訳に挑んだ。歯をボロボロにするほどの追い詰めたる状況で読みやすく仕上げた。亀山郁夫の情熱はロシアの歴史を見据える姿勢にある。2千万のロシア人が第二次大戦で戦死した。スターリン時代の粛清で300万人が強制労働で2千万がラーゲリ送り。この悲しき政治、自然気候の中で生きるロシア人愛があったればこそ仕上がった。亀山世代はゴルバチョフを信頼し、それが崩壊していく無貨幣社会的な社会環境のロシア人をいとおしんだ。。ロシア人の顔はお金でゆがんできた。プーチンのロシアに目をつぶり、なにもの興味も同情も湧かないそうだ。その亀山郁夫翻訳の「カラマーゾフ兄弟」光文社版が50万部を完売してる。光文社が最初に企画を持ちかけてきた。平凡社からその後にオファーが会ったが最初に義理立てした実直さ。西武入りの石井みたいで、売れ行きも含め日本人も捨てたモンじゃ~ない。「カラマーゾフ兄弟」のテーマは人間の傲慢さにある。浣読する秘訣は第二部をサラリ、或いは飛ばすことにある。資本論を第一巻の剰余価値をやらず、第三巻から読めば理解できるようなもの。第二部の大審問官、、ゾシマ長老を飛ばすことにある。国家と神と人間の真のテーマをしり、この読み物語が裏で告げてるメッセージのことさえ読み解ける。すべての性的可能性を失ってる去勢派は純粋無垢な肉体という過激な思想の勢力が、いつかは力を握り、観念で帝政ロシアを崩壊させる。と警鐘してると言う。師走がもうそこ、一年の修めも間じかで一年を振り返る行事もそれぞれ進められている。また迎かえる準備の手帳、カレンダーコーナーは盛況。この年代のそのメインは年越しのNHK「紅白歌合戦」男女それぞれ15人づつ(だったか)流行った歌を国民的に選び一年を家族で回顧する風景がこの民族の年越し風景。・・・であった。ところでこの3時間近い生放送番組で一番長く画面に写ってる人。つまり何回も出てる人。・・??一人一曲でしょう。??・・・・司会者です!その司会者に異変があった。白組の中居正広はオバサン視聴率受けといいとしても紅組の司会が男たる「鶴瓶。」芸とはいえパンツ一枚にでもなる問題の人物。編集の利かない実況にはいわばもっとも危険なる賭けである。良くぞNHKが踏み切ったものだが、裏を返せばこの国民的番組の行く末の断末魔の叫びなんであろう。2年後の60回を最後に終焉とも言われそれまでの延命処置のようだ。点数にならない視聴率アップを目指した有名歌手のみのチームの桃組も企画されたらしい。ビートルズのリズムの出現は世界の音楽を一変させた。王女様から勲章がもらえた意味がわかろうというものだ。紅白は歌謡曲中心で始まったが、時代はスッカリ変わっている。民放が裏番組で紅白をぶっつぶせ!と企画挑戦したがいずれも敗退した。アリと戦った男・アントニオ猪木と銘打ったり漫才ブームの余勢をかってぶっつけたりしたが紅白は万全であった時期もある。それが時代の波が番組継続自体を飲み込もうとしている。年越しの風景が、すっかり様変わりした。まず家族がテレびの前に揃わない。テレビを通じて聴く時代でなく本人がカラオケで歌う時代。紅白のメリットがない多価値観の時代。松任谷由美は黒部のダムからだったか一昨年初めて出場テレビでみれない神秘性が薄れただけで人気を落とした。今年の目玉は誰になるのか。SMAPの出場もジャニーズ事務所に断られ矢沢永吉、竹内まりや、長淵剛、井上揚水、吉田拓郎、サザンいずれもありえないようだ。沈みかけたドロ船にはブッシュ政権に似て乗ろうとしない。BZのみが可能性があるらしい。流行語「どんだけぇ~」のIKKO。マツケンサンバの振付師。華道家カリヤザキ・・もちろん東国原宮崎知事ははずせまい。選曲内定では思い出すことがある。「大きな古時計」はサガワケイスケが広めた。声優でドラエモンの大山信代の夫君でおしどり夫婦での番組もある。シャイなサガワの苦痛は痛いほどの演出力が伝わる。デレクターがわたしならこのような財産を利用して企画演出をさせ中身で勝負する。流行を振り返るのを一年に限定せず前世代に標準をあわせざる得ない。すでに当確の歌がある「千の風にのって」である。カウンターテナーの宮崎の人・米良和良で聴いたが慄然とする。それもそうだ逸話から歴史に秘めたものがある。この歌の出来上がるまでのことがTIMUだったか何かにあった。マリー・エリザベス・クラークは1905年オハイオ州デイトンで生まれた。3歳で孤児になり、12歳で600k離れたボルチィモアの養女となった。よって遠くから両親のお墓を見て過ごした。独学で読み書きを覚え、読書のよりどころを見つけ詩作も始める。22歳で衣料商を営むクラウド・フライェと結婚。花を育て家計を助けた。1930年代反ユダヤでドイツからアメリカへの脱出が始まった。その一人マーガレット・シェパルツコブはフライェ家にむかい入れられた。ドイツに残した年老いた母に同情を注いだ。老いすぎて彼女と一緒に来られなかった。手紙を届かなくなると憂いを深めた。安否を尋ねたがすでに亡くなっていた。深い神経衰弱になる。泣くばかり。キッチンテーブルに勝って来た物を並べていた。「ああママはこれが大好きだった。」泣き出した。そっと聞くと「ママのお墓の前にたってサヨナラをいえなかったことなの」マーガレットは泣きながら部屋に行った。突然何かに打たれ食品を入れた紙袋を破ると何かを書き始めた。そして戻ってきた彼女に「ちょいとした詩を書いたの生と死について私が感じることなの。」もし、これがチョット少しでもあなたの救いになってくれたら」と渡した。彼女は抱きしめ「いつまでも大事にするわ」泣き止んでくれた。この詩の変形版がマーガレットの両親の友人たちによりポスターカードとして印刷され知人たちに配られた。以後これが人伝いで広がった。新井満が北海道での台風でのアクシデントのときに「千の風に乗って」を完成するまでのいきさつを文芸春秋に書いたのはこれがベースである。2004年にマリー・エリザベス・フライェが他界すると「私のお墓の前で泣かないでください」の誌で世界中の人々に慰めを与えてくれた・・・マリー・E・フライェは今月15日98歳のお年で他界されました・・地元紙に長文の誌面を飾った。作者不明として自由約となったこの誌は日本では「千の風になって」と空前のヒットとなった。他界する4年前。94歳のときにCBCのインタビューを残している。この誌が自分のものでなく世界のものだと常に思ってました。今ですらそう思っています。この詩は心からの緒愛によって安らぎのために書かれたものです。それでもし私がお金を請けとしてたらこの詩の価値は落ちていたでしょう。もしかしたら私はばかだったかも。でもそれでいいのです。主婦マリーの選んだ道はあくまでも清い。「千の風にのって」を聞き歌うと凛とした気になるのは、神の言霊が息づいてるのかもしれない。人類の共通項はどこの国に住もうとどの民族に属していようと同じなんであることを教えてくれる。それにしてはこのキナ臭い地球を取り巻く政治自然環境は一体どうしたモンであろうか。ブッシュと福田と北の将軍様も何回会談するより日本人井上の発明した特許のないカラオケで共に歌うがいい。血に飢えたる経済の米国も経済の本質がわかってくれるのかもしれない。紅白歌合戦の平和な国の年越し風景の「合戦」程度が丁度いい。サルコジ仏国大統領は富豪といとも簡単に結びつく。・されが国の政治姿勢ではたまらない。3日間アジアに来るが中国のみ。60社長を引き連れてのトップセールス。禁止してきた中国への武器輸出もやりかねない。来年からはEUのトップにも座る。イランの核について中国となにを話すのか。指導者としての哲学を感じない。「カラマーゾフ兄弟」のテーマの 人間の傲慢さの検証が全世界を被っている。いまだなんの進歩もない人間の心の襞の確認が50万部の完売になっている。日本民族は捨てたモンではない。ただ自己の降りかかる災難の解決に向けての動きの進展はありそうにもない。2007年11月25日コメント(0)勤労感謝の日は図書館で棚を眺める。広告主と出版界の変動が閲覧棚の雑誌に現れている。東洋太平洋Sウエルター級王者・日高和彦(29)は宮崎の山田町の人。凱旋パーティーがあったがいけなかったぁ。新聞マスコミ報道がないからである。不二家、白い恋人、赤福、・・食中毒を起こしたわけでもないのに賞味期限切れでマスコミは大騒ぎ。地鳥を初めの産地偽装も似たような事。強きにひ弱で中小企業に残酷な状態が生じ大衆は喝采している。渡辺正裕「トヨタの闇」著者は日経記者。05年熊本県警にトヨタが捜査された。が新聞は報道しなかった05年7月書類送検ではじめて報道した滞堕落。テレビ広告主はもっと酷い。「トヨタの正体」佐高信著そんなにトヨタが怖いのか風に言えばそんなにセブン・イレブンガ怖いのか。週間エコノミストに北野弘久日大名誉教授が記事を書いたら印刷段階で発行元の毎日新聞社に圧力をかけ改ざんさせた。殺し文句は「セヴン・イレブン店頭からサンディー毎日などを締め出さざる得なくなる」売れなかった商品をも売上総利益として加盟店に計上させるそこから売れた商品同様のチャージをかけているという。通称ロスチャージ会計というセブンイレブン本部と加盟店の会計処理は一般会計に比して常道を逸したものだったからである。あまりにも巧妙にできた会計ゆえ見逃されてきた。訴訟となり加盟店の一審敗訴、二審逆転勝ち、6月11日最高裁差し戻し。北野教授は弁護士会計士の資格をもち、あの豊田商事と戦った実務経歴を持つ。セブン・イレブン会長の鈴木敏文が中央大の頃はマスコミ志望。卒業後に出版流通のトーハンに入社。入社7年目でイトーヨーカ堂に転職。今でも古里トーハンの副会長を勤める。月間ペルダはKKベストセラーズ社刊セヴンイレブンのロイヤリティ料や店舗オーナーの過酷な勤務状況さらに経団連副会長就任したばかりの鈴木敏文S長のことを記事にした。セブンノ広報責任者が御社を訪問したいとトーハンを通じてのアポである。異常なるコンビニの言論統制。理由は簡単だ。スポーツ新聞、雑誌の販売の主戦場はコンビニ。そこかSら締め出されると営業担当者はパニックとなろう。売上の半分がコンビニ。その半分がセブンイレブン。だから売上の4分の一が大顧客のセブン・イレヴンである。よって率先して批判の記事はかけない構図。経団連会長・御手洗富士夫は足元のキャノンの偽装請負の経営者。鈴木敏文セブンイレブン副会長の事も含め品位のなくなった日本の財界。なんでもありである。とんだことだ。新党を旗揚げするという。島田伸介と東国原宮崎知事が共著を出版した。角川書店からである。お笑い界出身とはいえ、いまやマスコミに後押しされ東国原宮崎知事は飛ぶ鳥を落とす勢い。保守王国の県に神の使者がきた状態。県庁に毎日5000人が押し寄せ県庁は観光名所。マスコミが面白く報道する。日本の新聞は世界に冠たる存在である。発行部数トップの読売は1000万部。朝日が800万部。毎日が400万部。忘れてはならないことがある。聖教新聞が550万部。参考までにアメリカの最大「USA・ツゥディ」300万部。それでも世界から嘲笑されてきた。再販制度、特殊指定の公的制度に守られ記者クラブという独特のビルドを作り、権力者や企業と癒着、それを懸命に守ってきたからである。それでも経営難という。一体どのような金の使い方をしているのか。読者も広告主も不思議に思う。その経営危機から脱しょうとますます権力にすりよる。福田政権を新聞社が作り、福田VS小沢を会談させ、大連合さえ目論んだ。ナベツネは首相の条件に、靖国参拝をさせず保守回帰の政策を担わせたところからアメリカの主張そのもの。隠れCIAの回し者だろうが、はっきりとシッポを見せている。さらに新聞同士が大連合を作る。ANY連合=エニー(ASAHI・NILTUKEI・YOMIURI)の真の狙いは販売網再編にある。3社で共同ポータブルサイトを立ち上げる。ついにインターネットで賭けに出たのである。来年1月に立ち上げる。大新聞の余命が見えてくる。ネット社会の進展と地盤沈下で新聞メデアの復権をかけている。スケープゴートにされてるのは毎日。電通の日本の広告費によれば新聞広告費は9986億円。前年比3,8パーセント減。テレビもラジオも雑誌も減である。インターネットは29,3パーセントの増3630億円である。2010年には1兆円に達する。新聞を抜きさru.総額2兆円のテレビ広告費を射程に見据える。潮、パンプキン・第三文明・灯台・グラフSGI・大白連華いずれも図書館にある。年間200億円の創価学会マネーが広告費を新聞社に投げる。聖教新聞の印刷は新聞社の37ヶ所の印刷所をほとんど使用している。177億円近い費用になっている。総選挙が近い。泡沫候補まで広告費1000万円が血税から大新聞に流れる総選挙は公共事業である。どうりで解散を煽るはずである。広告宣伝費  単位は百万円トヨタ  105,412松下   83,103本田   81,580ソフトバン62.692花王   56,021イトヨ 堂 50,602日産   48,069KDDI   44,995シャープ 42,111サントリ 37,791キリン  37,747ベネッセ 36,607イオン  34,361キャノン 33,013資生堂 32,949問われているのはネット文化を作り出してきたネットの書き手がどう出るかである。ここも資本の手に犯され始めている。金をもらって書いてる人が出始めている。そこ浅い日本の民主主義の根幹がいよいよ、ひとりひとりにかかってきている。苦境のブログ維持の環境であろうが見てる人は見てくれている。過分なカキコを頂いた。豚もおだてりゃ木に登る。がんば!せきやん!2007年11月24日コメント(0)22日はいい夫婦の日で今日はいい兄さんの日らしい。兄6人をもつ末っ子は甘過ぎたのか今になり厳しさを享受している。ブログ維持一つ出絹ではお笑い種。励ましは有難い。県SSグループ連絡会議の40周年記念大会は都城で16日に開催されたている。基調講演に敬愛する鍵山秀三郎イエローハットの社長が公演した。日本を美しくする会を組織して素手でトイレ掃除のボランテァを続ける。意見を聞かれ「その周りの人の心も磨かれる。」そのように心をこめて取り組めば何でも成し遂げられる。一日一日の小さな積み上げである。せきやんも感化を受け実践している。お大臣にならなくとも心改善のお大臣である。大出世のお大臣のポストに複数座った幸福人が逝った。あれほど舌禍で問題を起こしたアジアの国ベトナムホーチミンでの客死。心不全82歳の突然死の死の真相はどうにもかんぐってしまう。中曽根派を引き継いだ派閥の「志師会」の長についたが小泉政治の田舎切捨ての5年間に本領を発揮できず息子に代を譲って隠居。いまの政治混乱を招いているが、小泉政治に反旗を翻した志しのみは硬骨の政治家たいしたもんである。建設大臣や警察組織のトップたる総務省長官を務めた。安寿と厨子王の世界を思い出す。盲目の母が歌う。安寿こいしや♪ホーヤレホ・厨子王こいしや♪ホーヤレホ。差別用語的に蔑視する「ブタ養いからの大出世。友人はその頃お金を供給して返してもらってない怒りを持つ。江藤隆美は宮崎政治の保守に横たわる悲劇の二分化の一方の仕掛け人の旗頭。黒き博知事を3000万円領収書のワイロとして逮捕させた。裁判では無罪に成ったがそれは県民の記憶にはない。娘婿の上杉光弘は怨念で許さない。江藤VS黒木の政治構造を知らぬして宮崎の政治家は勤まらない。そのまんま知事の誕生には安藤知事逮捕で政治に嫌気を指した県民のこの基本的政治構造からの忌避の願いがあるのかもしれない。死者に鞭打ちは日本人ではない。冥福を祈りたい。政治がニュースのトップにある内は国は安定している。ただ本質は伝えない。溢れる情報はコモフラージュが多い。今回の紛争劇の奥の院は「日米安全保障戦略会議」にある。事務局たる日本戦略研究センター=戦略研は金丸信が80年に設立した。その後に会長の座は小沢一郎が引き継いだ。今朝のニュースもそうだ。よりもよってこの時期。混乱するのは意図的であるからだ。ボーナス時期を前にお国から自治体に早々ボーナスが支給された。基地再編交付金県内4市町村合計で6億6900万円。新富町3億4900万円西都市2億4800万円宮崎市3600万円高鍋町3600万円移転対象基地は新富町他全国5ヶ所。支給対象20自治体。横須賀市が最高で5億8400万円。交付機関は10年間。なお今年の支給額は33市町村で45億6900万円。総額1000億円反対の3市は岩国市のように支給されていないが岩国周辺市町村は支給されている。権力のはっきりした意志と支給内容にはっきりと矛盾がある。内田洋行とそこから分社した日本ミライズのウチゲババ内部告発合戦はとどまるところを知らない。小沢一郎民主党のテロ特措法反対と絡み、恩師田中角栄の自主的エネルギー政策変更にアメリカは元総理の逮捕で答えた亡霊、トラウマががまとわりつく。アメリカの国際軍事政策に楯突くものは抹殺するとのメッセージに大連立で国連軍として派遣すると逃げ道を造った。さらにおそらく隠れCIAのはずのナベツネ、そして中曽根、森が大連立の民主党への落とし穴を仕掛けた。アメリカを敵に回しきれない税弱点のある小沢一郎は乗らざる得ない。小沢自民党幹事長当時の湾岸戦争の135億ドルの使い道の事である。ロッキード76年、グラマン79年として事件としての防衛利権構造が脈々と受け継がれている守屋事務次官が議会で証言した。「宴会に同席していたのは久間(66歳)初代防衛大臣と額賀現財務省・旧大蔵大臣(63才)田村秀昭(かっての小沢一郎の盟友議員)前民主党首前原誠司も日米安全保障戦略会議のメンバーである。駐日米国大使シーファーも名をつ成れている。防衛問題でいえることだが一般にありえないことがなぜ許されるのか。軍事にはタブーがまとわりつく。一部の関係者だけがサークルをつくり、利益を共有する天下り接待随意契約醜聞はそうした治外法権を防衛利権構造をわかりやすく浮き彫りにした。軍事産業は必要なものか。別の安全保障は無いのか。国家の生命を守るために本当に軍事は必要なものか。欠かせないものか。そのことを議論すべきである。自衛隊海外派兵の恒久法が浮上してきた。小沢効果である。ロッキード76年、グラマン79年防衛利権構造が脈々と受け継がれている。国内装備品と海外品トの価格の差はなんであろう。89式小銃  34万7000円M-16A2   4万円 アメリカ62式機関銃  200万円FNMAG機関銃 80万円ベルギーアパッチ攻撃ヘリ 85億円5アパッチ攻撃ヘリ 5億円英国89式装甲戦闘車    6億7800万円ウァリアー歩兵戦闘車 1億2700万円英国AHー1Sコブラ攻撃ヘリ 48億6600万円AH-1Fコブラ攻撃ヘリ 15億円アメリカ90式戦車     9億1000万円M1-A1戦車   4億円英国F2支援戦闘機  118億9000万円F-16C/D戦闘機  50億円アメリカf-15戦闘機   120億円F-115戦闘機  80億円アメリカ揚陸艇LCAC1  66億円揚陸艇LCAC91 20億円アメリカ2007年11月23日コメント(0)りんどうや 机によらば ひがしにし今日の22日の誕生日の花はりんどう。・・花言葉は正義である。昭和38年日本初の実況海外放送のケネディーのパレードのダラス・11月22日。銃弾が・・音が・・キシャリーが・・・前からきゅげきに後ろに倒れる47さいの青年大統領。オジィちゃんのごとき年齢のフルフチョフとキューバ危機では核の発射ボタンにまで手をかけ軍事的衝突で生き抜いた。はじめての海外放送がこれである。テレビ゙ドラマのごとき時代の到来の幕開けであった。。鉄の女サッチャーがさったのは平成2年の今日である。岡山県美星町。光害防止市条例を始めて策定した日立川ラクチョウは53歳で内科医。47歳のときに志らくの弟子になる。11月21日日本橋で真打に挑戦する落語会を開いたが、師匠志らくは真打昇任を認めなかった。幽霊将棋は内科医の博士号を持つ人らしき作品。それでもハードルをあげた。影にまとう大師匠の神の声。言霊の神の召使。、談志ここにあり。円楽師匠のけいかはいかほどや。テロ特措法が切れなんてぇ~ことなく、きりさめが長崎に補給艦船ときわが晴海ふ頭に帰ってくる。米英パキスタンなど八ヶ国の大使たちが迎える演出をしている。794回の給油を終え7月に任務についた330人も帰国。急激なる気象変化の短き秋は、雪の街景色で真っ白き模様で出迎える。テロ特措法切れで矛盾の頂点の福田総理であろうが、なにもアメリカまで行って弁解しなくとも言い。賢く立ち振る舞えばいい。かって吉田茂も岸信介も池田隼人も野党・社会党などを利用してアメリカをたぶらかし国家の舵取りをした。見本お手本はある先日訪日した大統領がいるではないか。世にも不思議なる世界唯一の国がある。アメリカ軍とソビエト軍がともに近接で駐留してる国があるのである。大統領とはバキーエス・キリギスの大統領。キリギスは勝手のソ連邦を形成してた中央アジアの国。アフガニスタンに隣接してるので、アメリカの軍事基地として02年利用されいまだ米軍は継続駐留している。駐留経費が落とす資金がキリギス国家予算の半分を占めていたこともある。ソ連にしてみればチェチェン紛争を抱えてた頃。それをカモフラージュするためアフガンに軍を空輸するアメリカの名目であったキリギス駐留を認めてきた。それが恒久化しているのは見逃せず、自国軍を駐留させたことで両国軍が一触即発の距離でにらみ合っている。中央アジアにアメリカ軍があるのは初めてのことである。駐日でのキリギス大統領の動向その発言言を報道が伝えたことは無い。影響の少なき深夜のラジオで聞いた。両大国での舵取りはじつに困難であるが英知を絞り乗り切ってるキリギスに学ぶべきことは多い。アジアの火薬庫パキスタン。ミャンマー。パキスタンの戒厳令を出したのがカムフラージュ的で本当の目的は大統領に対する裁判で裁判官を忌避することにあったこともわかりだしてきた。日本人は報道カメラマンが命を差し出したことになる。最高裁判所の判事は入れ替え、違憲裁判に当然の如く勝利した。笑止!ミャンマーの真実であったようだ。日本に入国する方法が変わった。写真どころか指紋押捺はアメリカについで日本のみ。11月20日から始まった。鳩山邦夫法務省大臣の友達の友達がタリばん勢力のメンバーで・・日本国内ウジャウジャいる。の発言趣旨がアドバルーンであったことがわかった.金時計組の発言とも思えぬ。と思ってたらこれだ。いずれ指紋押捺は全国民に適用されよう。内田洋行の宮崎幹部の逮捕はこれ以上拡大しないことのサイン。小沢VS福田会談設定で手を売ったのであろう。よ~~く拡大して小沢の首根っこを見るとあとが・・・ある。・・・太陽光発電の仕事では沖縄を除く全九州にシゼンエネルギーの自活できる電気を供給することに全精力を捧げた。トップたる社長業は実にいろいろと大変でメンテでは一人バスで福岡まで飛んでいったものだ。エアコンの配線排水工事のやり直し。ポタポタと水がおちるのを手直し。本業たる太陽光発電工事はどこも、なんらの手直し一つ無い。わけあって人生人格のやり直しを自分に命じ修行中。そこでも一人帰するものがあり、全国制覇を密かに楽しんでいる。トイレ掃除に始まり息子に似たり年端の若ものの虐めがあり、実に楽しい。富山県から始まり全国に向け一人歩き。いまや全国にお客さんを持てるにもう僅か。さすがに三重県と滋賀県にお客さんがまだおられない。おおみ商人、三重商人の根性、生活慣習のDNAは手強い。20日は岩手、青森、と手を伸ばした。う~~んさすがに東北弁の国。ズ~ズ~の特徴はおおらかでのんびりと宮崎弁に通ずるものがある。ラジオTVの発達やお国の共通語の方向付けがなければ、この国は一つの言語の国ではない。宮崎人と東北人の会話は成立しない。電話の向こうにはやさしき日本の原風景がある。小沢一郎の記者会見の弁舌は見事な戦略でチャッカリ元の鞘に治まっている。「なにを小沢が東北出身者は不器用で無口で言葉足らずでって そ~ら~ねぇべぇ~」「かってにそう言うイメージつくったんだ。」「東北だから不器用で無口で言葉足らずでって こたぁ~ねっきゃぁ~」「確かに北国は雪っこ降るし、さびはんで、口開けずにしゃべることは あるばてな。」「したばて不器用で無口で言葉足らずってことはね~べ。地域差別だべ」「んだ!そだらことなが考えた屁理屈だ。」「何ぼでもいlるきゃ~。]「政治家が口下手で言葉足らずで勤まるか!」「んだ!もっといってやれ}「わい!おら政治家やってねェばって、こいだけ早くしゃべんねで言われるし、 どうせしゃべんねでしゃべったほうがなんぼかいいがわかんね!どだ参ったか!」「東北はおまえの持ち物jじゃぁねぇ~」「んだ!私物化やぁめ!このええふりこけ!」「加速度的にあたまに来るはんでな}「代々自民党に入れていたが今回はどうしょうもねぇと思って民主党にいれたんだ}「おらもいれた}{おら自民党に入れた}「そういうのもあるにはあるばて、民主党にいれたのがおおいっきゃぁ~」「子供は比例で共産にいれたらしっきゃぁ^}「いろいろあんだ}「「小沢!一緒にすんな、地域でねぇぞ!人物ぞ!」お昼焼酎名人位にあった。それも宮崎産焼酎しか店舗に置かない一徹モン!この硬骨感が日本人的でいい。偏狭的郷土愛。宮崎をどんげかせんといかん!大賞はこの人にあげたい。橋げた強度型惑ワクの栗源鉄鋼問題は36年から製造40年からの改ざんデータは全国的に耐用年数が来ている公共施設の橋の問題の矮小化ではないのか。塩分のいった海砂利コンクリート問題のカムフラージュで劣化が全国に見られたトンネル問題の落剥の再燃であり、ウニャムニャの処理が談合と称して内部告発の形をとってるだけ。土木問題を政争の具にさrてている。為替はどうなっている円高を108円をどうする。サムプライ問題のリスクをかわすだけだろうよ。原油100ドルのエネルギー問題も絡んでいる。どうにもこのスピードブログついていけない。反省多謝。愛読者には申し訳なくじつに有難くこの場を借りて御礼を申し上げます。(頑固爺!少しはましになってきた・・・)実に心配かけてます。おめでとう!ソリマチサッカー。。4大会連続22歳以下のサッカーオリンピック代表。オシムも死線をさまよいながら戦っていよう。せきやんのごとく。2007年11月22日コメント(0)11月20日より寒さを知らせる西風が急に吹き始めた。江戸での高座に接したのは2月の一度だけ。落語高座で見る限りせきやん文化度の収支は合っていない。東京駅が初期復元に向けて一階増やして大改修中のようである。どうにも八重洲一体は様変わり一大食のショッピング界隈に生まれ変わったようだ。円楽師匠が手術の日であったが、どうだったんであろう。悪きものは取り除かなきゃァダメである。ブログ文化をそう思うはメデイア支配出版妨害のセブンイレブン等で存外わからぬのではない。11月21日誕生日の花は菊科キク属のリュノウキク。日当たりのよい山道に白く咲く野菊。名の由来はアジアの製油をとるりゅのう樹の香りに花の香が似ているため。野菊の墓のお話に過ぎさった日々をダブらささえる追憶の涙のお花。列島には木々の葉に緑を残しつつの厳冬が来たようで初雪の便りさえニュースで流れる。初めての雪 やみにふり やみにやむ無常の日本の美は日本人にも及ぼしてるはずで矜持していたいもの。NHK深夜便あさの4時に20日21日と二日連続付き合った芸大学長は佐渡のご出身の彫金のミヤタリョウヘイ。初日が楽しかったゆえ先ほどまで聞き入っていた。黒塗り公用車を廃止したのは新しき公用車?をいただいたゆえである?、学生たちや有志の開いた就任祝いで残った費用で白い自転車をプレゼントされたのが起因。文部省の大学運営廃止同然の1パーセント削減の煽りである事には違いない。もっとも、レスリングの浜口や独蝮三太夫などと台東区親善大使を勤めるお人柄ゆえ自然体である。上野のお山の学内に一番いい。お山を散策すると芸大学長に会える。ゼ~イ!自転車は自分の力で進め、風を切れるとさりげない。東京における数少なき木・土の森。芸大周辺の上野の森は文化の山二日間のテーマはときめく心をもちつづけたい。垣根をとろうと120周年を記念して芸大現職教授全員の作品が一同に集まった。退官後ご存命99名も含めて現職教授の作品が展示された。学長は陰陽一要ナギナタ、日本刀を男と女に見立てて陰と陽を描いた。刀の波紋は鋼鉄の鋼に、土で塩焼入れたり、し波紋をだす。硬度の違いで波紋が出るが波紋はコントロールできる楽しい世界観がイルカの伝道者セキュリチィはしっかり。袖刷りあうも他生の縁。胸ときめく神田明神に4m×5mの奉納物はスクナの命エビスさまである。逆巻く怒涛に出世魚。トビ、フグ、ブリそしてテーマのイルカ。両手の器の中には言われているエビス様=鯛でなく何も無いんだそうな。手のひらは見えないが結果何も無いんだそうな。鯛を両手に描いたがタイ焼きの感じで手だけにしたんだそうな。制作秘話がいとも簡単に語られる。ドイツ留学で気づいた。個人のうちに招くのは最大の敬称で居間を日本間にさえして招きいれた。太宰論さえ聞いてくる周到ぶり。日本の食と鉄の相住みあう技術の奥深しさ。ボロボロの日本刀も大根の下ろし、梅の酢、米の酢、なたねあぶらでギラギラと生き返る不可思議さ。包丁も大根を切ると切れがよくなる。鍋物の季節に包丁と大根と骨のある魚や肉類の共存の食の文化を持つ国。高橋真利子ののコンサートで元気をいただけるようなもの。さて東京駅地下でもっとも有名なもの。それは・・・・・そうです。銀の鈴。渋谷のハチ侯のごとき待合目印と設立され4代目。製作者はこの学長さんなんである。探してみるがいい。証拠に佐渡を去るときの勇気をくれた歓迎者、テーマであるイルカを見ることができる。さてこの鈴の不可思議さ。95パーセントが知っているが、90パーセントが見たことがないというこれも江戸っ子の粋なんであろうか。佐渡から着くのは新潟港。乗り物は波の影響を受けないジエットホイルより行きは普通の船が言い。荒海や佐渡によこたう天の川中越地震被災者の学校の調査で600人を調査した結果、眠れない、夢を見る。などPTSDの症状者が7,7パーセントもいた。3年もたっても心のケアが不足していることの証左である。後発医薬品に期待が寄せられるのは保険制度の維持上は喜ばしかろう。それが全く異質では危うい。コンサータとはなにもコンサートをもじった言葉ではない。ADHD=注意欠陥多動性障害の治療薬のことである。11月になり発売されることになった。成分名はメチルフェニデート乱用が問題となったリタリンと同じ成分の向精神薬である薬は米国の独演場。世界で使用されてる8割以上が米国で使用されている。FDA=米国食品医薬品局が心臓障害の危険性の表示を義務づけたいわくつきの薬なんである。米国では学校でじっとしていられない子供たちにリタリンを飲ませ教室外に追い出す。94年あのコロンバイン高校での銃乱射事件。あの少年は向精神薬剤を処方されて副作用で事件を起こしたとして犠牲者の遺族が製薬会社を裁判に訴えて薬の発売は中止された。大人の思い通りにならない子供=厄介な子供を薬を使ってコントロールされる時代が放置してると到来しようとしている。。厄介なことがある。日本では脳の機能障害とする発達障害者支援法がADHDの子供を持つ親の団体も11月認可された薬使用の承認を積極的に働きかけた経過があることである。。文部省も学校現場から発達障害の子供の人数を報告させた。山口の息子もその作業をシタハズだが、疑問なく作業をされたことであろう。がんじがらめの頭ばっかしデッカイ、図~体の学校現場に教育環境の自由闊達な雰囲気は無い。今日21日は労働戦線統一の旗印の元、総評の解体された「記念日」でもある。ジキルとハイドのごとくせきやんが消滅した日でもある。野菊の白き花での野辺送り。丁度それが似合っていい人がいる。感傷的になりきれなかった今年の日本の遅まきの秋。2007年11月21日コメント(0)ここんとこ晴天以外の空を知らない。宮崎には青空がよく似合う。ただそれが昔と違い自然の摂理の変化とそこに生活してる者たちの経験則を狂わせ生活しずらい。かって一雨ごとに寒くなるものだったが、全く雨が無い中で19日朝より急激に寒く感じるようになり背広上着についに防寒ジャンバーの初登場。手袋はいらないが手先は少し冷たく感じる。19日午後4時から星野ジャパン∩ジャイアンツの紅白試合。何故に中途な16時からか訝しがっていたらアジア予選に合わせてたらしい。台湾の球場と自然環境に近づけたらしいがドーム球状で無いので自然は簡単には支配できぬ。13-1と結果は出たが新井が4番を張る時代に変化を感じる。日本最南端スキー場の九州の背骨・五ケ瀬町鞍岡の五ケ瀬ハイランドスキー場では12日からゲレンデの準備していたのがうなずけ、雪づくりが始まっている。山の人の感覚は間違いないようだ。1日約150トンの雪をつくり出す造雪機が稼働。12月14日のオープンまでに1000メートルのゲレンデを整備する。 向坂山(1、684メートル)の頂上付近にあるスキー場は初雪が舞い、この秋一番の寒さ。明け方の気温は氷点下1度、日中も2度までしか上がらず、雪づくりに最高のコンディションだったとか。 周辺の林に霧氷が広がる中、造雪機から勢いよく人工雪が吐き出され、昼すぎには高さ5メートルほどの雪の山ができていた。と地元紙が報道している。イラク特措法を考えてみるにつけ可笑しきことばかり。国連が承認しないのもあたりまえ。世界の警察を自認していても、アメリカが公海上の法規を束ねてるわけではない。どだい公海を航行する船舶を臨検すること自体国際法に照らしてありうることではない。積み荷物を船舶ごとに検査は許されるべきものではないし、実際できない。北朝鮮問題を考えてみればわかる如くならずもの国家もブッシュの考え方一つで決まること自体に疑問を感じないほうが可笑しい。イラク戦争の大儀であった大量破壊兵器はついになく、フセインは追放し、2年を過ぎても治安は治まらず、悪化の一途を深めるだけ。他国の支配介入に誇り高き部族国家のイラクが300年そこそこの国のアメリカの軍事制圧にの支配下に入るはずが無い。日本占領を前にベネジエクト著の菊と刀で日本民族を隅から隅まで分析喝破した科学性は無い。テロ特措法がそうである。タリバン精力の一掃というが核保有国パキスタンの隣国からの軍人を発することでこの国の治安も乱れ始めている。アメリカは内紛を拡大させるばかりで、アメリカ流の民主主義を拡充すというが日本以外どこも成功した事例は聞かず、新たな民族対立を煽っているばかり。世界に冠たる民主主義国の盟主の立場はかなぐり捨てての内戦を勃発させてるばかりに過ぎない。その動機たる9・11の衝撃的出来事も怪しきことが数々と列挙され作為的ものとの説が大きく浮上してる最大のやらせとのブッショの狡猾ささえ噂、実証されつつある。果たして真相はイかにありや。神もビックリ仰天の真実かもしれない。アメリカ経済は軍事産業のGNP貢献無しには成立していない死の証人的経済にある。常に死臭が漂っている経済で、ほかに盟主国たる英国の現地企業のあり方でわかる。日本はこのキナ臭いことから避けたほうがいい。アフガンに経済は世界で一番危険な銀行スタンダード・チャータード銀行がビジネスを担っている。英国ロンドンの銀行である。首都カブールには3っつの支店を持つ。コロンビア、西アフリカのシエラレオネ、やコートシポワール世界の危険地域に支店を置いている。しかしカブールはもっとも危険な地域である。電力不足や停電は日常茶飯事で30年も続いた戦争の性でしないのあちこちに銃器類がある。防弾装備の装甲車の現金輸送車が教われ100マンドル=1億2000万がこの1月奪われた。カブールの銀行では昨年から6件目。スタンダードチャータード銀行は資産32兆円。世界の大手銀行の72番目ぐらいにあるのに何故危険な業務をするのか。チャタード銀行は1858ねんにカルカッタ、上海、ボンベイ。次の年には香港とシンガポールに支店を開設した。ポンペイから綿花、カルカッタからは藍と茶、ビルマからは米、ジャワからは砂糖、スマトラからはタバコマニラからは麻横浜からは絹商品供給の資金を供給してきた。資本収奪最前線の機構。タンダード銀行は1862年アフリカ南部に設立され67年にキンバリーのダイヤモンド鉱山開発に資金を供給してきた。85年金鉱が発見されるとさらに北に進出。1953年までに600店舗を構えた。1969年両銀行は統合合併した。利益の90パーセント以上はアジア、アフリカ中東地域からである。01年イギリス当局から設立依頼でアフガニスタンに進出。カブールでの利益計上は簡単であった。イギリス政府だけでなく、各国の国際開発援助機関の有力な顧客がアフガンンに滞在してるからだ。世界中どこでもスタンダード・チャータード銀行がある。アフガンでも2年目から黒字に転換注意せねばならぬのはマネーロンタリング。裏公式に麻薬取引は3600億円も予測される。アフガンのグローバル企業はDHL、シーメンス、アルカテル、コカコーラほんの数えるほどしかない。これらの国と軍事参加国はピッタリ一致。戦争の目的が証明されている。イラク不参加のドイツが不思議と参戦してるのがわかろうというものだ。シーメンスがいる。山本薩雄監督映画の戦争と平和などで描かれた銀行資本と国家の馴れ合いである。武器を回収して武装解消したり井戸を掘ってる生活に役立ってるのは日本が際立っている。平和憲法を持つ国であればこそ、現地で信頼されていると日本人で携わってる人の発言論文を複数読んでいる。日本は日本が果たすべき役割がある。無料ガソリンスタンドのテロ特措法はもういらない。日本なりのアフガニスタンと向き合えばいい。福田総理はシンガポール。アジアの盟主ゆえ仕方ないがテロ特措法を上程してての日程はいただけない。もっともほぷりなげたる安部総理に起因する喪でかわいそうであるが無責任の感は否めない。アジアの産油国のイインドネシア。ヨドノヨ・インドネシア大統領のようにCDさえ出そうとの勢い。09年に政敵ネガワチィーとの大統領選の戦いむけとの大衆うけのパフォーマsンスの解説もあるが陽気さはいいではないか。宗教行事ラバダンでさえ自作のCDを流した軍事前歴のカムフラージュ。神の国宮崎はノホホ~ンと「ノサン、ヨダキ、タマロカ」とやる気なしの気質。きな臭いテロ特措法を考えるには丁度いい環境である。寒いとは言えど根室3万人すべて焚いてるストーブはまだ焚いていない。ストーブをだすのでさえ「ヨダキ~」いつになったら活発になるのやら流石のそのまんま知事も流行語大賞で「ドンゲカせんとイカン宮崎」と叫んでも、むなしき青空の県である。テロ特措法の議論はそのくらいの環境で議論するのが丁度言い。一日移動国会。宮崎の国際会議場で国会の特別委員会をやれ!。青い海原のさきにアフガニスタンもイラクも北朝鮮もある。この青空はそれらの国々と同じ空でもある。2007年11月20日コメント(0)星野ジャパンと巨人戦、ダンロップの最終日、生目のプロラグビー、と催しがある。エジプト展最終日、ミーシャ展、高鍋で竹下夢二と重なり身動きが取れないときは図書館がいい。書をすててゴルフに行ったと宣言してた人がいたがこちらはこもった。果たしてどうだったか。この巨大スペースの空間はご多分に漏れず人工林が埋め尽くす。ケヤキやイチョウがようやく冬を迎える準備をし始め葉っぱの移ろいが変わってきている。イチョウといえば宮崎市高岡町の国の天然記念物「去川の大イチョウ」につきる。まだまだ緑が勝り、黄葉はこれからだが、夜間ライトアップが17日、始まりった。樹齢は約800年の鎌倉時代。41メートル幹回りは約10mの巨樹が、暗闇に幻想的な姿を浮かび上がらせる。鎌倉という時代を知る大木が自分独りだけのものとなる。緑色から卵色や鬱金色となり黄土色や朽ち葉色となって土にかえる。人生同様にそれぞれが味わい深い。 持ち歌にフランク永井の歌った公園の手品師 があるが宮大M教授みたいに上手くは歌えない。全体的な独特の低音部が出ず誤魔化しだが結構、時節的にはいい選曲。楽しめる。作詞 宮川哲夫・作曲 吉田正一番 鳩がとび立つ 公園の 銀杏は手品師 老いたピエロ うすれ日に ほほえみながら 季節の歌を ラララン ラララン ラララン うたっているよ 貸してあげよか アコーデオン 銀杏は手品師 老いたピエロ 二番 雲が流れる 公園の 銀杏は手品師 老いたピエロ 口上は 言わないけれど なれた手つきで ラララン ラララン ラララン カードをまくよ 秋がゆくんだ 冬が来る 銀杏は手品師 老いたピエロ 三番 風が冷たい 公園の 銀杏は手品師 老いたピエロ 何もかも 聞いていながら 知らぬ顔して ラララン ラララン ラララン すましているよ 呼んでおくれよ 幸せを 銀杏は手品師 老いたピエロ。老いのせいではあるまい。ましてや老いるべきではない。誰だったかブログの記録から記録に留めたい。立花隆とかけて堀田力と解く。そのこころは? いずれも田中角栄を追い詰めた人物。立花隆は20年あまり前、月刊文芸春秋で田中角栄の金脈問題を取り上げ、田中首相を辞任に追い込んだ。堀田力は東京地検特捜部の検事の時、ロッキード事件で田中角栄に論告求刑を行って田中を逮捕した。彼らは今回の防衛疑惑をどういう思いで眺めているのであろうか。ロッキード事件にしても、田中の5億円の贈収賄(全日空によるトライスター購入)だけが立件され、もう一つの児玉ルートである対潜哨戒機(防衛庁が購入したP3Cオライオン)をめぐる中曽根幹事長の疑惑が、うやむやのまま終わってしまった事は、いくら証拠不十分で立件出来なかったとしても、あまりにも不公平、不正義。アメリカがらみの国策捜査であることの証左であろう。今回の防衛疑惑に果たして正義が下されるのか。アメリカを読み解けば、福田内閣総辞職につながるような事件には発展しないだろう。世の中が田中逮捕の時と異なってきているからだ。   派閥政治のすさまじさがなくなり田中逮捕は自民党の権力争いから逮捕につながった、検察が国家権力におもねるようになり、国民の正義感がどんどんと消えうせ、そしてメディアのジャーナリズム精神が萎えてしまっているからだ。要するに権力者の力がますます強くなり、その事に無関心になるほど国民が自己中心的になってしまったからだ。今回の防衛疑惑は、守屋武昌という防衛官僚の卑小な贈収賄疑惑などでは決してない。国防という国家の独占事業が連綿と繰り返してきた政・官・業の癒着の一大疑惑の集大成なのである。しかも米国国防関係者や米国軍需産業まで巻き込むおそれが出てきた。さらには沖縄普天間基地移設や米海兵隊のグアム移転事業に絡んだ膨大な資金が絡んだ疑獄まで囁かれている。要するにこの国の安全保障、米軍再編協力に直結する疑惑なのである。おまけに福田内閣の主要閣僚である額賀財務大臣の関与まで証言されてしまった。もしその全貌が包み隠さず明らかにされたなら、間違いなく福田政権は吹っ飛んでしまう。  それでも全貌が明らかにされるの事にはならないと思う。12月号の文芸春秋。立花隆とヤメ検(検事を退職後に弁護士となって犯罪者を弁護する元検事の意)田中森一の対談記事。  平和相互事件の最大の疑惑である金屏風事件(8000万円程度の金屏風を40億円で平和相互銀行に買い取らせその裏金が政界に流れた疑惑事件)に絡んで、竹下登元首相の金庫番青木秘書が受け取った疑惑に関するくだりである。  田中 青木がメモを残しているらしいとは噂されていたんですが、当初ははっきりした内容は分かっていなかった。ところが青木の自宅をガサ入れしたら、実物が出てきたんで驚いた。しかも名前までがはっきり書かれていたから、特捜部もむしろ困ったんじゃないですか。当時の竹下登といったら、自民党幹事長で次期総裁候補ですよ。逮捕するとなったら、ロッキード並みの大事件になる。僕も先輩検事から呼ばれて、「田中ちゃん、(東京地検特捜部の)部長がもうあのメモには一切触れるなと言っているから」と言われた。  立花 エーッ、そんな事があったんですか・・・  要するに検察は国家権力の前に正義を振りかざす事はしないのだ。しかも田中はさらにこう証言している。  「(自民党サイドからの圧力がかかったのかという立花の問いに対し)いや、僕はむしろ自主規制だったと思っている。マスコミはよく『政治的な圧力によって特捜事件がつぶされた』と書き立てるけれど、実際は違うことも多い。赤レンガ出身の検察トップ達は、国益に反すると思ったら自発的に捜査をやめてしまうんですよ。あの時本気で捜査をしたら、竹下登一人の逮捕では済まなかった・・・」   立花隆よ、驚いている場合ではない。田中角栄追及のあの情熱はどこへ失せたのか。赤レンガ同窓生の堀田力よ、さわやか福祉財団などのボランテア活動もいいが、良い子ぶってテレビなどで当たり障りのないコメントをする暇があったら、今回の防衛疑惑に対する正義の追及に検察の奮闘を呼びかけるべきではなにのか。彼らが沈黙を守ってしまったら、誰が正義を実現するというのか。大阪市長選挙では自民公明の推す現職を民主党、国民新党社民党の推す候補が勝った。国民の意思は今だ民主党を中心とする政治に民意をあげた。テロ特措法に党首会談で小沢も賛成をしていたことが明らかにされた。いまや護憲を掲げた政治は風前のともし火。現状の検証は全く報道されないのにこの体たらくである。自国軍の戦争参加は間近い。大丈夫なのか。自衛隊海外派遣 16人の隊員が自殺していた衝撃の数字がある。 インド洋やイラクなどへ海外派遣されていた自衛隊員16人が在職中に自殺していた。何が原因なのか。例えば、インド洋では焼けたフライパンのような船上で働かされるし、船内では酒も禁止という過酷な条件もさることながら、現地での隊員のケアがほとんど機能していないという。これは何も日本兵だけでない。 イラク、アフガン帰還米兵の45州で05年に6千256人に多数の自殺者とCBSが報道  先にアフガン、イラク戦から帰還した米軍兵士の3人に一人の割合で心身に障害が見られることを報告した。その後、そうした帰還兵に自殺者が多いことが問題になっている。しかし退役軍人局はその数を把握していないか、または把握していても公表せず、退役軍人に特別自殺者が多いことを否定している。このほど、米三大TV局の一つ、CBSが数ヶ月にわたって州レベルのデータを集めた結果を最近公表した。50州のうちデータの集まった45の州における2005年のアフガン、イラク帰還兵の自殺者は、少なくとも6256人、1週間に120人ほどが自殺していることになる。 道交法改正の飲酒の処罰で世間の目はカムフラージュどこまでも能天気な国民である。アメリカからみの疑獄の解明ができるはずが無い。せいぜいブログをチェックしてご満悦ぐらいしか出来ぬ。それがどれくらいPTSD持ちに影響があろうとお構いなしであろうと。2007年11月19日コメント(0)OAと書くとマスコミ人はオンエアーと実況的風景の言葉と受け取るのであろうか。この二日マスコミに振りまわされている?感じである私の感じてる約束を反故にされたのが緊急の行事がそれぞれお相手さんに生じたためである。若草通りはメインストリートの橘通りの東側。西側のニシタチ界隈の賑わいと随分と違う。そのアーケート街を基点とするイルミネーション30万個の点灯式があったため。人前を訝しがる日本人その中でも特別なる引っ込み思案の日向人もここまで極めたる。小松台北のアロマ経営者の日高馨詞(31)・木村麻美(27)の人前結婚式に300人ぐらいが祝福している。昨年12月この場所で出会ったからという。JC太鼓で演じていたとき見初めたのが麻美さん。この紐仲間のJC太鼓の祝福があった。この後がOA対談。OA?・・?青木功、王貞治の対談である。実に宮崎は忙しい。ダンロップも2日間で予選がおえた。初めてのアマ出場の高校一年生の石川遼君がナント!通過し、ジャンボが一打差に泣き、宮崎を去った。この大番狂わせがせきやんを困らせた。ジャンボ尾崎は唯一第一回からこの試合に欠かしたことが無い常連選手。それが予選落ちだからわからない。予定していた日本唯一の無濾過金時芋焼酎は郵送送りと成った。焼酎が幻の焼酎ゆえにお祝いの手渡しも幻となり、郵送ではチョット悲しい。星野監督田淵山本のオールJYAPANNはキャンプも佳境。今日は西武、あすは巨人と紅白戦い。オリンピックアジア予選の12月1日の初戦に向けて宮崎でのコンデション作り。昨日夜はお仕事に向けての事前飲食中に流行語大賞に三つも候補がある東国原知事ゆえコメントや準備ゆえ急遽仕事は解散。あ~あマスコミ人は多忙で急用が入るので大変である。16日入手困難なる月の中を同僚から持ち込まれ、お客さんにコソット届けるが直ぐに17時過ぎお礼の電話をうく。ジャンボ尾崎のお話はこの後のこと。兎に角も山あり谷ありでも、ありがたきことの連続。東京での書道展覧会での無鑑査、の黒木さんは美術名鑑では28万円であった。この方がばんじろと書けば流石の社長さんも有無をいえまいと昨夜届たる結果を聞くと19日よる7時30分頃にアポがとれた。逆転マジカである。地道なる1歩。仕事とはそんなもの。ただひたすら、お客さんのなすがままである。監視されてるこのブログのためPTSDに苛まされてる人には実に大打撃。アップロードに躊躇している。ブログ仲間のご来訪の記録で勇気付けられている。文化育成醸成時期のブログに対する無理解さから生じてることに7年間欠かしたことの無いこのブログはここんとこその栄誉の記録をいとも簡単に失っている情けなさ。焚書事件なるものの歴史性をあらためて思い知らされており、明治期の廃仏毀釈の文化破壊に心痛めてる状況の自己実現?のようである。すべては政治の揺籃期からに帰着するとの命題を忘却はしない。美輪明宏の聞かせてよ愛の言葉を・・の銀パリ時代の頃の張りのあるシャンソンは耳に実にいい。西田佐知子のコーヒールンバとつづいている。ニシタチのソファレドパリの楽しきシャンソンを思い眠れぬ夜としている。不眠の苦に耐え土曜日も仕事があるのに不眠での調べもの。核兵器を持つ国パキスタンが政情不安であり穏やかではない。隣国のかってのタリバン政権を睨んでのテロ特措法延長で福田VS小沢が政治的話題をなしえたことが大きく絡むのでアジアの盟主たる日本は気がきではない。ミャンマーの軍事政権の騒乱とあいまって当面する二つのアジアの火薬庫である。パキスタン政情は8年前軍事的制圧で政権を承握したムシャラクは再度首相経験者ブットの行動を制限した。大々的デモ計画をを察知しての事前の行動である。ブットパキスタン野党指導者は30年前の父譲りの国家を指導する願望を持つ。ついに現政権のムシャラクの首相の座からの追放を掲げるに至っている。長き亡命生活は父の頃からの亡命状態であった。現政権ムシャラクは再度ブットの行動を制限した。民主主義を標榜するアメリカの影を見て取れる。アルカイダのイスラム過激派タリバンを壊滅するためアメリカは血眼ゆえからである政治は常に奇々怪々新聞記事鵜呑みは怖い。。アルカイダの指導者の一掃の名目の軍事行動には追従国が激減。ムシャラク軍事独裁政権はこの2年で米国より100億ドル以上の支援を受けている。改めて新テロ特措法を考えるいい機会を与えている。文化と宗教のギャップがアメリカの介入で如実になったに過ぎない。政権はあくまでその国の民族の自治に任せるべきで、アメリカの掲げる民主主義なるものが絶対正義ではない。幾人もの妻を持ったり、飲酒の禁止などの宗教はキリスト文化圏からの視点では退廃文化の象徴であろうが教えが違うゆえのモラルであり、そう介入するべきものではない。根こそぎその宗教教義の民族を滅ぼすことはできない。一神教国アメリカの野蛮性、怖さの裏返しでもある。文化の違いからの戦争ではないのか。そこ300年の国がチャンチャラ可笑しい。30歳そこそこの若者が60の爺を捕まえ、仕事の注意でなく生き方論の説教をするようなものに似ている。亀田家的生き方論は否定されたモラル高き日本民族である。。モラル高き第三者から見ればこのブログもその嫌いがあるとのご指摘をいただいている。自戒せねばならない。17日深夜2時ラジオでブッシュVS福田の対談を聞いたが朝鮮半島のみに触れていてアジアへの視点を欠いている。急遽舞台立てられた趣をどうにも隠すことができないでいる吉村作弥のエジプト展は宮崎で多くの入館者をむかえている。そこに現地エジプトで奇跡的な初めての事例の親子のミイラ発掘のニュ-スが流れた。宮崎が世紀の発掘を呼び起こしたのではなかろうか。ホント?ケニアでは京大チームが一万年前の類人猿の化石を発見、一万三千年まえで途絶えてたその化石の発見からすると驚異的発見と騒がれてるニュースが続け様に賑わした。オリンピック最後の種目になる野球の中国北京オリンピックアジア代表を決める戦いは12月1日に迫っている。星野、山本田淵と首脳陣に加えいまや日本のエースたるダルビッシュもキャンプに加わっている。許婚でなかった公認妻さえこのご両親も雄姿を見て大喜びのことだろう。入籍したとの報道で一案のことだろう。早稲田の彼氏を振り捨てダルに委ねた計算高さは宮沢リエを追いやり貴乃花の妻に納まった景子譲りの熱き日向女の姿を形作ろうかとしている。ヤルワイ!国造り神々も苦笑いのことだろう。実家のお仕事のお洋服店もサエコ効果で引き合いが増え、さぞかしご繁盛のことで喜びに耐えない。一昨日叔父さんに当たる方とお隣同士で杯をかわしたばかり。TVにも出演されたホテル浜荘美人若女将はサエコのおばさんにあたるのだがお会いした限り流石に美形一族でタレントを生み出す要素はDNAにありである。美形女優に演技派を兼ね備えた宮沢リエは押しも推されぬ日本一の大女優である。オリオン座からの招待状はリメイク日本版シネマパラダイスといえるのではないのか。三丁目の夕日に対する隠れた名画となりえよう。宮崎でも封切りが随分と早くなって文化的障壁が少なくなりつつなりつつある模様。ハリウッド映画はシネサロの10作シリーズなどで積み重ねることができた。その名画をやってきててくれた名画館がイオンに映画館が収斂されたためニシタチの歓楽街から消える。イオンの地には一万人を超える人が大型郊外店として集客して街からは人が消えた。農業振興地域に週末は5万人以上がおり、閑散としてる街区域。都市計画のいいかげんさをこれだけ如実に示しているものはない。大型店進出に反対して運動をしてたが結果はまさに異常なる状況が示している。政治は結果責任誰が責任をとろうというのか。聞いたことは無い。宮崎神宮にくらべ、お伊勢のご意向は計り知れない。イオンンの発祥の地三重県のご意向に繁栄してる三重商人なのかもしれない。ヤマトタケルが東国征伐ご帰りに、流石に疲れ足をおって休んだのが三重のいわれだったハズ。道理で三重に足を折って休んだ後ゆえ勢いが違いイオンは列島の消費行動さえ変えた。第何時目かの田舎からの資本の本性たる収奪体勢をこれほど経済学的に如実に示してる事例はなかろう。マルクス経済学徒はどれほどの実証事例かで象牙の塔から街に勇んで出ようものだろうが公立大は近経のみで図書館の蔵書を見ればその原因が直ぐにわかる。若者に研究のきざしなくして国家の進展はない。ほかにも経済的大変化は生じている。飲食産業はそのまんま知事効果の恩恵を受けてるが産業間格差が生じつつある。新たな産業の経済効果たる映画業界の活況。注目を集める中、県はロケ地効果を生かし“フィルムツーリズム”で新たな観光客層の開拓を図っている。ロケ隊呼び込みへ、本年度から来県した製作スタッフに費用の一部を補助するなどの事業を進め、受け入れ態勢を充実させていく。 ロケ隊呼び込みの主体は宮崎フィルム・コミッション(FC)。ロケ地探しやエキストラ手配などで製作スタッフを支援し、これまで韓国ドラマ「雪の花」をはじめ映画、CMなど計44件を受け入れた。 さらに東国原知事の就任以降、県内観光地や料理店を紹介するテレビ番組が増え、FCが対応しただけでも29件。事務局の県観光リゾート課にも問い合わせが絶えないという。 FCは本年度から、視察で来県する製作者らの交通費や宿泊費の一部を最大2日、5人分まで全額補助する事業を開始。8月にはアニメーション作家の原恵一監督や「ライフ・オン・ザ・ロングボード」など海を題材にした映像作品を手掛ける喜多一郎監督が訪れた。脚本作りで県内のサーフスポットを視察した喜多監督は「FCの案内は、大人数で動ける撮影に適した場所ばかりで質が高い。地元の方も好意的」と高く評価した。▽フィルム・コミッション(FC) エキストラ集めやロケ候補地の紹介、宿泊施設などの手配、撮影使用許可申請などで映画製作スタッフを支援する非営利公的機関。宮崎FCは2006年5月、県や市町村、みやざき観光コンベンション協会などが集まって設立した2007年11月17日コメント(0)上着無しで自転車をかっ飛ばす爽快さ。ただどうなんであろう。日本一長い駅伝の九州一周駅伝が二週間前に終了したが、その後、大相撲九州場所が始まると九州の尾根をなす米良山々から西風が吹き降ろし始め冬将軍を告げる第一波がきたものであった。初霜にサツマ芋の蔓の葉っぱの部分がやられ焼酎の原料たる白っぽいカボチャを小さくしたる大きさの平家カラ芋を収穫するお告げである。源氏カラ芋は赤っぽく寿芋と呼んでいたが収量が少ないのでそちらの畑を選んで作業についたものだ。新聞が告げている。「最近は被写体にしたい宮崎特有の青い空がめっきり減った」。そう言えば、以前の宮崎の空はもっと抜けるように青かった。山田分校での驚きに地球の丸いことと三角のガラスの隗たるプリズムを太陽光線に当てると不可思議なる光をなすことを知ったことがある。空はなぜ青いのか。太陽光線は7色に分けられる。夏はしょっちゅう昼の雨、夕立があり、虹をみてオーロラに思いをはせた。虹の下には幸せがあると追っかけた純粋なる頃。小学生のころ、その7色を順に口に出して暗記し覚えた。「赤(せき)・橙(とう)・黄(おう)・緑(りょく)・青(せい)・藍(らん)・紫(し)」。太陽光線の波長は長いほど赤に近く、短いほど青に近くなる。 日本気象協会宮崎営業所いわく。答えは「波長の短い青い光線が空気を構成する分子に反射して空いっぱいに広がり、青く見える」。中でもちりや水蒸気の少ない秋になると空気も澄んで透明度を増し、空が高く感じられ、青さが目に染みるようになるわけだ。 祇園小唄の歌詞であったか、月は東に日は西に~~11月10日夜ニシタチを営業をしながら歩いてると懐かしき顔に驚き、合流してカラオケ大会となったがこの歌を歌わずじまいであった。東の空に目をやると、まだ日は高いのに真っ青な空に月が白く浮かんでいる。十三夜が明け翌日24節気の一つ霜降。地球温暖化で季節のサイクルにもきしみが生じている中、暦通りに秋の空、朝夕は寒い感じであった。。秋は秋らしく。そのらしさが戻らぬト気持ち悪い。国連は10日、地球温暖化の影響視察のため、国連事務総長として初めて南極を9日訪れた潘基文氏の声明を発表、事務総長は「南極は破局寸前だ」と強調し、温暖化対策を急ぐよう国際社会に訴えている。 声明は「ラーセンB」と呼ばれる大規模な棚氷の消滅や、ペンギンの生息数減少など温暖化の悪影響を列挙。「氷は私たちが考えているよりもはるかに速く解けている。今すぐ行動しないと、そう遠くない将来に(南極から)氷がなくなってしまうかもしれない」と警告した。 温暖化対策をめぐっては来月、インドネシア・バリ島で国連気候変動枠組み条約の締約国会議が開かれる。視察は、日米中や欧州連合(EU)各国など温室効果ガスの主要排出国に対し、同会議でのポスト京都議定書の本格交渉入りと、2009年までの枠組み合意を促す狙いがある。寒くなる時候の性でもなく冬の夜中のションベンは怖かった。母屋と違いトイレ小屋は庭の反対側にあった屋敷周りには防風林をかねた十メートルを超える高さの竹藪に囲まれていた。厠(かわや)、はばかり、雪隠(せっちん)、手水場(ちょうずば)、御不浄などと並べても、ちんぷんかんぷんの若者たちであろう。西都では手水場の用語がもっぱら便所も用いた。便層には子牛が落ち往生をしたことがある。必死でオヤジや兄たちが助け上げたが幼き私も必死で周りで騒いでいた記憶がある。汚い、臭い、暗い、怖いの4Kイメージが抜けきれない世代。11月10日は 「トイレの日」。1986(昭和61)年、日本トイレ協会が「11(いい)10(トイレ)」という語呂合わせで制定したんだそうである。トイレの水洗式の普及ほど有難きものはなかった。いまでは驚きにもオシリまで水で洗ってくれる。TOTOがトイレ川柳1万6334句がを募集であつめた。「トイレがね オレの部屋だとパパが言う」。「大丈夫 ですかと妻がノックする」「結婚て いいなトイレに花一輪」。「トイレ待ち 肩書なんぞ役立たず」。早朝の一手に請け合ってるトイレ掃除。カビがとれ薄青のタイルが碁盤の目の白きメジの一直線によみがえりつつある。タワシは二個目の刷毛目がスッカリ萎え新品を調達。特有の臭さも消滅しつつある。毎日タワシ、吹き上げ再度の作業の努力が実ったものだ。「どっこいしょ 我と向き合う孤高の場」。「長すぎる 早く出てよと妻が言う」いずれも地元紙に掲載されている。2007年11月12日コメント(0)絶体絶命のがけっぷちの自民党が息を吹き返した。予想される衆議院選挙での惨敗ムードに止めを刺すほどの大変換をの効果である。伊吹幹事長は今朝のNHK政治討論で、新テロ対策特別措置法案、参院で福田首相の問責決議が可決された場合は、解散総選挙を実施すると恫喝する元気ぶり。大連合へ向けた福田vs小沢の会談の決裂の余波はとどまるとこを知らない。とりわけ民主党の衝撃は計り知れない。似たる状況で休止してテたるブログがある。ノーベル文学賞の第一号候補者は誰になるのか三人で競っていた。大江健三朗、三島由紀夫と共に日本文学を世界に広めた安部l公房。川端康成は受賞挨拶に書いた美しい日本でも難解なる日本文学がようやく世界の桧舞台に立てたことをまず喜んだ。難解なる言語、操る情操豊かなる日本民族、世界に向け訳する作業、世界的視野文学の先駆的若き文学者を受賞に至った理由としてあげつらい称えた。自分の力でなく先駆者を含めた日本の総合力であると。弟子たる三島由紀夫らの国際的視野の作品群が内向きなる川端文学が総意として年齢的に受賞したものであることを熟知してのこと。安部の作品に鬼才 勅使河原宏監督 の手のメガホンで映画化もされた「砂の女」がある。。その部落において家を維持するためには、住民達はほとんど一日中砂掻きをしてる。 そこの女に出くわした.. 砂におぼれてしまう男のお話である。似たようなことで溺れさせられてるのが、十字架を背負った人。赤十字創立者のアンリージュナンの響きの受難のブロガーせきやんである。叩き落された奴は徹底的に叩くことが社会の掟たる政治論に似た環境を享受されている。緊急避難は休筆以外に無い。度重なるブロガー受難で矜持してきた7年間の生真面目なこのブログも休止やむなき中。強きものほど案外と脆い事を持ってることを、きしくも証明してしまった状況である。ドン太さんや渦中ゆえ避けてた今でこそお礼の挨拶ができる淵瀬春秋さん愛読者の陰ながらの励ましに精神的にどれだけ助けられてることか。名前を挙げるとさしさわりが生じるといけないので触れないが(触れてます?)心よりの御礼を申し上げます。どんな難関の出張や全員の慰安旅行、深夜の来客の後さえ次の日に屋根の上の作業が待ち受けていてもブログを書かなかったことは無い。それが休筆である。5、6年前ブログ名を変えてまでも続けた受難の時もあった。文学における禁止用語に抗議して筆を折ったる本意に似ている。井上ひさしやナポレオン狂で頭角を現し短編の雄・阿刀田高の文才はなくとも睡眠時間を削りひたすら努力をしてきたことは同じである。。ブログに真摯に取り組む神のみが知るひたすらな姿勢。誤記脱字変換ミスを指摘されても冷や汗ながらひたすら自己の生きる証を曝け出しほんの一部表してきた。自分に正直に社会の蟻の一歩でもの進展を願ってのことである。ミートホープに始まる告発はやり心根とは全く違うスタイルであり、ユダ的手法はとらぬ。差別用語の世間常識を振りかざし言葉を使わせない言葉狩りに抗議しての一時中断の緊急避難。ここんとこ連続して生じてしまった。大雨が降った民主党。雨を滋養して人生山あり谷ありの大海心。再度小沢を呼び戻した。都庁舎に出勤しない文学者石原慎太郎の二束のわらじを許すまきじの幼友達黒川紀章にしてさえ認めない分筆家受難の時代。たかがブログされどブログ、この表現スタイルで時代を切り開いてきたしそうしていく。携帯でのコミュニケがとれず、コミュニュケ手段のギャップコミュニュケのバリヤフリーが要請されるご時世を感じる。年寄りがいない社会、家庭環境に育ったものが多数派、主流をなしている。ただし年寄りの社会経験に学び生かす知恵ほど貴重なるものは無い。藤原 智美の暴走老人!である。検閲されねばならぬのは第三の権力たるメデイアである。ネット網の拡充とはいえ、いまだ世論公器は新聞である。陰りが見え出しつつある賞味期限切れ食調気味のそのまんま効果の神話。権力はより大きく反動して牙を剥き、手のひらを返すごとき反逆する習性を持つホリエモン然り亀田家がそうである。時のわだいに祭り上げられ引きずり落とされる餌食になっただけ。学習効果は何度も経験してる。よって自重をも必要である。ツーレオ時代のコンビ大森歌右衛門は宮崎県移入人第一号。知事の近辺人で設立されてる株「びっきょ」で社長を務めてる岡山人であることは以前触れた。案の定知事と私企業の事がわだにになりつつある。国策捜査の前触れたる世論の誘導、公安サイドのシグナルであることを注意した大意であった。辞意を表明と地元紙が報じたこの8日の日夕方、びっきょにいるせきやんの不可思議さ。ここまで引っ張ってきてる事業者週刊紙、そのまんまブログに登場する岡本氏と新商品の戦略をご教示いただくためである。歌右衛門にも相談して三人で企画しようとわかれたばかり。神の使いたるそのまんまの力は二人の高級官僚たる現職林野庁長官、大蔵官僚を吹き飛ばした。国策捜査しか引き摺り下ろす手はないことを注意喚起した次第。連立劇での裏方はナベツネ福田首班を決定したメデイァ界ののドンの暗躍である。土曜日朝のNHKラジオは新聞を読んでが面白い。この連立劇の読売新聞の社説のみが異常なる論評と他紙との違いを際ださせていた。それもそのはず福田首班、大連立の仕掛け人である渡辺恒夫は読売の主筆である。安部が辞任したとき東新橋の日本テレビ最上階議長室の主の氏家斎一(81)のところに、森喜郎(70)青木幹雄(73)山崎拓(70)渡辺恒夫(81)の巨魁が集まり福田首班を決めた。翌日福田氏支持の新聞記事で、麻生総理での体勢の流れの政局が変わった。首相の靖国参拝反対のナベツネのメデイアの仕掛けで一挙に政局が動いた。安部政権と蜜月の産経は安部の突然のことに首相官邸派遣の阿比留瑠比政治部記者石橋文登記者は痛恨さを隠せず手を施すことができなかった。今は外務省駐留軍担当に変わった。産経のゆれる記事が混乱をいまだ象徴している。安部退陣の朝日の快哉さ安部は朝日の言葉のテロと提訴上場維持の日興コーデアル証券の安部の救済策に論評した山田編集委員を提訴朝日は官邸に食入る記事ができなかった。福田斎首班に読売と朝日が共闘した。ただ氏家、渡辺は憲法早期改正主義者である。二人は1926年5月生まれで東大でも同級ポスト鈴木善幸に四人が立候補した82年11月田中角栄は中曽根を推した。働きかけたのは渡辺はある。氏家は97年5月71歳の誕生会に自民党と新進党の大連立と自社さきがけ推進派の自民党三役竹下、加藤、山崎を参加させ中曽根も会場にいた。、党内対立中曽根・竹下の手打ち式を演出した。渡辺はいない渡辺は竹下、氏家は中曽根と分かれていたからである。今回の大連合は長き構想の末の福田vs小沢の対談であったのである。そしていまやマスコミ界は毎日新聞を倒産させての朝日日経読売のANYエニー連合の共同体性を持った販売網の再編まできている。朝日新聞が面白くなくなったのはそこにある。休筆するのはマスコミその他であり、せきやんではない。励ましを受け何回目か再度立ち上がらん!。2007年11月11日コメント(0)小澤一朗の呪いはアップロードさえさえぎる(笑)復元に努めてるが一度消えた文字はつらい。いずれ復帰できよう。日々の移ろいは一日の中断も許さぬ。昨日からの雨に矜持してる生活スタイルは困り果てている。雨には車は特に欠かせない。自民党と民主党の確執の党首会談の決裂は民主党により大きな傷がのこったようだ。老獪さの体制維持派が改革派を峻駕したことになる。そりゃぁ~渡辺恒夫=ナベツネが仲介者というからやわではない。このブログではその経過を詳しくふれた経緯がある。。厳しき赤狩りレッドパージの吹く社会環境を生き抜きいた学生時代。、共産党学生部資金をネコババして除名の前歴さえ体験してる御仁である。安岡篤らの天下国家を俯瞰した指導者は今は無い。こうなりゃぁ~古来の日本人の知恵たる仏教徒の登場でしか処方箋は無い。国政の行く末である。まつりごとの最大目標たる世界の安全保障問題をはらんでいる。小沢一郎でもってしても解決し得なかったゆえである。求めるものはたった一つ。安原和雄ののその指針である。ミャンマー、パキスタンと軍事政権が正体を剥き出しに台頭、アジアの盟主足らん日本の行く末は混沌としてきてる時期でもある。    日本列島に住めなくなる日 山田太郎『原発を並べて自衛戦争はできない』   米国主導の対テロ戦争の余波で、万一、日本が戦争に巻き込まれた場合、どういう事態が発生。原発技術者・山田太郎は、原発に関する専門知識を活かした論文、「原発を並べて自衛戦争はできない」(季刊誌『Ripresa』07年夏季号・リプレーザ社発行)で「日本列島上に並んでいる原子力発電所が攻撃されれば、放射能汚染で日本列島に日本人が住めなくなる日がくる可能性がある」と指摘している。  さらにそれを防ぐためには日本の安全保障政策として「非武装の選択こそが現実的」と提案している。   安倍改造内閣の発足および後継福田康夫内閣について、多くのメディアは今後安倍カラーをいかに修正するかが焦点と伝えている。しかし安倍首相は米国の意向に沿ってテロ対策特別措置法の延長にあくまで執着した。これは日米軍事同盟の堅持、そして米国主導の対テロ戦争への協力態勢を続ける姿勢に変わりはないことを意味している。  先の参院選で自民党が惨敗したにもかかわらず、「戦後レジーム(体制)からの脱却」、憲法9条の改悪、そして「戦争のできる国・日本」への意図を捨ててはいないとみて差し支えないだろう。そういう路線に固執することが日本にどういう悲劇をもたらすか、山田論文が示唆するところは深い。   (注)テロ対策特別措置法は、日本が血税を使って、米国を中心とする多国籍軍に石油を供給するために海上自衛艦をインド洋に派遣している根拠法であり、11月1日で期限切れとなった。福田政権はこの延長を画策しているが、参院で第一党となった民主党の小沢代表は、延長に反対することを明言、当面、与野党間の最大の争点となり、党首会談となった。  以下に山田論文の要点。  ▽原発が武力攻撃を受けたらどうなるか?   原発の安全に関する議論―大地震でも、あるいは重要な機器が故障しても大丈夫か、など―は、平和であることを当然の前提としている。しかしその平和という前提条件がなくなるという事態、つまり戦争になったら原発にどういう問題が生じてくるのか。   1)武力攻撃は原発の設計条件に入っていない  まず指摘したいのは、原発の設計条件に、武力攻撃を受けても安全でなければならない、は入っていないということである。  わが国に現在ある商業用原発55基は、いかに発電コストを小さくできるかという経済性を最優先に設計されており、武力攻撃を受けた場合、どうなるかは少なくとも設計上は分かっていない。   2)武力攻撃下で原子炉はどこまで安全か  次は武力攻撃下で原子炉の安全はどこまで保てるのか、である。  ここで火力発電所と原発の決定的な相違点に触れておきたい。火力発電の場合、武力攻撃によって発電できなくなったとしたら、ボイラーへの燃料供給を止めさえすれば、発電所の運転は無事に止められる。  しかし原発の場合、原子炉内にある核燃料は、どうなるか。原子炉内で核反応が止まっても、核反応によって新たにできていた放射性物質が、放射線を出すとともに、発熱もするので、その熱を水で冷却してやらねば、核燃料の温度は上がり続け、最後には燃料被覆管が溶けて破れてしまう。さらに温度が上昇すれば、管の破れにとどまらず核燃料自体が溶け、炉心が崩壊するという事態になる。その実例がスリーマイル島原発事故(注)である。   (注)1979年3月に米国ペンシルバニア州を流れる川の中州にあるスリーマイル島(TMI)原発で起きた事故は、原子炉から冷却水が失われて炉心が崩壊(溶融)した深刻なものだった。原子力事故の国際評価では旧ソ連ウクライナ共和国で起きたチェルノブイリ原発事故に次ぐ史上2番目の大事故とされている。   さて肝心の原子炉が停止した後に行わねばならない冷却は、武力攻撃を受けた場合にできるのだろうか。冷却には、原子炉内の水の循環とその原子炉内の水から熱を海に運び出す補機冷却システムの働きが必要である。例えば海水用ポンプ、配管、熱交換器、電動機、非常用電源(多くはディーゼル発電機)、ディーゼルエンジン用燃料(多くは軽油)タンクなどが必要で、それらの多くは屋外にむき出しで置かれている。これらの機器は小さな通常爆弾でほとんどが破壊されるか、機能停止になるだろう。   これでは武力攻撃を受けたら、ほぼ確実に原子炉の冷却ができなくなり、原子炉の安全が保てない。こういう事態の発生はもともと設計上考えていないのだから、それから先、どういう事態に発展するかは未知の世界である。  ただ想像すれば、大量の放射能が屋外に放出される可能性がある場合、公的機関を通じて地域住民に避難勧告あるいは命令が出され、地域の交通機関は大混乱に陥るだろう。実際には地域住民が避難することは不可能に近いかも知れない。   3)武力攻撃下で使用済核燃料はどこまで安全か 指摘しておきたいことは、原発で最も危険なのは、原子炉内で核反応させた使用済核燃料である。核燃料は平均約4年間原子炉内で使われた後、炉外に取り出される。取り出された使用済核燃料は依然として強い放射線を出しているので、万一、人が近づいたら、致死量の放射線被曝をしてしまう。  この使用済核燃料が保存される燃料貯蔵設備(燃料プールなど)も、通常爆弾の攻撃には無防備といってよい。この燃料貯蔵設備に爆弾が落下した場合、爆発の衝撃によって何が起こるか。  使用済燃料の破損・破壊が生じて、使用済燃料が核反応を起こす可能性がある。これは燃料貯蔵設備が、むき出しの原子炉になってしまうことを意味する。どの程度の核反応になるか。そもそもそこで核反応が起きることを想定していないから、核反応を停止させる装置を持っていない。だから起こってしまった核反応は成りゆきに任せるほかない。   燃料貯蔵設備の中では、核反応の熱で高温になり、しかも破損した使用済核燃料から放射性物質が大量に漏れだし、大気中に放出される。付随して水蒸気爆発が起きれば、原子炉建屋の破壊が進むかもしれない。  予想しない核反応が起きた事例として東海村JCO臨界事故   (注)があるが、これに比べて武装攻撃の結果起こる核反応の規模は桁違いに大きく、被害も甚大になるだろう。  (注)1999年9月茨城県東海村でJCO(株式会社)の核燃料加工施設で発生、作業員2人が死亡した。   被害発生の直後は、死者や重傷者の救出、人々の避難などでも大混乱になるだろう。長期的には、その時の気象状況にもよるが、周辺の広大な土地が永久に人の住めない放射能汚染状態に陥るだろう。こういう結果になることは、チェルノブイリ原発事故(注)から21年後の今日の現実をみれば明白である。しかもチェルノブイリ事故は戦時下ではなく、平和時の事故であった。   (注)1986年4月に旧ソ連ウクライナ共和国で起きたチェルノブイリ原子力発電所の爆発事故では上空に吹き上げられた放射能が他国にまで降った。原発周辺は30キロにわたって人が住めなくなり、約14万人が移住させられた。いまなおガンなど病気にかかる人が増えている。北に隣接するベラルーシ共和国では国土の30%が放射能に汚染された。   4)武力攻撃下で六ヶ所村の再処理施設は果たして安全か 青森県下北半島に位置する六カ所村の再処理施設が試運転を完了して、正式に稼働できるのはいつか、は分からない。  しかし仮に稼働して、各地の原発の敷地から順次、使用済核燃料が六ヶ所村へ向けて搬出され始めても、各原発で貯蔵する使用済核燃料はゼロにはならない。原子炉から取り出された使用済核燃料は、相当長期間、発熱を続けるので、その期間、燃料貯蔵設備で冷却する必要があるからである。しかも再処理施設の正式稼働がいつになるか分からない現状では各原発の敷地内に使用済核燃料が際限なく溜まり続ける。このことが各原発を武力攻撃に対し、きわめて危険な存在にしている。   一方、再処理施設が正式稼働すれば、使用済核燃料が全国の原発から集まってくることになり、それによって再処理施設は各原発よりもはるかに武力攻撃に対しては危険な存在になるだろう。  ▽非武装こそが「現実的」な指針   どの外国とであれ、国籍不明の武装勢力とであれ、ひとたび武器を使用した紛争に日本が巻き込まれたら、原発が武力攻撃される可能性を覚悟せざるを得ない。その場合、原発を安全に護ることは不可能といってよい。平和の下でなければ、原発は安全を保てないことは、原発の原理的・構造的な宿命である。  原発を国内に抱えているわが国は、国家であれ、武装集団であれ、どんな相手からも、武力攻撃を受けるような事態をつくってはならない。そのためには、軍備を持たずに、平和的な手段で国際紛争を解決する努力をするのが国家滅亡を避けるためのもっとも現実的な方法なのである。   これは日本国憲法(特に前文と第9条)に書いてあることであり、人類で初めて原子爆弾を投下されるという悲惨な体験をした日本においては、戦争直後も「現実的」な指針であったし、当時よりも兵器が発達し、多数の原爆が存在する現時点では、なおさら「現実的」な指針になっている。   最後に次のことを指摘したい。  A:原発に対する武力攻撃には軍事力などでは護れないこと。日本の海岸に並んだ原発は、仮想敵(国)が引き金を握った核兵器であること。   B:ひとたび原発が武力攻撃を受けたら、日本の土地は永久に人が住めない土地になり、再び人が住めるように戻る可能性がないこと。  ▽安原のコメント―原発という名の「原爆」を抱えて、戦争にこだわる愚かさ   以上の山田論文「原発を並べて自衛戦争はできない」を読んで、驚いたのは、原発が武力攻撃を受けた場合、どういう危険な事態が発生するかがすべて「想定外」となっていることである。2007年11月06日コメント(0)国家の行く末が混沌としてきている。闇の人が、影が表の看板になった頃からの宿命。この人に出番を与えた政治状況がいけなかった。政治家が畏怖しその力をやっかみ壊し屋の異名を敬称気味に闇で呼ぶ慣わしのようなもの。野坂、細川に代表される、かかわった政治家は舞台を降りた。小沢一郎その人である。小沢一郎は小沢佐重喜の長男として生まれる。苦学して弁護士になった立身伝中のひと。府会議員、衆議院議員を勤める。小沢一郎も後継を目指し日大大学院で司法試験挑戦中の69年、父が逝去して27歳で岩手二区で立候補。この総選挙の時の自民党幹事長は田中角栄。田中角栄は長男正法を亡くしており小沢一郎は亡き息子の生まれ変わり年も同じで1942年であったロッキード事件で刑事被告人ゆえ闇将軍となり、派閥は竹下登の旗揚げした経世会に走った反田中派の政治家の中で唯一田中裁判のすべてを聞いている。今でも命日に線香をを手向けることができる唯一の政治家。田中真紀子が民主党入りできるのはこのようなる事情がある。田中角栄の息子たる小沢は「日本改造計画」を表し政治目標を表明田中を継承している。田中角栄が中国よりの政策を目指す。日中国交回復を図る。国家は台湾を中国としていたので政治のコペルニクス的大転換。エネルギー政策もそうであった。。新中東政策でアメリカからの離脱たる自主路線を掲げた田中はアメリカにより葬り去られた。ロッキード事件である。ロッキード社の代理人コーチャンが司法取引で米議会で田中へのワイロを証言から事は始まった。今回の防衛庁疑惑がまさにそうである。守屋事務次官問題である。アメリカの言いなりで防衛庁天皇を貫きえたのは何故か。政治家の後押しがなければなしえぬこと。その政治家とは誰か。マスコミは久間初代大臣をおっている。はたしてそうか。政治はスケールを大きく紐解くことがカギである。道具仕立ては守屋事務次官。秋の叙勲の778人の中にガンとさえも戦わざる得なくなった三遊亭円楽のことがある。マスコミにでてこないこと。9月18日に受賞してる守屋の名誉ある表彰事項。ロンドンのBMDミサイル防衛カンファレンス06でデイビット・イスラエル賞授与したことだ。この賞は国防総省SDI局、BMD局が創設した賞である。党首会談で大連合を目指す本音を明かした小沢の胸中に去来するもの。急がねば・・田中の体験させられた恐怖がよぎる。参議院で大勝利し政権交代が身近になったのに、??誰しも党首会談はそしてその中身たる大連合には??疑問を感じたはずだ。そこに魑魅魍魎の永田町の論理がある。古傷を民主党が暴こうとしている。がそれは民主党のトップを目指すものとなろう自己矛盾。複雑怪奇になる今回の防衛庁疑惑は紐解けば単純でホシは最初から総理経験者田中逮捕で知ってるはずだ。国際的な陰謀である。山田洋行は分裂して設立された会社。誰がそうさせたのか。事は簡単ではないか。小沢一郎に渡ったとされる山田洋行の600万円の献金問題がある。93年海自がホバークラスト一隻を購入しようとしていた。三井造船の納入である。奇妙に納入が新興企業の山田洋行になった。細川内閣時代であり、小沢実権で動いていた政治時期ゆえ誰でも真相は見通せる。社会は面白いものでカモフラージュの庶民向け事件で本論から目をそらさせる。考えても見ればわかる江戸期より続いていたお伊勢様参りのお店が今ごろ出る不可思議さ。そのおみやげの赤福さえ食品偽造が発覚されとは泳がせではなかったのか。衝撃度の最大で庶民の目は誤魔化すのには最適。このお店は十朱幸代が演じるおかみさん一代記でドラマにさえなってる。雪印からはじまり伏線はあった。食肉偽造ミートホープでは亀田家と違い息子の専務が会見中に親父を叱責「正直に言ってください!」涙の演出さえ効果を盛り上げる。ただ貧乏性の時代の人間は賞味期限と問われても疑問符が残る。アンコの再利用は根が貧乏で事件の白黒はあやふや。砂糖分なんてお宝だモノ。ましてやアンコ。ウ~~ン仕方なき団塊の世代。事件になったポコチャン、ペコチャンの社風初期、川にケーキを捨てたといってたなぁ~と思い浮かべるだけ。このようにカモフラージュの巧妙さに誰しもついていく。地下鉄サリンで操作をカムフラージュした麻原のオーム事件どこの仕掛けではない。民主党の受難が始まっている。テロ特措法なる公海の海上を取り締まる国際法違反のあおりの無料ガソリンスタンドの役割のニッポン。そのテロ特措法が11月1日期限切れ。現地から引き上げる。アメリカノのトラの尾を踏んだ小沢一郎の気概。その心境は誰が日本人の仲で理解しよう。死境をさ迷っていよう。擬似死、生き葬式の様相。星野円道は比叡山延暦寺の天台宗最大の難行をなしえた不動明王と一体と成った生き仏。堂入りを達成したのである。9日間の断食を中心に断水不眠不臥が伴う。不動真言を唱えつづける。戦後12人目。肉体をギリギリに追い込む。生き物をはなれる擬似的死の状態。一つの映画が公開された「裸の城」柴田誠監督。雪印の問題はルポールタジュの今秋の映画の話題。告発者は兵庫県西宮の西宮冷気・水谷洋一社長公益通報者保護法の法以前でこの事件が法制度を作ったようなもの告発者が逮捕されるのはつりあいじょう仕方なき大岡裁き。在庫証明いはんで逮捕である。電気の通じない倉庫で暮らす息子娘告発は正義のためだけでなくひとつの電話からはじまった。映画は鋭く追っていく。宮崎では坂元裕一県議の舌鋒が一部にのみ伝えられマスコミ対策が貫徹されている。地鳥300店舗は歯ごたえ十分でジューシさも満足。「9割以上が廃鶏、ブロイラーである。どこにそんなに地鳥がいる。」坂本裕一は憤る。「ブロイラーの炭火焼きが正直なところではないか。」山形屋がスケープゴートの不当表示でマスコミに差し出された。聞いたところと幼き頃から食べてた実感。味もそれなりに上手いし、いまさらそういわれても地鳥ばかりの生産ではコスト高、余計なことを言ってくれるな。ミートホープでの二番煎じが繰り広げられている。2007年11月04日コメント(0)文化の日の旗日は最後の休日の認識であったが師走に旗日が無いと公平でないゆえか民主主義国制度の君主国家は象徴天皇を12月生誕に配置したのであろうか。昭和天皇と違いその地位の重さは少し軽佻の感を否めない。相撲好きの昭和天皇はお好きなお相撲さんはと問われても「意中の人はあるが言うといろりろあるといけないので・・・」と君主の立場を十二分に矜持されていた。平成天皇は現代的。アルコールの飲酒はなされてますか。「やってますよ。百年の孤独の焼酎・・」庶民性の強調の意図であったのかどうかは知らないが焼酎ブームに火をつけた。百年の孤独、村尾や魔王、伊佐美、需要と供給の関係でたちまち入手困難な幻の焼酎となった。鹿児島熊本宮崎の一部地域の飲酒文化の焼酎が全国に僚原の火の如く広がった。庶民大衆の飲み物ゆえ安い税制度が変更され値段が跳ね上がり、今では決して安くない飲み物。一升ビン詰めが常識の世界に5合ビンが登場、お土産のも最適品となり、4合ビンも誕生。あの独特の焼酎臭さと嫌われていた芋臭さも本格焼酎の冠をいただき、好まれる原料となっている。運動を歩し進めた宮崎の知恵が生かされた道路周辺に植物を愛でる法制化と並び唯一の成功例かもしれない。11月1日は焼酎の日であったようだが、飲酒運転の罰則強化取り締まりの第三者への適用などで需要は冷え込もうとしている。夜の経済の楽しみが本来の人間の楽しみと政治信念を吐露して市長選挙で敗北した戸敷の支持者は飲食協会の組織に蔓延してるのも頷けることだ。経済は大衆的影響があるほどより深刻に影響を広げていく。取り締まり当局の飲酒運転の絶滅は一面国民的指示を得よう。それは経済の見地から見れば悪法も法なりで経済無視の経済がわかってない権力者の内閣府の経済政策の幼児性を露呈している。全国津々浦々に閉鎖されていく飲食店は田舎の県だけでなく京都や名古屋の都市部さえも直撃。テレアポで日ごとに経験することで明治維新を経済の視点で分析した労農派学者土屋喬雄を上回る体験実証をしている。悪法への怨瑳の声は経済へのバッカスの神の怒りが列島を巻き込んでいる。住宅産業も政治の貧困を諸に受けている。姉歯問題で収斂された建築の耐震安全性の問題は建築基準法の厳しき改正となり、許可に時間がかかり、家が建たず建築業界の経済熱を冷やしている。この二つは政治貧困の象徴的である。ようやく上え向いてきた日本経済の内需に深刻なる影響ををボクシングのボディーブロー効果のごとく影響が生じつつある。早急なる政治の動きが求められる。然らずんばとかか、党首会談が国会の場でなくトップ交渉で昨日も含め二度も両者があった大連立での政治的いきずまりの打開を図らんがための福田康夫側からの提案に小沢一郎が乗ったか如くだったようだがどうにも小沢が仕掛けたのであろう。党内持ち帰りでも民主機関は同意を出さなかった。しかし野党陣営に少々の疑念、疑心のきしみを与えたんではなかろうか。政権を目指し政党は存立しているのに政権状況が変わらんとする二大政党の連立は経験の無い領域ゆえもかかわり拒否感として成立しなかったのであろう。自民党と社会党が村山社会党政権を作った青天の霹靂さえ経験しているというのはある。テロ特措法の期限はこれで切れた。政治の行くへが注目されえる状況になっている力関係。傍観者たる国民は付託したバッジ族をただマスコミを介してみてるのみ。指摘した若者のブログで読むにはいたっていないがブログの活用を首都圏在住者は図ってほしい。ようやく上着が要るようになった朝夕の通勤時間帯。九州一周駅伝が終わる頃は実に寒かったものだ。そして九州場所の相撲の時期は空っ風が吹いた。格闘技の個人競技ほど実績がものを言うものは無い。国技の座が揺らいでる相撲界であるがお国との結びつきもあり日本人にはやはり頂点であろう。新聞が伝える。九州場所まえに茨城県土浦での巡業をした郷土力士の出世を披露するためでもある。。稀勢の里身長188cm、体重156kg寛茨城県牛久市土浦の隣。(出生地は兵庫県芦屋市萩原→稀勢の里親方衆の変遷も会った。11貴ノ花 健士大豪 健嗣12若獅子 茂憲 13隆の里がつけたジコ名 俊英 稀な勢いで駆け上がる隆ノ花(西郷 隆盛に因んだ)・隆の里低血糖状態で力が入らず富士櫻と立ち合い当たった瞬間に尻餅を搗いて負けたので、若三杉が横綱・若乃花になって以降も、インタビューなどでは「隆の里は俺より強いですよ」とたびたび答えている。当時の隆の里は「稽古場大関(横綱)」と呼ばれ、関係者の間では実力者であることが認識されていた。若三杉や怪童と呼ばれた北の湖など、いわゆる花のニッパチ組(昭和28年生まれ)昭和58年(1983年)秋場所は千秋楽全勝横綱同士結びの一番の対戦で千代の富士を倒して、新横綱で15戦全勝優勝を果たした。新横綱の全勝優勝は昭和13年(1938年)1月の双葉山以来実に45年ぶり、15日制定着後は史上初の快挙である。昭和59年初場所では13勝2敗で4度目の優勝を果たした。昇進時の「おしん横綱」のほか、僧帽筋が大きく盛り上がった筋骨隆々の体型から「ポパイ」というあだ名もあった。NHKの料理番組「きょうの料理」の講師(魚料理)を務めたほか、2003年12月には著書『親方はちゃんこ番』ポプラ社 を上梓している。 弓取りを務めて「弓取りの板倉」として親しまれ、十枚目に昇進してからも 1場所だけ務めた。甚句の名手としても知られた。歌唱力を買われてレコードも出し、引退相撲では断髪後にタキシードを着て土俵上で歌を披露した。廃業後は歌手に転向し、国分寺市で相撲料理店「相撲茶屋 大剛」を経営「○●○●○●○●○●○●○●○」で8勝7敗とした場所があり、これは相撲歴を辿っても珍しい星取りである。隆の里は星の取り方を見ても全体的にバラツキが目立つ方であった。ハローキティをデザインした化粧まわしが贈られた。「大相撲キティ」グッズの製造・販売を行っている業者の社長が稀勢の里と同じ茨城県出身であることから贈られたものである。 琴奨菊にライバル視されている。 19歳2ヶ月での初三賞受賞は貴乃花、白鵬に次ぐ史上3位の年少記録十両昇進は貴乃花に次ぐ年少2番目の記録(17歳9ヶ月)、新入幕も貴乃花に次ぐ年少2番目の記録(18歳3ヶ月)で番付を駆け上がったが琴欧洲に対しては特に気魄のこもった相撲を見せ、4連勝するなど対戦成績でも上回っていたこともあった。しかしその後は立会いで変化されるなどしており6連敗で対戦成績は4勝7敗となった。(2007年9月場所現在)。さらに場所ごとに内容は悪化しており、このままいけば朝青龍-琴光喜戦のような成績になることが危惧されている(琴光喜はかつて朝青龍との対戦成績でリードしていたが、現在28連敗中である出世の早さが示すとおり、その素質は抜群である。体躯にも恵まれており、徐々に台頭してきた期待の日本人力士豊真将、琴奨菊、豊ノ島、豪栄道、栃煌山らの中でも才能はナンバー1である次に出る日本人横綱であろう。文化の日の今日、文化の始まり地点でもある日比谷公園15の交響曲ショスタコビーコッチが演奏されるようだ。宮崎図書館では3日15時から緑陰コンサート。アズム=JAではタウン誌20周年のタウン宮崎のイベントをやっていた。川口社長の喜んでる顔が浮かぶ。2007年11月03日コメント(0)一本指でキーボードを恨めしくローマ字を入力、キーボードの「変換」の白き文字は百戦錬磨で消えている。誤記ばかりの「ヘンカ~ン」。時代だな~と感じさせられる「間違いだらけの変換!」で思うように文字が変わってくれない。マウスの矢印が狙ったところに瞬時に動いてくれないもどかしさ。音声認識を早く開発してくれないものか。馴れぬ指はどうにも初期白蝋病か手首まで蔓延化シビレ状態なんであろうなきっと。飲み代は捻出できてもPC購入費は出てこない不可解さ。イヤダいやだ年取るの。殴り書きで文章を起こし清書なんぞ女の人頼みのツケが回ってきている。音声認識を早く開発してくれないものか。「KENNSEI」「ヘンカ~ン」とやっても目当てたる「拳聖」の文字は含まれてない。死語なんであろうな。義務教育しか修めてない・・いやそれすら怪しき中一時代のSVCの授業さえ、サボって毛沢東の徒であったゆえまともな日本人の基礎教育さえない身には致し方ない。日本の資本の成長に合わせた収奪体制から来る相対的貧困化からの現状維持。破壊から生み出そうとする社会改革の膨大なるエネルギー。藤田東湖を主客とする水戸・陽明学の徒でもあった訳でもありただひたすら象牙の塔から書を捨てて街に出よ!に従った。かく言いながらアジビラをガリ版ではたらく側からの立場で書きばら撒いたものだ。お粗末なもので朝日新聞棒引きの時ナンゾ、著作権違反ではないか。昼の労働の後の討論で時間を割き、文字通り侵食を忘れ社会改革に費やした。団塊の世代のやったことはムダであったんであろうか。53年ぶりの中日の日本一を老骨ポンコツベテラン中村のりひろが何故にMVPの名誉に浴しえるのか。結果どの世界にもどうしても人の輪には経験者たる爺の陰の存在が必要なんであることを示している。なにしてんだ!わかものら!団塊世代に頼る出ない。自分で道を切り開け!ただ組織は新陳代謝がないと危うくここんとこの入門「0」の相撲界。九州場所が近づいてるがよかった!4人の新弟子検査は全員合格。昨年より減ったが九州場所でデビューする。イシハラマサノブがんばれ!拳聖「ピストン堀口」と呼ばれた堀口恒男は試合や遠征で大学を欠席しがち。自分の腕で学費を稼ぎたいのだが大学から怠学を言い渡される。自分のことは自分で処理した。 早稲田大学総長に嘆願書をしたためたのは昭和12(1937)年。「従来欠席多ク学業ヲ抛ほう棄きシタルモノトセラルルモ一言弁解ノ辞ナキモ未いまダ全ク勉学ノ意ナキニ非あらズ」ヒットアンドウェイ。イギリスを中心とするスマートなボクシングはこの頃の日本にはない。ただひたすら打たれても前に!亀田の次男坊に投影するものを見た。日本人初の試合に勝でなく倒すは藤猛。「岡山のバァチャン・・」とまめらぬ日本語もチャメッケ、タップリでこのひとのより倒せる日本人ボクサーは一人もいない。随分以前に書いたがことだが白井義男から科学的ボクシングは生まれた。大学教授のイスを捨てたる、まったくボクシングには無知たる名トレーナーの米国人があったればこそ。この人は晩年白井が引き取り日本で死した。二人の美談がある。殴られても前に突き進もうとする、拳聖「ピストン堀口」。堀口の試合同様の気迫がこもる亀田次男坊の試合振り。K-1よろしく終いにはルール無視の危なきブン投げる。おっと!k-1には投げ技は無いとご指導ご鞭撻を賜ろうぞ。拳聖「ピストン堀口」は元世界王者と互角に戦うさまは戦争へ突き進む重い空気を吹き飛ばし当時の国民を熱狂させた。世界ボクシングタイトル戦で一回り以上も違う世界チャンピオンに吐きつけた言葉など日本人のモラルさえ無き言動に沸きに沸いてた亀田一家のスタイルは葬りさられ日本人の品位。厳しい処分を受けた亀田大毅選手のこれまでのメディアの過熱ぶりと似ていなくもない。ただ、選手としての資質は違う。 堀口は年長の王者へ「ゴキブリ」とか「オレのパンチは宇宙一」などと稚拙な言葉は使わなかった。亀田選手より若い17歳のとき〈道に志して悪衣悪食を恥づる者は、未だ与ともに議はかるに足らず〉と、日記に書いている。内省していたからこそ“拳聖”と呼ばれた。 戦争の影響もあり世界戦は組めず、36歳で事故死した。拳聖の精神は孫のジムに引き継がれている。今回の騒動を見たら対戦相手の王者・内藤大助選手と同様「こんなことでボクシングが注目されるのは残念」と言ったことだろう。 今も昔も商業主義がはびこっているし、利用しようという人間や親がいることに変わりない。1年間リングに上がれない間、亀田選手はじっくり自分に向き合ってほしい。体力や技術があっても、たしなみなくして真の王者とはなれない。哲学の道は僅か何キロの道。せせらぎが寄り添うにして流れるがより自然の中にヒトをおく、千年の古都の佇まい。先哲の西田幾太郎は何を考え思索したのかがより以上なる効果を道に生み出してるのかも知れぬ。メタボ処理で歩き回ってる市井の人々にはない人間を彫塑としてロダンが自然に姿を描いた真理の追究の道なのか。白樺派の武者小路実篤が最初に国内紹介した人たるロダン。宮崎木城の地に最初に鎮座した飲んで生き方論、仕事論をたたかわす団塊の世代のほうがよっぽど実利的哲学。酔っ払いを見事に活写した落語家の真骨頂。ガソリン漬けの国で一滴もガソリンがない砂上の楼閣の国家。アメリカのいいがままの小泉政治になり、中東に、より依存度を高め90パーセントもこの地域に国家の日常を頼る。ガソリン産油国のその国は火種どころか国家の体も無い荒れるバクダッドはいよいよ泥沼化。宮崎美術館では吉村作弥のエジプト発掘展を開催しているが、チグリス・ユーフラテスの文明の起源のイラクのことを忘れられる筈が無い。アメリカ傀儡のムシャラク体制の危うささえ考えさせてくれる。ここまで原油が上がっていいのか。ミャンマー=ビルマは値上げのガソリン価格から眠れる安穏なる層の僧侶が立ち上がった。なにも軍事独裁政権に立ち向かったのではない。容赦ないガソリン価格の上昇に抗議しただけである。シラヌノ権兵衛でとおしきれれば立派なもの。イラク特措法が期限切れで、メイドインジャパンの無料ガソリンスタンドの中断が生じる。試練の時期の日米関係。党首会談は物別れの後さらに二回目が実施されるが、まっさかの大連合の道をバルカン政治家福田康夫の決断がなされるのやも知れない。いずれにしろ小沢一郎主導の党首会談。小沢が自民党幹事長の頃に初めての当選の福田康夫。その政治経歴はまるで逆。運転手のいない車の如くである。車無しには宮崎での生活は困難である。公共の足は中心街の市内でさえ不十分いわんや、市内より田舎の足の確保は困難を極める。ただ絵になるじたいとなればそれもまた別。和田誠のペーソス溢れる絵は谷内六郎亡き後の文春の表紙を飾るに十分である。財産たる切り抜き帖に秘密の知恵があるがこのたび出版された。ハイライトのパッケージ和田誠の知はそこそこに溢れほのぼのとしている。そのタバコのデザインでさえ健康の警告文で三分の一が占めている自分のデザインと思えないのに変えるのになんの断りも無い。ひたすら耐え忍んでるそうだが団塊の世代ゆえ。その心根は千冊の装丁内容を知らないと無理。ここまでの道が手作りのみちそのもの。コンピュターは使わない。こつこつ手でやるのが好きは親父の世代からのDNAだったったようだ。筑紫小劇場に参加放送の音響や演出に精をだしたる父親像がダブルようである。和田誠の筆になる文春表紙は30年を超えた。書き出しの秘訣は歩く45分の通勤にあるという。和田誠なりの哲学の道なんであろう。スタスタと歩くと野良猫を見たりこんなところに花が咲き次の表紙が浮かぶという。県立美術館のエジプト展と同時開催されてるチェコ・ミーシャに通じるものを感じる。いずれにしろ目を日本にとどめる限りその視野は世界に向いている。偏狭なる地元愛がしぜんにそうなってく結論じみたもの。シーガイヤ併設のワトソンゴルフ場に青木とニクラウスが今日から対峙するのもしかり。名古屋駅が大変貌を遂げ京都駅大改革を峻がしたようなもの。そこの昨日の地元紙は宮崎駅周辺の大改革を一面に告げた。バスターミナルを含む大変貌が期待される。つくづく東国原知事の政治てき風向きはフォローの風である。あやかりたいものであるが、努力のこの二日の成果は着実に1歩づつ前に踏み出している。宮崎モンロー主義も周縁を間じかで花開けるかどうか神武の国の民はひたすら純真に祈りに似た毎日を過ごさんがためあがくでもなく必死の形相でもなく自然体が実利をあげつつある手ごたえをつかんでいる。2007年11月02日コメント(0)日本と同じ平和憲法を持ってる国としてコスタリカを書いたことがある。その憲法行使に対する国民意識のあり方は随分と違う。日本の大人の処理たる実態運営と条文を照らしてもじどうり軍隊をなくしたコスタリカ。大統領がイラク戦争に賛成すると発言したとき憲法違反であると訴え勝訴した人が日本にいる。ロベルト・サモラは日本に住みピースボートのスタッフを勤めている。アメリカは中米に対し触手を伸ばしコスタリカを狙った。中米自由貿易協定である。これに対して国民投票を求めるように要求し、10月7日実施された。賛成が52パーセント、反対が48パーセント僅差でアメリカすりより政策が勝った。そこに投票疑惑が報じられた。器械でなく手計算でのやり直し。改めてカウントが始まり二週間かかる。中米カリブ海六カ国のアメリカ化を目指したアメリカの懐柔政策は熾烈を極めている。アメリカの庇護の下農業繊維産業の保護を求める現政権。アメリカに有利に動いている。新しい職場を生み出し90万の失業者の雇用化を目指している。反対派は怒涛に押し寄せるアメリカ資本が地場産業や農業をアメリカ産業に飲み込まれる危険を訴える。。せっかく培われた自助の環境が汚染される。首都サンホセは政治の季節。指導者は87年中米の内戦を終わらせた中道左派のアリアス。大統領選挙では僅か1パーセントの差で勝利。右派のバチェコを破って政権についた。右派はアメリカよりの政治を進めて4パーセントしか得票できなかった。中道左派と左派が二大政党。現指導者アリアスが右といわれるほど左傾化している。この混乱の中米を市場と狙ったブッシュ。もし反対票が多かったら貿易協定を打ち切ると脅しをかけたブッシュ02年のブラジル中国インド主導で開かれたWTO閣僚会議で反米連合の21カ国会議がG21として発足。ブッシュは切り崩しに懸命で離脱を迫られたのが中米である。厳しき凌ぎあい。 グローバル経済にノン!を掲げて南米を中心にアメリカ資本に頼らない独自の経済圏確立の自主的な取り組み。もちろん中心は未来の時間が十分にある若者が中心である。PCのゲームやマンガ本に取り組んでるわが国の若もの群。老人の場末のブログに異常なる興味を出してるヒマな若者はいるわけが無い。老若男女力を合わせての自主的国づくりに西走。生き様からどちらが先進国かわかったモンじゃ~無い。一回り年上のチャンピオン内藤にゴキブリ呼ばわりしてる亀田家のモラルなき物言い。18歳の謙虚さは微塵も無い。ただ、大きく反省したので人間が変わろう。地獄を見たものは強くなる。老人のブログに噛み付き老人の職業さえ指定し、年金をもらうな!と叫びわめき散らす営業とか現場的仕事を馬鹿にした職業差別思想が体の芯にある社会的偏狭者。同じ爺の世代の職場の上司や両親にそういえるのか。愚かさに気づくはずだ。この不埒なブログの若者自己矛盾に陥っている。そいつが「品格」を自分のブログで論じている。いつからこのモンスターが世の中を跋扈しだしたのか。力ある世代がこれでは日本の将来は危ない。ブログを支配し続けてる重荷から自分を解放せよ。一週間のブログ停止を要求する。PCの電源を落としPCトラウマから脱却せよ。ただ、病的症状からして若者全体であろうはずが無い。偏差値教育は勝利してそれなりな偏差値の大学を卒業したとのおごりがミエミエの老人を馬鹿にした高飛車ぶり。ふつうの若者のブロガーの記事はそのような不遜な老人をバカにしたいや~な感じは微塵も無い。謙虚に素直に生きてる姿を垣間み、毎日読ましてパワーをもらっている。たった一握りのPC病気のものが大きな発言、影響力があるので誤解を生んでいる。なまじっか文章力があるように振舞って君臨してるからブログ文化の品位の低下を招いている。文化とは混沌と結論なきもの。せきやんの過去のブログさえ論じマナー違反はおいといて世代間格差と談じたところはうなずける思考。ご指導ご鞭撻を賜った。ただ少子化は団塊世代の老人のせいではない。PC病でバーチャルでしか生きられぬこの病的ブロガーに予測される所帯を持たぬことがすべてに尽きる。爺にも色々有る。分析力の素晴らしさは確かだ。拝聴いただいた。御説の通りであろう。ただ、一本指変換の未熟者の爺を罵倒しこの文化圏から追い出すのはどうであろう。こちらブログの世界でも先輩でっせ!若いの!カウンターみてっみろ!最初のころは一日何人、それがこのカウンターになった。ブログランキングはお遊び。それもリンク者。御出でいただいた方のみ。事件に触れてるほどなのに真実を隠して手は片手落ちでしょう。公平なる論評を願う。努力はお互いブロガー仲間、先輩後輩は矜持して生きろ、まともであったら。品格を論じてる御仁。週刊誌マスコミのすみから住み良い社会に告発する日々の改革がブログを使ってこそ真のブロガーであろう。対立を煽るのみの狙った獲物たる老人を生贄にし、仕事まであげつらい生活権の唯一の年金返上さえ迫るそら寒さにどうしてこの異常モンスターが生まれたのか親の顔が見てみたい。馬齢をかさね老い先ない。ただ多くの経験をした。もちろん人脈を含めてそうである。困ってることを相談したら太助舟の船を出してくれるそうである。足跡を消したり策動してるがブロガーの所属や解明なぞ簡単にできるようだ。吼えまくる荒れた不逞の輩を無くすには強硬姿勢を覚悟し勤め先を巻き込んだ公権力と共に矯正せねばブログは怖くて近寄れない。決断の日々は迫っている。女ではない。武士の生き様の矜持。男は自分のやったことに責任をとらねば。毎朝鏡に自分の顔を晒せ。正直なる自分がそこにいいる。2007年11月01日コメント(0)月の終わりの月曜日は夜8時から10時前まで「新話の泉」につきる。大人の知的会話はニヤリニヤリと頷く。毒蝮三太夫山藤章二嵐山光三郎松尾貴史渡辺アナ家元立川談志。実況中継ゆえおこるハプニングはたまらない。前回なんか初体験を勘違いして放送を続けたからたまらない。抱腹絶倒顛末は週刊朝日の10月第一週号の嵐山工三郎のエッセーを大笑いで読める。日曜日FMはかまだみつおの2時間と同じで携帯の電源を切って携帯ラジオを一人聞き入る。全放送を前月みたいに書きたいが邪魔で筆を折ってたのでリズムが狂ってる。そのリズムが日常の安寧が清浄が破壊された。若き御仁が老い先無き爺の日常を何日もわたり壊してくれた。終了宣言、終わらせると書き、餌を撒き、それでも罠であろうと休止を続けてた。ひょっこり書いてみたら案の定噛み付いてきた。自分より劣ってるのを確認し飢えを満たし病のPC病を満足させるのであろう。新潟のトキでさえ100羽を超え、復活しそうである。遮断されたる佐渡がよかったのか。小泉竹中の近年の資本のグローバル化の新たな収奪経済で高度成長期に大都市に人間資源を差し出たる田舎は再度の収奪体制で都市と田舎の格差は開くばかり。鉄道を奪われ高校も医療制度もない中での田舎の生活は成立しない。金融機関たる郵便制度さえなくなろうとしている。電話ボックスははとうにに廃止された。PC社会での、このいじめっ子、相当の偏差値教育の勝利者ではあるようだが、年長者とのブログ会話能力さえ疑る知識偏重の欠陥者。単なるバカ。目くそ鼻くそ笑う程度の他愛無い若者の罵声にどこに真実味があろう。真実を追究する行動力も情熱も一番旺盛な時期に場末の爺のブログのみが気になる哀れなる無味乾燥なる人生。所詮バーチャルで世の鬱憤を紛らわしているだけ。10月最後の日。彼女とデートを楽しむでもなく大自然のお裾分けのモミジ狩さえ知らぬのであろう。そのそぶりでは魚振の感動の味をお知りではなかろう。漁船で大海原に乗り出すがいい。魚群探知機の発展は恐るべきもの。何メートル下に何匹の群れさえ映像として捕らえ大漁さえ解説してくれる。撒餌での磯釣りさえ軽蔑してたがそれどころではない。離島での宿泊の磯釣り、日向灘の随分沖の黒潮高い串間の岬の彼方であった。若き頃の貴重なる数度の体験が記憶に鮮明である。忙中閑アリで友人が多忙で生きる日常を慮って誘ってくれたものである。孤独な人と見えるゆえ一人で楽しめる川釣りの小型の魚で丁度云い。アラスカや角みたいなカジカマグロをめざし世界乗り出してる太公望も結局は川釣りにかえる。渓流の水質のバロメーターのカジカがいい。ご存知であろうか。無き声で有名なかじかの蛙でなく魚のカジカである。山の女王・エノハはいきなりでは技術的に無理であろうから、子供でも可能なるカジカ釣りがいい。糸に針を結ぶことさえ文化である。偏差値勝利者はそのことさえできなかろう。年金返上などと相変わらず人さまの人生さえ決め付ける膀若無人のPC病の御仁。亀田家の物言い知らずと何らかわらぬ日本人の会話のできぬ若者。人生終生一生修行。一度しか無き尊い大切なる人生。無駄にする出ない。朝青龍から時津風に渦中の中心が移った感じだが、原点の風景を訪ねるもいい。相撲も世界への日本文化発信のマンガも四国に求めることもできる。何も聖地の手塚治虫や藤子不二雄の下宿した梁山泊だけではない。横山隆二青柳ユウスケらの先人はそれぞれ漫画館で常設展示されている。高知カホク地区のアンパンマン館もよろしかろう。朝青龍のシコ名の由来も四国にある。脅迫めいたる中傷誹謗の犯罪性もいずれ法制化が必要である。規制は迂回して部分的にクリアーして全体を整えよう。監視に身を守るはこの不逞の輩らがいる限り国家権力が必要となるわけである。このバカメ!がいるため国家権力で、がんじがらめに張り巡らさざる得ないわけだ。ブログカウンター10万が目標であった。最初は一日10のアクセスも無かった。積み上げられたカウンターは20万を越している。実にありがたく一本指変換で格闘してきたことに対するご褒美である。ただ、バーチャルゆえ生身の人間を相手にしている実感を失ってしまう。これではミスばっかり繰り返す幼子の育成の子育てはできず、女も愛想図化しで家庭を持つのも無理だろう。もっと大人にならにゃぁ~・。論点をずらすのが得意な詭弁学をあちこちに散りばめてある見事なもの。ただ、何度も言うが知識の使い方、立ち向かう相手を間違えてるまた、日本民族の世界に誇る暗黙の道徳たるモラルの欠如。天に唾するたとえさえ解らぬのか品格を語ってるのだからチャンチャラ可笑しい。、一回り以上の年長者に対する会話さえできない礼儀不足や欠如はご愛嬌。小物から清濁併せ呑む大物にならにゃぁ~。知識英知は兼ね備えてるわけだからしっかり自分を見据えれば大成はなしえよう。ただ自覚なされよ。自分の努力のみだけでなしえたのではないですぞ。社会システム、ご両親を初めとするご親族の方々友人知人恩師を忘れてはならぬ。唯一欠けてるものの一つであることを先輩として忠告しとこう。それが解消できれば彼女もでき立派な家庭ももてよう。察するところ家庭も無かろう。それがなければ、お家の繁栄も国家の繁栄も無い。新聞記事から見えてくる風景とある店で初老の男性が「頼んでたものは入った・・・」と尋ねている従業員は入荷が遅れたことを丁寧に説明する。男性は突然「もういい!」と怒って出て行く光景。 優しく語りかける従業員に非があるように見えなかった。客の顔が仏から般若のように一変し、対応する従業員もキョトンとしていた。コーヒーショップ、スーパー、ガソリンスタンド…。店先で怒っているのは、20代より高齢者の方がはるかに多い気がする。 元気な証拠と喜べない、悪いデータがある。宮崎での刑法犯に占める高齢者(65歳以上)の割合は2005年まで7―9%、昨年は12・5%に跳ね上がった。今年9月末の段階では13・3%と、さらに悪化している。 高齢者の人口が相対的に増えていることもある。ただし、刑法犯の伸びはそれをはるかに上回っている。02年の189人から06年は394人と倍増。法務省が毎年発行する犯罪白書でも全国的傾向となっている。子どもから大人まで皆キレる。  カラオケで下手と言われ、隣人宅がうるさくて、庭師の剪定せんていが気に入らず、三角関係の果てに県内あちこち高齢者が暴行に及ぶ。食料品を万引した報告が毎日のように県警本部に上がってくる。「人生の先達に説教するなんて」と幹部は絶句する。 論語の〈60にして耳し順たがう 70にして心の欲する所に従いて矩のりをこえず〉を忘れた世代ではなかろう。刑法犯の増加を、はやり言葉で〈チョイ悪わる〉と軽々に片づけられる問題でもなさそうだ。社会全体がささくれ立っているのだろうか。 九州一周駅伝が10日間の熱戦を終えた。総距離1000kmの駅伝は日本一の長き戦いで勝者は連勝宮崎で優勝はあたりまえ。いつもハラハラしながらも優勝は決まったもので安穏たる戦いと県民は見ていた嫌いがある。9日目で1分の差まで追い詰めていたが最終日に二位に甘んじて今年も福岡に優勝をさらわれた。これで三年連続での二位である。今年は必勝を期して全区間に旭化成陣を起用して必勝を期していたがこれである。これで総合力で三年連続の準優勝。対策さえ語れていない。秋のキャンプに西武とダイエー=ソフトバンクが宮崎にきている。新監督の渡辺久信、の手腕が問われる。昨夜17日の試合のお話となった。黒江や土井正三のカラオケぶりのお話。宿泊場所までお話は延々先ほどまで続いていた。新聞記事にあったこと。オイルショックでもないのに、ティッシュペーパー売り切れ続出、という伝説があった。およそこと、ふた昔ほど前のことだ。武田久美子というタレントの、セクシーな水着姿のせいだと若い男どもが騒いだ。新話の泉どこではない。  そのペットをかっさらったのが若き日の渡辺久信。当時、パ・リーグに三羽ガラスと呼ばれる若手投手がいた。西武・日ハム・西崎幸広、近鉄・阿波野秀幸。トレンディーな格好をして、いずれもハンサムなやさ男。とても野球なんかやってるようには見えない。多くの浮いた話を残したが、いまでも語り継がれるのが渡辺の手腕である。  が、武田久美子が転んだのは格好のせいばかりではなかった。「ナベは」と、あだ名で呼びつける球界関係者が言う。 「心にゃ硬派の血が流れてる。やさしく舌足らずな話し方も魅力だったろうが、ときに突き放すような硬派な態度を取るんです。ナベのワルっぽさがたまらなかったんでしょう。そういうのにやられたタレントは、武田ひとりじゃなかった」  前橋工高時代は暴れん坊。詰め襟を10センチ以上高くして、ずんどうのラッパズボンをはき、暴走族と付き合ってたばこをふかしていた。ガンを飛ばすような高校生だった。  が、高校を卒業して仮面をかぶった。たばこはやめられなかったが、マスコミにはていねいな応対をしきちんとした言葉遣いをした。可愛がられるタイプだった。タレントを転がすくらいはなんでもなかった。  プロ3年目。86年には最多勝(16勝6敗)と最多奪三振(178)を記録。88、90年にも最多勝を獲得。日本シリーズでは6連勝。大舞台で度胸のよさを発揮したのも、硬派投手らしかった。  実績をつくってもテングにならず、後輩の清原和博がダーティーなイメージにまみれていくのとは対照的であった。硬派に磨きがかかったのは、97年、西武をクビになってからだった。 「戦力外通告を受けて、ひとりでヤクルトと交渉して入団。1年後には台湾へ飛んだ。西武時代のチームメート郭泰源に誘われたからです。それにしても、何も台湾くんだりまで……という声もあった。が、これが正解でした。台湾でナベは最多勝投手になり、コーチも兼任した。北京語を勉強し、劣悪な環境に耐えて3年間、人間が鍛えられたんです。野球以上に大きなものを得た。苦労して根性に磨きがかかった」  ティッシュペーパーの女王を手玉にとって、夜の六本木、麻布界隈を肩で風を切っていたトレンディー投手が、ゴキブリの徘徊(はいかい)するような部屋で3年間、野球に取り組んできた。  05年、西武二軍監督に就任。今年まで3年間を2位、6位、6位。一軍と二軍では采配も違う。球団内部では「昇格は時期尚早」という声も強かったが、さてどうか。タレントを転がしたように、ペナント奪回なるか。硬派を秘めたやさ男監督、ナベキューの手腕に注目だ。宮崎でその出発を図らんとしている。環境がいいので体制派折り紙つき。長島も王もみんな最初は宮崎のキャンプから始まった。この県の人と環境が大物を作り上げる。2007年10月31日コメント(0)夜長の候は読書が丁度いい時期。面白いもので臭いに注意してると図書館の周り木犀の香が被い、館内はかすかなる異様な臭いがカビであることがわかる。褪せてる出版の自由ゆえ目当ての新刊書の入荷が無く、知の館にもカビが生えているカラかもしれない。カビと言えば爺を餌食にした若きものがよくもカビも生えぬ過去の記録を持ち出すゆえかその心根も知らない。この小心者のやることは実にあきれる。徒労なことに時間を費やすバカはよしたまえ。!何故に私憤を公憤に昇華させえぬのか。権力に立ち向かうのはそんなにも怖いのか。われらは素手で警棒を持ちジュラルミンの楯の完全防着に突進したものだ。・・ワロタ・・バカか!やってみろ!その柔軟なる頭脳をたかがたった一人の場末の老人に牙を向ける出ない。老い先短い爺なら公園に居を構えるのみでの理由で爺々をいじめるクソガキどもと同じレベルの心情とどこが違おう。哀れなる仮面を被った人間だけで、歪な楽しみだけであろう。腐らすルナ!己の頭脳。自分の首には自分の頭をのせろ!異様なる生き物を正義の鏡に映せ!その尺度は常に両親を描き、親族や恩師同僚や幼き友達である。この偏差値教育の勝利者と見受ける知恵ある人のブログに期待したいもの。市井の人々を食い物にする権力の横暴を暴いてほしい。爺のブログをつつくのはやめたまえ。!ガキンチョさえそこまで執念深くはないぜ。病気ジャン!人のあら探し、あら晒し。ブログのあり方をこれまでやってきた7年間の姿勢そのもの示してみたい。記憶にある週刊誌や新聞記事をあげつらい警鐘、啓蒙につとめ告発する。1、テロ特措法がいよいよ切れる。とにかく一時引き上げが生じよう。  そこで党首会談が行われる。どうなるのか教えてほしいものだ。守屋事務官問題にすり返して海外資金1億円のうちの3000万円問題などとしてトカゲの尻尾きりで終わらせようとしてるのアリアリ。歴代政治家のイスの長官=大臣は逃げていこう。政治話題はムリかな。・・ワロタ・・程度じゃぁ2、  表現の自由出版の自由は国家レベルでどうなってるのか。  週刊誌から拾ってみる。  第三書館の出版した「完訳プリンセスマサコ」および「プリンセスマサコの真実」が異常な自体である。焚書は為政者の取る最も愚劣なる行為でヒットラーと米国のマッカシー旋風が荒れ狂った民主主義国家の恥部としてあげつれれば十分だ。鶴と菊のご意向に逆らうとこの国でさえ似た恥ずべきことが生じる。病めるマサコ妃に暖かい視線を注ぎ、皇室システムの歪みを告発する書がその状況である。。豊富なデーターを折込んだノンフイックションで著者はベン・ヒルズという豪のジャーナリスト。講談社は出版まじかで中止。いきさつは「・・・真実」のほうに詳しい。削除改ざん挙句には出版中止。検閲が厳しくようやくの翻訳完後の事ゆえ解せぬ。後を拾った第三書館刊はどこも広告掲載中止。言論出版の自由の侵害である。禁書扱いなんだろう。この手には寛大なる朝日でさえ広告掲載しない。読売は一度OKを出しておきながらの上のほうからの待った。大人ゆえの邪推ながらの常識は当然ナベツネの意向もあろうと適当に推量する。。掲載延期の毎日。日経サンケイは言うに及ばない。「本のどこが皇室に対する中傷とか侮辱なのか大新聞が広告掲載を拒否するなら口コミなどを大いに活用していこう」精神科医であり、作家評論家なだいなだ評である。菊の紋章の背後にまつわる言論風景を表に引きずり出した。品格がお好きで皇室は関係ない?どっかチガッテネェか~。3、衣食住のどれ一つ欠けても生活はできない。すべてに問題が生じている。解りやすく食の安全を週刊誌から拾ってみる。幕張でのコーデックス・バイオテクノロジー応用特別部会が終了した。遺伝子組み替え(GM)動物食品の安全審査の基準がまとまった。抗生物質の耐性遺伝子の使用を認めるや否やの安全性についても代替品が無いということで使用が認められた。GM動物の環境への影響や論理的問題は棚上げで無視された。議論はすべて終了して来年1月で同部会は解散する。作物に認められてるものと変わらないものとなり、いつ食卓にGM魚や家畜がのぼるかを待つのみ。すでに三倍化した巨大鮭は市場化を待っている。ホウレンソウの遺伝子を入れた豚などさまざまなGM動物が開発されている。来年からチャブ台にのぼる。俺んちにはチャブ台は無い?ソリャァよかった。?詭弁はお得意。4たたかう自治体!”と規制緩和の国家の違い。国は来年8月より自治体のBSE全頭検査の予算を20ヶ月以下の牛には支給しないとしていた。自治体の多くは批判的で七県は自主的に検査するとしていた。愛知和歌山徳島佐賀鹿児島沖縄である。あれ?6県ではないか。宮崎県がもれていた。ようがんばってる。それぞれ団体交渉があったり自主努力がなされてるからだ。これらの県は全頭検査を続けると宣言している。国が全頭検査をしないでほしいとの通達を出していた判明した。民主共産反発して通知は撤回若齢牛から異常プリオンが検出でき市場にBSE感染牛が出るのを阻止できた。すでに老人いじめプリオンの腐った脳みそに感染されてるゆえどうでも言いか。5経済、軍事数字からもアメリカに告ぐNO2を自認してるニッポン!アジアの盟主を言うならば口をはさばねばならぬことがある。ミャンマー=ビルマとフィリッピンのことである。ミャンマーのことは何よりも監禁されている僧侶の人命が毎日晒されている。日一日と数を増している様に緊急的処置が必要である。同じように権力を傘にフイリッピンの為政者の動きも民主主義を踏みにじりアジアの安定を危うくする独裁政権となろうとしている。。マルコスの名はフイリッピン史にその名を幾百年もとどめよう。あの政治的対立者の帰国し機上から降りる途中の乱射射殺は目疑わせた。そのマルコス打倒に貢献した比カトリック司教協議会。議長・ラグダメオ大司教はまた渦中の人となっている。独裁者アロヨとフイリッピンの未来を賭けたたたかいである。独裁者アロヨ大統領が国会議員や与党系知事に一億ペソ=約5億円の現金を渡したことを明らかにした。「わが国は経済破綻だけでなくモラル崩壊に苦しんでいる。」伸吟の国難を慮っての心情の吐露。独裁者アロヨ大統領は04年の大統領選でも開票を不正操作疑惑夫と下院議員の息子は違法賭博献金などの金銭疑惑巨額の対外債務を初めの経済政策の失敗2010年までに憲法を改正し議院内閣制にして、権力を新たに集中した首相のポストを新設して居座る運動を開始した。外国軍駐留を禁止した現条項の削除背景には米国の影がちらつく。4-24の関連で抜けてた週刊誌記事の事実がある。幕張でのコーデックス・バイオテクノロジー応用特別部会が終了した。遺伝子組み替え(GM)動物食品の安全審査の基準がまとまった。抗生物質の耐性遺伝子の使用を認めるや否やの安全性についても代替品が無いということで使用が認められた。GM動物の環境への影響や論理的問題は棚上げで無視された。議論はすべて終了して来年1月で同部会は解散する。作物に認められてるものと変わらないものとなり、いつ食卓にGM魚や家畜がのぼるかを待つのみ。すでに三倍化した巨大鮭は市場化を待っている。ホウレンソウの遺伝子を入れた豚などさまざまなGM動物が開発されている。スーパーに求める食はGM食品で溢れ、何代も世代間交代をせぬうち異常なる人種が生じよう。すでに過去のひとさまのブログをまとめあげる異常プリオンを所持してる輩がいるみたいだが、バカにつける薬無し。6一本で一日分野菜ジュースセべての栄養素を含んでいないあっ!お客さんである。先ほど23時過ぎまで営業してたのにこれである。営業成果って?見事なる物。三回目にシテ宮崎一の有数な片と取引できるようになった。ひたすらなる熱意と生きてきた生き様の財産。これが日本の底力である。困ってるときの助け合い。2007年10月30日コメント(0)10月27日、28日は神武さまである。宮崎人で知らぬものは一人もいない。市内中心部約4kmを2日かけて往復する御神幸祭行列の総称である。「神武さま」=秋の神武大祭の本隊は神武を宿した天皇の乗るみこし御鳳輦(ごほうれん)。 ただ市井の興味はミス宮崎の古風の花嫁衣裳の馬上の人たる6人の今年の美人に釘づけのシャンシャン馬にある。鎌倉時代の装束姿や獅子舞 古代船「おきよ丸」 流鏑馬の武者行列、溢れるかわゆさの稚児行列。よくもヨチヨチで歩けるものだ。神賑行列は市民約2000人が参加、約7万5千人が見守る中、宮崎神宮を出発し、橘通りを経て瀬頭御旅所までの間を2日かけて往復する、ゆったりとしたペー スで練り歩くお祭り。05年から行列を彩る 古代船、神武東征「おきよ丸」。綾の職人が県スギ材で作った神武天皇が美々津から「お船出」したという船。、西都原古墳群170号墳から出土した舟形埴輪を模したもので制作費約1000万円。「御神幸の儀」の形が整えられたのは明治四十二年以降のこと戦中に行事は行われなくなり、昭和二十一年 に御神幸祭を復活し、同二十五年には現在の形での神武天皇祭となった。 宮崎神宮 神明造りの社殿                 主祭神    神倭磐余彦命 / カムヤマトイワレヒコノミコト ( 神武天皇)   配祀    鵜葺草葺不合命 / ウガヤフキアエズノミコト    玉依比売命 / タマヨリヒメノミコト(神武天皇の両親)   古くは神武天皇社・神武天皇宮と称され、我が国の初代天皇  である神武天皇ゆかりの宮として崇敬され親しまれている。宮崎の代表的な観光コースに組み込まれていることもあり、全国からの参拝客も絶えない。    緑深き神苑の面積は251,945広大な「神宮の杜」は、宮崎市民の憩いの場。   宮崎という地名の由来には「ミ = 神」という意味から「ミヤ = 神の家」のさき(前・先)、  つまり 『カムヤマトイワレヒコノミコト(神武天皇)の宮のまえにひろがるところ』 という説、もうひとつは「ミヤ= 原野」の意味から『原野の先端の地域であるから、ミヤの先→みやざき となった』という説  御由緒  社伝によれば、筑紫の鎮守であった建磐龍命(たていわたつのみこと)が創建されたとか、景行天皇の熊襲征伐時に再興されたとか、応仁天皇の御代に国造老男命(おいをのみこと)がお祀り申したとかある、 平部橋南(ひらべきょうなん=幕末の飫肥藩の儒学者)が「いはれある古迹(こじゃく)ながら悲しいかな千戴の久しき間文献の徴すべきものがない」と現す。   平安時代期に、宮崎に神武天皇の都があったという説は かなり普及していた。『平家物語』(長門本)の俊寛僧都島流しのところ に、「吾が朝、人皇の始、神武天皇の日向の国宮崎の郡に帝都を立て御即位ありし時、云々」とあり、『神皇正統記』等にも同様の記述がある。宮崎帝都説はその東征と共に中世を通じて定着したと考えられる。 鎌倉時代末の建久八年(1197年)地頭土持太郎信綱(つちもちたろうのぶつな)が現在の船塚の地に宮殿を造営し、御遷座を奉仕したことを述べた奈古神社の古文書を、五味克夫氏が『中世史研究』で紹介されている。  さらに文明五年(1473年)伊東祐国が、永禄五年(1562年)には伊東祐立が、それぞれ社領を献じ、天正五年(1557年)には島津義久がお祓料と米穀を奉献した。幕藩体制下の寛永二十一年(1644年)領主有馬康純が社殿修復の時の棟札を読むと、神武天皇を日本国帝王の祖と言い、その苗裔が今まで続きこれからも乾坤と共に永く続くであろうと書いてあり、そこには明確な神武意識・天壌無窮の神勅の思想が述べられている。   徳川時代の宮崎郡は延岡藩の所領でその飛び地。 延享四年(1747年)十月、有馬氏改易後転封されて来た内藤備後守に差し出された一庄屋の文書に「是ハ古来ヨリノ地頭様御普請所ニテ御座候」とある。また境内地三万坪は古来より無年貢地で、「村高ニ相除有之候」とある。 さらに「尤五月初午ノ日、六月晦日、十一月午ノ日一ケ年二三度下北方村南方村社人罷出祭相勤申候」とある。これから四十年経た天明四年(1784 年)十月、大野河内名をもって、御本所様へ差し出した調書に、「当社ハ私ノ外神主長田大和、祠官井上土佐三人ニテ諸祭相勤外ニ下社家三十人斗御座候」とあり、延享から天明にかけて次第に神社が整備されてきたことが分かる。 当社が脚光を浴びるのは、明治維新以降。「神武創業ノ始メニ原ヅキ」と言われて御祭神を共に注目された。明治六年五月、宮崎神社と改称、 県社となり、同年八月に国幣中社、同十一年五月社号を宮崎宮と改め、同十八年四月、官幣大社に列せられた。  大正二年七月、宮崎神宮と改称になる。明治三十二年四月、「神武天皇御降誕大祭会」が結成された。総裁に仁条基弘、会長に島津忠亮、幹事長に高木兼寛を選んだ。高木兼寛は 海軍軍医総監で慈恵医大の創設者である。  明治三十二年の帝国議会において、同大祭会に対する補助金の件が議決され、政府より十万五千円が交付されることとなった。さらに同三十八年十月、明治天皇より御内帑金一万五千円を御下賜給わった。これに力を得た高木幹事長は奮起して全国募金に奔走した。かくて急速に事業は進捗し、明治四十年十月に竣工報告祭が行われるに至った。さらに紀元二千六百年に当たる昭和十五年、奉祝会が結成さ れ、奉祝記念行事が橿原神宮に次いで二位となり、境内の拡大整備が実施された。本宮並に皇宮神社の境内地の拡張、流鏑馬(やぶさめ )馬場の設営、玉垣、参道、車道の工事等であり、徴古館も新築された 。ここにおいて現・宮崎神宮の形態が完備され、神社運営の永遠の基盤が確立された。当時の宮司は河合繁樹で、高木兼寛とともにその名を忘れてはならない。  以上のことは先年亡くなった働くものの詩人黒岩敏郎の兄、宮司黒岩龍彦のしるすところによる。(宮崎神宮宮司『日本「神社」総覧』新人物往来社刊橿原神宮・・・同じく神武天皇を祭神とする。 伊勢神宮・・・全国神社の本宗  今年は祭り百景として弥五郎どんが登場する。 弥五郎どんは同名の兄弟が3人いる。兄弟が一堂に会することは滅多にないが、日南市が市政四十周年を記念して第十三回「飫肥城下まつり」が行われた時、三兄弟は飫肥城大手門奥の広場で一堂に会した。1270年目にして夢の三兄弟対面を実現した。長男  宮崎県山之口町の弥五郎どん(円野神社)竹を組み合わせて麻を着せ質素に作られ、頭に鉄製の鉾をつけている。飲んべいで賭け事が好きだったと言われる。次男  鹿児島県大隅町の弥五郎どん(岩川八幡神社)腰に木彫りの白い面を付け、大小二本の刀を差していること。また、人形の中で一番背が高いのも特徴のひとつ。三男  宮崎県飫肥の弥五郎どん(田ノ上八幡神社)赤い面を付け白髭で刀と槍をもっている。大きさは7mもあり、祭りでは小型のものを引き回すという。 南九州に伝わる大人伝説で三箇所が同じ名前であることは起源が一つと思われるが、それぞれの由来がある。「一年の無病息災、」「死者への慰霊」「農作業の儀式」と諸説があり、赤ら顔の大男で熊襲の末裔、南九州を支配した隼人族の首長という話もある。ルーツははっきりしないがいずれも無形民俗文化財として継承されている。 隼人は大隈地方に住む人々をさし大和朝廷に対し自治を求めていた。西暦720年に大隅国守を殺害し反乱した。世に言う「隼人の乱」で、隼人族軍の首長が弥五郎ドンだと言う。 大伴旅人率いる大和朝廷軍に鎮圧され斬首が行われた。隼人族の霊のたたりを恐れた朝廷は宇佐八幡の神託を受けて全国的規模の放生会(ほうじょうえ)を行い、当時この地にあった的野正八幡神社(現在の円野神社)でもこれにならった。それに農村の秋祭りでおこなわれていた死者の霊を慰める放生会が結び付いたとも言われる。 隼人族首長弥五郎人形が祀りの先払いをつとめたとある。放生会とは供養のため、捕らえられた生き物を放してやる儀式のことである。これが隼人族首長説となっている。 飫肥の田ノ上八幡神社の弥五郎どんについては「弥五郎様由来」によると、この地の稲積弥五郎という人が「…一宮正八幡のご神体を負い奉り富国那珂郡飫肥の堡地牟田の……の松と杉の両枝に掛け拝祠すること三冬を経たり神鏡毎夜深更に及び照輝き給うこと恰も明月の如し里民奇異の思を成し即ち牧鹿の宿社(スクネ・豪族)に之を告ぐるにしかれば一社を造立し田宮八幡宮の神号を奉り……鳥羽帝治三年なり彼神鏡を牟田之上に鎮座の地の宗廟とし」とある。 「大人隼人記」に「隼人の四肢を分ち埋めて祭り、或は大人弥五郎の四肢を分ち埋めて、諸所神に崇む、其霊を宥る所と云、鼻面川は其鼻を埋め…」とあり各所に埋葬分祀されたようだ。 おおびと伝説弥五郎どんは、日本各地に伝わるダイダラボッチのような巨人伝説とは全く異質の伝説である。日本列島に住み着いた民族の国造りの秘史でもある。南九州の宮崎県と鹿児島県の三ヶ所の地で継承されており、勝者が敗者の死を悼む日本人の特性を見る思いがする。                                         完            天孫降臨の地の高千穂神社。御祭神は、上古高千穂皇神別名十社大明神という神号。十一代垂仁天皇の御代の御創建で、六国史にも掲載されている。天慶年間には高千穂十八郷八十八社の宗社として、、武神、農産業、厄払い、縁結びの神として広く信仰を集め、鎌倉幕府をひらいた源頼朝は、畠山重忠を代参として天下泰平の祈願をし、皇室発祥の聖地に対する尊皇のまことを表した。境内には、この時重忠が手植えした樹齢約800年の秩父杉(目通り1.8m、高さ55m)がそびえている。三代実録第一巻にもその記述がある1200年以上の歴史を持つ古社。かつて高千穂郷(現在の高千穂町、日之影町、五ヶ瀬町、諸塚村)には554社もの神社があり、その中でも格の高い88の神社を「高千穂八十八社」と言う。その「高千穂八十八社」の総社として信仰を集めてきたのがこの高千穂神社。高千穂神社の主祭神は三毛入野命(ミケヌノミコト)、神武天皇の兄弟となる。他に五瀬命(イツセノミコト)、稲飯命(イナヒノミコト)、佐野命(サノノミコト)を合わせた四柱を四皇子として境内の四皇子社に祀る。この主祭神である三毛入野命が悪神「鬼八」を退治したとされる伝説からゆかりの「猪掛祭」は今も受け継がれている。鬼八を退治する三毛入野命の像を本殿回廊の東側で見ることができる。2007年10月29日コメント(0)「十三夜に曇りなし」と言われる十三夜。あすは24節気の一つ霜降 としたら。地球温暖化で季節のサイクルにもきしみが生じている中、暦通りに秋の空、冷え込みが戻ってきた。秋は秋らしく。そのらしさが戻ってきてほっとしている。純粋無垢なる頃の英雄力道山伝説の後を請けたる沢村忠。後にも先にも二人につづく全国規模の憧れる子供の視点の英雄伝は無い。巌流島の猪木と煽っても、桜庭と柔道王を組み合わせ違反の滑るオイル塗りで再試合を目論もうとも所詮英雄列伝には同時代に生きた爺どもは納得しない。その憧れの人のことを書くにどこに馬鹿にする姿勢が出てこよう。実況を疑似体験のテレビで見てたわけで同時代人の高揚する雰囲気が若者に解ろうはずが無い。愛すべき競技の存続を祈るがため大意を書いた。間違い個所が多多あるいつもの老害ブログである。伝統のボクシングを危うくすることを亀田の投げ技の非法性を言いたかっただけ。即座にブログアップしたが案の定大きな話題になった。トランクス一枚でグローブのみに頼りリングに登れば解ること。孤立孤独の暗闇の、果ては真っ白の孤立から、唯一救うコーナーを陣取る人々は神の聖域である。セコンド陣がアンフェアーな指示を出せば迷わず従おう。地獄から逃げ出せる、こみ上げる恐怖心をいなせる唯一の道である。厳格なるルール維持、フェアーなリングはジッジ=主審次第である。闘争心維持の根性をつけるための土俵の相撲部屋の特訓とは叉違う。相撲は断じてオリンピックにはなりえないであろう。野球でさえこの中国大会が最後。オリンピック種目維持は困難性が伴う。ボクシングのルールの単純性はオリンピックの華としてもいいはずだが設立意図からマラソンである。ブログの為政者気取りの小心者はその筆者のいとも見抜けじ、過ち間違いを見逃さず、K-1には投げ技はないと比喩の意味を弁えずことさら大袈裟に描く。世代的に危険なボケ老人世代はいつか自分の行く道たるでさえ忘れ、老害ブログは参加する権利は無いと決めかかる。過激なるルールの格闘技は庶民スポーツになりきれず、大衆化した世界の目標のオリンピックに昇華できないことをいってるにすぎない。単純なる年端の頃の幼き頃の英雄を何故に蔑もう。文脈を読み取れぬらしい。意図的にそうしてるのが常に他人様のブログが気になりチョッカイを出し喜ぶ不逞の若造。なまじっかの知識、力があるから厄介だ。いずれ2ちゃんねるに、この爺を晒すであろう。「矛を収める」なんてウソっぱち!舌も乾かぬうちに間髪いれずブログアップ。狙った獲物は見放さない。異常である。挑発するのは趣味ゆえお得意でここまで来るとまさに芸術品。朱書きの技をもお使いで老害のブログの追放を広めようとする。即座にブログアップとこの晴天によほどお暇らしい。釣りや登山や一度の人生をPC依存症からの脱却、ブログ症候群に陥ってるのを自覚されたがいい。バーチャルでは彼女もできず、根気の要る幼児育成はムリで家庭はもてませんぞ!地球温暖化の異常気象の乾燥で流石のシュワちゃん知事も手立て無しの山火事。温暖化はアラスカやロシアをも巻き込んだ一触即発の地球の火事状態。日本はテロ特措法があと4日で切れる緊迫ぶり。世界の潮流と民族自決の将来が問われてる時期。そこのとこに力あるブロガーは言論を戦わすべきで、地球規模で救い切れない状況が起きている事には目をつぶる。国家権力に素手で立ち向かった団塊の世代は体の痛みは忘れられない。ジュラルミンの楯でデモ隊防止の壁を作るはいいが、見えぬところで亀田ばりの顔引掻きならぬジュラルミンの楯で足に「ドス~ン」と指が切れる感覚でやっている。若造!笑う出ない。身銭をきって国会周辺を取り巻いたんだぞ、この間違いだらけのブログ管理者。勤め先を首になるのを恐れながら妻や子が頭を横切りながらも行動した。幕末開明の行動の学問・水戸の陽明学徒との故でもある。亀田を叩くならセットで権力の牙城TBSを暴け!その文意からして十分なる力はある。弱きを助け強きをやっつける勧善懲悪にブロガーは喝采をおくろう。神より与えられし能力を腐らさすな。間違う出ない。その力は社会貢献に費やせ。場末の老人に焦点を当てる出ない。怒り怒髪天をつく状態では文脈から大意を読み取れぬ暴走ぶりがつづくのみ。老人ゆえだけの理由で死を宣告しといて他方、ゆるせぬ!わびろ!・・・笑止!ブログの番人面しゃがって!何様のつもりだ。両親の顔が見てみたい。亀田家的思考形態の蔓延化を垣間見る。為政者にして道徳教育母親教育が隙を突いて持ち込まれようとしてくるはずだ。この不逞の輩がいるゆえ老人は断片的に認めざる得なくなってくる。所詮ブログされどブログそう他人様のブログを挨拶もなく覗き来てイチャモン付けなさんな。初めてのお客さん。それでもお茶でものんでいきな。そうかたぐるしき爺ではありません。来る人拒まず、去る人追わず。長き苦難の人生を生き抜く知恵ですぞ!そうトンガリなさんな。たたかう相手をまちがってらぁ~。おにいさん~。勤め先でもおなじことができてますか二重人格のお方。上司に年上にやってごらん。矜持されてる仮面は一挙に剥げよう。高度な論理性を持つ民族だからである。バーチャルゆえ臭いも香りも伝わらない。PC病に犯されてると診断しましょう。年寄りが若者にPCを介在させてのお話に勝てるはずが無い。強者が弱者をいたぶって知識人の人間的価値があろうや。知恵ある貴君たる若者の論理性がとわれている。いずれくたばり朽ち果て老い先無き老人、老醜。ほたりなさいよ。お兄さん。2007年10月28日コメント(0)「十三夜に曇りなし」と言われる十三夜。田舎町の宮崎でさえ街中の屋上にこの8月にボーリング場と併設でのスーパー銭湯がありがたく完成している。湯気のさき 裸でみるや 十三夜まんまるい満月ではなく、少しいびつな晩秋の名月を、ながめ、たたえる瑞穂の国の一人。。「極楽~極楽~」この三ヶ月冷房での体の季節変わりの偏重を体に覚えこませるには風呂の繰り返しが一番の調整法。古来より取り入れられてきた。カゼなぞにかかるやつの不健康管理が存してるのがあきれる。神より預かりし自己の体内が持つ自助調整能力を生かして季節変わりにそなえれば風邪で仕事を休むことは無いはずだが宿りし自己治癒能力を知らぬ現代人の偏差値知識を疑う。、晩秋にながめる「後の月」には、真円の満月よりも、まだ満ち足りぬ月がふさわしい。徒然草にも「花はさかりに、月はくまなきをのみ賞するものかは」とあると新聞記事が教える。完全形よりいささかの過不足に味わいを求める先哲からの知恵。美は乱調にあり。陰影礼賛に通じる美意識が十三夜の月には隠れているようだ。場末の老人のブログをあげつらい楽しむ不逞の輩の若造にはわかろうもない日本人の美の原点である。沢村忠の件は週刊誌の特集の英雄列伝の記事の記憶からで、根拠はあり、現に釣堀を尋ねてもいる。黙したんではない。人権問題もあり、記事の範囲内で英雄列伝のことは知ってることの週刊誌記事範囲内で多くは書かない。偏差値教育の勝利者たるのみの底浅き人生経験の若者には所詮解りえないこと。何とかの耳に念仏で多くは語らない。書いたは、書いたで、唯我独尊の御仁また年寄りの変換ミスや気に入らぬ意見をあげつらうのは、わかりきったこと。筆を折らざる得なかった。馬齢を重ねてるとはいえ、そこまでおろかではない。最強のボクサーの名をほしいままにした蝶のように舞い、ハチのように刺したモハメッド・アリ=カシアス・クレイも過酷なルール苦闘の戦歴から病気を併発、五体満足でない形でのリングを去った後の平和祈りの生活。主因はパンチドラッカーであろうと普通の大人たちは診断する。交通事故の追突時の首の不安定さたる、むち打ち症みたいなものなんだろう。。病名には実態たる頚椎の言葉がどこかにつくはずだが、似たようなもの。。アントニオ猪木は悪評のリングで寝てた!の戦術のアリ戦、異種格闘技戦で名を成して大きくはばたいた。亀田次男坊を打ち砕きメジャーな名声であった王者内藤が一躍メジャ-な名の内藤として世間に響き渡った如しである。日本人の人間性を兼ね備えてる強さとやさしさが同居してる真の王者内藤としてまさに名実共にチャンプとなりえた亀田効果。月の姿なら少しばかり欠けているのも美に通じるが重箱の隅をつつく趣味人にはあきれ果てる。場末の老い先無き老人の変換ミスやボクシングの世界戦15ラウンドと書いたのを明らかなる常識ミスをあげつらい悦に行ってる知識の使い方の若者の将来は日本の教育の欠陥を実証している。これでも一面では優秀なる会社員なんであろうが、ジキルトハイドよろしく変節するんであろう。この小人ぶりの人生は危うい。これではミスばっかり繰り返す幼子の育成の子育てはできず、女も愛想づかしで家庭を持つのも無理だろう。もっと大人にならにゃぁ~。一回り以上の年齢差ぐらい感じとりゃぁにゃぁ~、それを日本人生活道徳の高貴な人格を持つ品格ある人とならにゃぁ~。年寄りは確かに厄介モン。それをあやすのも能力。死の宣告のみではその場をいやぁな雰囲気にするのみ。ブログ周辺は荒れる。そう簡単に爺どもを殺すでない。ブログ能力の不足や欠如はご愛嬌。ゆるしてやらにゃぁ。老人の特権さ。いずれ「うぬ」が行く道でさえある。論点をずらすのが得意な詭弁学をドコのゼミだか知らぬが修められはしたのだろう。知識の使い方、立ち向かう相手を間違えてる。権力のジュラルミンの楯に立ち向かう実行力は無いのにひ弱いものは苛め抜く。また、日本民族の世界に誇る暗黙の道徳たるモラルの欠如。天に唾する例えさえ解らぬのか品格を語ってるのだからチャンチャラ可笑しい。難解なる語彙や言い回しはある意味天然、大事なブログこれぐらいにしとこう。、あけて今朝は24節気の一つ霜降(そうこう)。札幌では初氷。日向の地も九州山地の尾根をなす、高千穂では初霜。日本に伝わる歴は温暖化さえもろともせず古来より伝わる自然の変化を堅実に伝え表している。オリンピックは4年に一度、移ろい早き世情はとても待てず4年は長すぎるのでその合間に世界陸上とか世界柔道とかの冠をいただき、ミニ五輪、プレ五輪が開催される。柔道は嘉納杯と福岡大会をあわせた東京大会が12月に第一回として開催される。。ルールが柔道本来の姿から遠のいてる国際大会。世界に冠たるヤマシタが役員選からこれまでの部下に敗れた。「一本!」の豪華さこそが本来の姿で時間内で逃げ切るレスリングスタイルでは武道本来の持つ武道の精神性が失われているきらいは否めない。ルールは形を変えつつあるオリンピックと違い古来の柔道のルールに近いはずだ。東京大会での宮崎勢の雪辱を喫してほしい。こちらはさすがに職業柄か、「5年に1度のオリンピック。」エエッ!オリンピックが5年に1度??そうなんです。それも宮崎県が「金メダル」を二つも受賞したんである。オイッ!オイッ!大変じゃん!金メダル二個!?世界柔道での無敵の井上康生をはじめ本県が派遣した代表選手の成績がメダルに届かなかったショック一挙に解消ジャン!のんびりと5年に1度は「和牛のオリンピック」と呼ばれる第九回全国和牛能力共進会(全国和牛登録協会主催)。、本県産牛が種牛と肉牛の2部門のグランドチャンピオン(内閣総理大臣賞)に選ばれた。県産牛は初の受賞で、系統や生産月齢などで分けた区分別の大半でも上位を獲得。高い人気の「宮崎牛」ブランドの実力が実証され、畜産関係者は今後の販路拡大に期待を寄せている。共進会は鳥取県米子市を主会場に14日まで4日間開かれ、全国38道府県から約500頭が参加。種牛と肉牛の2部門、9区分(種牛6、肉牛2、総合1)で繁殖能力や肉質を競った。 本県からは8月の代表牛決定審査会で選出した28頭が出場。7区分(種牛4、肉牛2、総合1)でトップとなり、全国和牛登録協会県支部西臼杵支所の雌四頭(「奥高」系)と宮崎中央農協などが出品した去勢肥育牛3頭(父牛「安平桜」の子ども)がグランドチャンピオンに選ばれた。これはことである。松坂牛など名だたる産地を俊がしたのだ。そうなってくると連続優勝に向けた次回の取り組みが待たれるわけだが高齢化した農業年齢上後継者の状況で決まりそうである。ところでそれも磐石。5年後も金メダル維持は安興。後継者はバッチリである。 第54回宮崎県畜産共進会(県畜産振興協議会主催)の肉用種種牛の部でグランドチャンピオン(農林水産大臣賞)を獲得したのは居並ぶ全国有数の畜産農家を差し押さえての高校生の受賞である。「高校生?」「肥育牛でチャンピオン?」どうにも解せぬ。昔の農家の子ではあるまいに。{間違いない!高校生?!}オイッ!オイッ!大変じゃん!県内金メダル!高鍋農業高畜産科の生徒らが育てた「みねこひめ3」が快挙達成。東国原知事を表敬訪問し報告。片野坂孝寛3年生が「朝早くから夜遅くまでみんなで協力して育てた。畜産を志す者として、賞に恥じない活躍をしたい」東国原知事は「皆さんの牛を育てる腕はプロと同じということ。後継者不足が言われるが、将来の本県畜産業を担ってほしい」とたたえた。共進会は2年に1度開かれ、今回は今月5、6日に新富町であり、地元紙のトップ記事を飾った。県内の肥育農家から3部門に計136頭が出場し、体形や毛並み、繁殖性などを審査した。「みねこひめ3」は肉用種種牛部門63頭の中からグランドチャンピオンに選ばれた。うれしさが記事にある。 新藤隆宏3年は「みんなで愛情を込めて育てた牛が評価されてうれしい」ここを出ても農家後継になる人が少い実情を解消できるのか。2007年10月28日コメント(0)臭い臭いは元から断たなきゃ~ダメ!いえろーはっとの社長よろしくせきやんもトイレ掃除に謙虚に素手で励む。「せきやんさ~ん~」トイレ修繕職人の方が来られたら、よばれる。50の手習いは還暦近き人さえ容赦ない。またおのずから鍛えるため挑戦している。仕事中の電話受話器を放り投げ仕事を放棄してあれやこれやと漏水個所を指示している。それが伝播したのかどうにも老醜=老臭らしい。スプレーさえ二本目にいってる気遣いをしてるのにこれである。午後三時に勝手に席変え。憤怒を押さえきり三流会社の実態を見る。老いはは公平だからいい。誰にもやってくる。机イス一つがサラリーマンの命。三メーターその机まで10年立ったよ!の悲哀は何も無い。テレアポは女性の特権的仕事やも知れぬ。ただし、影ひなたなく、働けばのお話ではある。しょせんダイヤルを回しただけが成約数につながるのみ。要領を本文とすべしは皇軍の裏規律だけではない。いつの世にも通ずる普遍の処世術のようだが、それができてればせきやんのこの状態は無い。せきやん個人記録のギネスモン的成約予定が仕事終了後に一挙に舞い込んだ。経済的成長は経済的繁栄。どうも給料が出そうに無い実績。武士は食わねど高楊枝。送料を自己負担してでも将来に賭ける愚か者。相変わらずのボランテア。ギネスにその名を残す最大規模の室内ウオーター遊び施設シーガイヤの中心施設は人工の数メーターの波を作りサーフィン波乗り族さえ満足させた。だが、この夏でついにその施設は閉鎖された。リゾート法適用第一号でこうである。政治的火付け役は福田康夫のころで父福田赳夫のおきみやげ。正月元旦は必ず宮崎から始めた福田赳夫。息子福田康夫総理もそうせにゃぁ~。橋本竜太郎の総理時代ではあるが政治は結果責任。シーガイヤ運営会社のハゲタカ投資集団はババを引かされて転売できず右往左往していよう。3000億円を超えるフェニックス・グループ佐藤棟梁の投資をわずか200億円で取得してもこれである。第一号で味を占めたこの集団のリップルウッドは新生銀行=旧長銀を支配下におき2004年に上場した。2000年の落札は不正落札と訴えつづけてきたマスコミの寵児がいた。今の金子勝教授や内橋克人みたいなテレビ出演頻度であった。。03年りそな銀行救済に対してのインサイダー疑惑をマスコミで追求。証券監視委員会にこの問題を追及するようテレビ番組、自分のレポートで訴えつづけてきた。植草一秀(46歳)10月16日地裁判決 もちろん国策逮捕ゆえこんなことでも懲役4月の実刑判決!笑止!バカヤロウ!場末のブログにブンドはブントとカキコするヒマがあったらこれを追求してくれ。おなたが希望しようとしまいとあなたも老いしぬ。尊敬する先輩方と同じように死にいく自分の親にはどうだか知らぬが、老人ブロガーに死の宣告をする余力があるブロガーならブログの力を示すためにも焦点を国家にあてろ!人生の先輩として進言する。神のくれたる能力と親が手塩にかけ育て上げ、自らが仕上げたその能力を住み良き国家作りに正義の矛先を向けるまでに成長してほしいと切に願う。場末の老人ブローカーのミスをあげつらい謝罪せよ!といじめて何が面白い。わたしが自分の間違いのボクシングは15回戦だの認識で書いたのを指摘されたあなたに詫びる必要がどこにあろう。誰でも知ってることのミスにすぎない。個人的お話でない。それでどれだけ名誉を傷つけ迷惑がかかったというのか。せきやんのまちがいは初歩的な基礎知識での間違い。指摘とおりである。一本指変換を睡眠時間を削って毎日書いてるほうが大変である。間違いにおびえてたらブログは閉鎖以外に何もない。「ヤッチャッタ!ゴメン」とは人間の上昇志向の正義の発露。指摘を受けまた!ダメダ!正直そう思っている。あさしょうりゅうの題目でかいたとき山田洋行を内田洋行と誤記して指摘を受けた。コキコを頂はずか知ったらありゃしない。関係者であったら名誉既存である。間違いですまされない。それでも書き直し訂正をしていない。居直りではない。間違いをしでかしている。ことを残すのも一つの自戒の生き方。恥がそのせきにんが図~と背負わされている十字架。公判では矛盾が噴出。政府中枢がかかわった疑惑経済疑惑を追及していた。口封じの逮捕の可能性尾が強い。冤罪だとすれば誰が何のために植草教授をはめたのか。小泉内閣はあちこちにその残滓を残している。退出すべき企業は市場から退出させる。の方針のもとリソナを値下がりを放置した。国内外の誰もが破綻処理されると思っていた。03年5月17日救済を発表。株価は急反発。大もうけした疑いがあるというのである。何故こうなったかは当時の頭取が経済政策を批判していたからである。米国の関与も指摘されている。小泉竹中は03年前半頻繁に連絡をとっており、5月17日以降もっとも利益をあげたのは外資ファンドであった。竹中平蔵、金融再生プロジェクトチームの木村剛公認会計士協会長奥山草男疑惑の検証の人物と指摘した。だが不思議とマスコミは一切ふれない。上草教授の悪印象宣伝に固守している。。矛盾点は広範で明らかになっている。週刊誌女性セブン小学館痴漢で示談7回の過去朝日放送「むーぶ」でその記事の紹介性癖をも酷評。男女二人のむつ見事をも明らかにできるというのか。上草教授は根拠の無いと民事訴訟。「酔って覚えていない」このような発言はしていない。いったんは犯行を認めたもののとの表現もあるがその事実は無い。ミラーマン、サワリーマンなどの語句で揶揄した陰湿が大量発生芸能人ビートたけしテリー伊藤は根拠なく変体呼ばわりして嘲笑ネットには攻撃だけのブログもある、UEGUSAで始まるネールアドレス。支援ブログそっくりのダミーサイト内容を真似た悪質の日記が毎日更新される陰湿のこれらの人権侵害それには大手広告代理店関与している。巨大インサイダー疑惑経済事件があっての植草些細に疑われてる捏造事件その背景にある隠そうと必死の経済事件日米にまたがった経済事件可能性がある。痴漢にかかわった事実が無いまま矛盾した目撃証言。不可解な不問に付すほくそ笑む疑惑の当事者テレビに週何回か出演する寵児が2004年スカートをねらった手鏡事件で逮捕された。さらに06年9月22日女子高校生の尻を触ったと逮捕事件となったのは作為的異変に気づいた男性二人が取り押さえ駅事務室に連衡。すぐに警察署員が来て逮捕。被害者に合わせず公判には一度も出廷してないしていない被害者車内で二人係で逮捕状態にされた。2分10秒で担当巡査が出動指示を受けている。周到な準備の必要とする早業。検察側目撃証人が取り押さえた男性二人を私服と詠んだ。4ヶ月拘留自宅と事務所の強制捜査。パソコンの押収支援者の自宅に警察官の操作。事情聴衆の別の支援者。通常の痴漢事件と対比すればいい。武士道とは死ぬことを見つけたり。一度死ねば、地獄を見ればホンマモンとなり人間は強くなる。ニュースをみてスカッとはしないがホッとした。・・・・亀田大毅は内藤の東京都内の自宅を1人で訪ね、反則行為についてわびた。内藤はこれまでに、「もう終わったこと。もう怒っていない」と話しており、謝罪を受け入れた上で再起へ向け亀田大毅を激励した。 父史郎は混乱を避けるため謝罪には同行せず、内藤に電話で「迷惑を掛けすみませんでした。次の試合も頑張ってください」と伝え、内藤は「いいですよ、お父さん」と応じたという。 亀田父子は17日に日本ボクシングコミッション(JBC)を訪ね謝罪。引き続き開かれた記者会見で亀田大は一言も発言できず内藤側への謝罪はしていなかった。・・・ 素質あるまた努力をしている亀田大毅はこれから飛躍しよう。手のひらを返すとかカメレオンとか変質者といわれようともせきやんは180度自分の意見を変える。、一人の人間であり日本人の生き方論に固執し、30歳をこえたる子を持つ親だからである。マスコミ慣れとは言え今までと違ったマスコミの前にさらされた。これからが本当のハングリーの一年がくるからである。これで強くなる。270のボクシングジムは自前経営。世界チャンプ内藤にして10万の手取りしがなく妻の内職に頼る。どこも経営が厳しく亀田式はひとつの経済問題を解決する選択方程式であったのであろう。相撲みたいに墨田両国に会館がある出なく、NHKがそこに30億円も支出してる。そこに53の部屋がぶら下がり運営されてるのとは大違い。宮崎の唯一の公式ボクシングマットは花が島にあったが、経営難でたたんだ何度となく試合があったが、ほとんど赤字。マットは恥ずかしき値段で「処分」された。せきやんもあの公式マット上の感触は終世忘れない。単調に見える相手をまみえたファイチィングはなまはんかじゃぁない。、2007年10月19日コメント(0)産経新聞と朝日新聞がコラムで重箱の隅をつっつきあいの様相。沖縄戦争での集団自決で教科書の書き換え事件の集会参加者が4万人か11万人かと表面的にはたわいも無い。背景にはウルトラ保守の安倍政権の「お下がり内閣」の書き替えを指示した伊吹文明幹事長・二階俊博総務会長の文部大臣経験者の小泉安倍政治残滓との政治的抗争がある。之に谷垣貞一政務調査会長、古賀誠選対委員長の四役体制の最高布陣が被る。安倍政権に楯突いた朝日言論人と安倍政権擁護派の教科書改訂を進める自虐史観廃止の産経文化人グループの対立構図である。天下の公器たる第三の権力の保持者としての知恵も誇りも無いそこにまた火種が惹起し事は政界さえ巻き込んでいる。永田町を震撼させた一人の女性の逮捕の続報がどうも官製ガードがかかっているようで事件の詳細が外に出なくブロガーの気になるところ。他人所有の表参道の不動産を110億円で架空売買し仲間三人と共に一人の女性が逮捕された。「議員になりたい」が口癖の強気の上昇志向。二百万近い家賃を払った上にお手伝いさんを使っての豪華な生活ぶり。二瓶絵夢NIHEI・EMUは本人の説明してた「祖父は中曽根康弘と懇意で大病院を経営してる」のふれこみは真っ赤なウソ。両親の離婚後は保険勧誘員の母のもとの青春の蹉跌状況で育った。高級コールガールとまでいかないまでも生きるすべを駆使していた成り上がりものの悲しき生存その末路が浮かび上がる。売名は北朝鮮問題からで、急に大物に成長した安倍信三の政治家経歴に似ている。救う会お墨付きライターの地位を得る。江川詔子が浅原彰晃のオーム事件で急に名を成したようなもの。拉致事件は旧社会党内の共和国連絡部の仕業だのガサネタを利用する。SAPIO、諸君にも同様の情報はあった。怪文書であることは即座に解ったが正論・変集部が取り上げる。「やろう」とけしかけたのは救う会。総選挙にも立候補した人が事務局を勤めるあの救う会である増本明美事務局長の妻は劇団を主唱する宮崎の人。今年入籍した。諸君に登場するライター・仁上姫芽NIUE・HIMEはペンネーム本名のアルファベットを組み合わせたもの。小島新一産経新聞記者の知恵といわれる。大阪に家族を残し正論変・集部に転勤単身赴任。大島変集長には仁上姫芽の書いた原稿の信憑性を問われるのを恐れ共謀して隠蔽する。「小島が最後まで守るというのよ。」   「私って周囲からかわいがれる存在なのね。」小島はなおも二瓶絵夢に誌面を提供する。「おかしいのでは」といわれると「編集長のの大島?あんなのどうにでもなる俺が決めるんだ。」とほくそえんだと言う。事実が発覚すると安倍信三の家庭教師の平沢勝栄に二瓶絵夢を使えと押し付けられた。「オレも被害者だ」という。政治家は固そうな活字メデアに習性的に弱い。正論なら右派政治家が飛びついてくるはずだ。二瓶絵夢狙いどおりであった。山崎拓事務所で「祖父の下での生い立ち中曽根首相と仲良しで将来山崎拓は大物になる」とおだてあげ秘書を信用させた。「紹介者は平沢勝栄議員では断れなかった。」事務所談。正論11月号「わが自民党改革論」は二瓶絵夢が山崎拓議員にインタビューする構成である。さらに同号で「両親が語る蓮池薫・祐木子夫妻の苦悩と喜びの日々」を担当する異例さ。中川昭一「日本よ大儀の前にひるむなかれ!」02年2月号正論。も二瓶絵夢のインタビュー記事である。これが最後となる。何故か。「拉致犯人」とされた旧社会党=社民党が動き出した事を知った大島編集長は「オレが訴えられる。社民党に謝罪する。」謝罪を拒否する二瓶絵夢と対立したからである。小島氏ももとの大阪産経新聞社に復帰。処分お咎め無しである。安倍信三、山崎拓、中川昭一いずれも二瓶絵夢との関係がとりだたされている。安倍の突然の政権投げ出し理由に、安倍自身が小沢一郎が会わなかったとインタビューをしていたが小沢もいい迷惑。今では誰も信じてなくお詫びさえなく亀田家のお詫びインタビューをしながらも投げ飛ばした本人から謝罪一つ無いのに似ている。一年の出場停止のライセンス取り消し。一言も話すことなく大毅は退席。金髪の短め刈りがおわびの表現とは残った親父のコメント。脱税と女に怯えが云われてるのが永田町の論理。圧倒的グループ力のTBSの包囲網にどう対抗するのか。似たような事例はあちこちに横たわっており、無言に耐える被害者の数は増えている擬似鬱患者も含める数とほぼ一致しよう。知らぬは目の前の管理的立場にある人のみでどこにも静かに忍び寄っている。実にこの国はシロアリが見知らぬ間に基礎的部分を食い散らし今にも崩壊寸前である。対策を取れないのが宿阿で処方箋の書きようが無く、直しようが無く困ったものである。2007年10月18日コメント(0)10月は神無月。横暴が横行徘徊するのはやむ得ぬことか。ここには近頃のわかものは・・の爺の悩みが存在する架空空間の匿名空間。天孫降臨の地は鹿児島説と宮崎高千穂説と二分している。昭和15年皇紀2600年のとき国学関係のすべての学者がそれぞおれ総動員され論争があった。先年は梅原猛が古代史を歩くの著書で日向を中心とした説に軍配をあげておられる。いまはほぼ国民の総意、鹿児島を神話の国とは呼ばず、日向宮崎は神話の国なんである。時の人東国原知事もその財産を見逃さず、盛んにPRしている。ここまで高学歴知識偏重社会になると時流に乗ってるのかもしれない。どの民族も国つくりの荒唐無稽のロマンをもつ。月に人類が立ち歩こうとも「そんな~」と非科学的作り話を一顧だにせず歩織り出さない不思議さ。それも歴史を紐解けば歴史はすべて為政者の歴史と知ってのこと。日本誕生の歴史も島津藩の力の前に歪められている。沖縄の教科書記述の沖縄戦の実情の捏造どこではない。このブログ鹿児島の人いたっけ?独断でスミマセン。明治期の内務卿大久保の裁断の通達で鹿児島に記紀=古事記日本書紀の聖地は決められた。それでも、民衆の間には根づきはしなかった。昭和15年の紀元2600年国学者関係の学者はこぞって日向鹿児島を訪れ両陣営に分かれ論争した。象徴するモミュメントは日向の地にある事が悠然と記紀の結論を示している。八紘一宇の塔である。その荘厳さは現地で見ざるして理解は不可能である。GHQ占領時代も崩壊の危険を乗り越えたのも神の国の業がなしえた逸話が幾つも残る。この塔に生命を賭したのか史家・三喬たかしは先々月逝った。東京オリンピック聖火リレーの国内出発地点の基地に選定されたのはこの八紘一宇の塔のある八紘台。歴史を大事にする国にふさわしき威厳差を保ってた品格のある国の時期でもあった。いまはブログ文化なるものが席巻している。チョットのミスを見つけ大意を読まずしてそこをあげつらう。変換ミスとか趣意を捻じ曲げて焦点をそこに当ててくる。初めから勝ってるカラクリがそこにある。ジャンケンのあとだし。仲間も単純なる勝者を称えるので一躍小市民的その場の英雄の出現である。それに悦にいってるブロガー。笑止!この人たち限ってブログを占拠して市民意識を誘導しようとの為政者の策謀などは追及しきれない。一つ一つ丁寧に週刊誌記事などを拾い集める努力は怠っている嫌いがある。亀田三兄弟の三番目は果たして一番強いのか。いまのところせきやんのみ一人認めない。週間誌記事によると外国遠征4連勝もウソのTBSも含めた捏造である。正確には6戦4勝2敗である。2敗はいずれも主審がリングで両者の手をもち、高々と亀田家三男坊で無いほうに勝者としている。ではなぜ敗戦が記録されない。?いや正確には知らされない?そこからが亀田流。無効試合を申し入れる。正確には敗戦でなく審議中である。後にも先にもそれで判定が覆った事例は無い。無効試合ともある。後にも先にも無効試合は無い。取材人はTBS以外は細かく入場の際もチェック。TBSのみが正確な現地情報。試合内容は入場者とビデオが知る。オット!神様を忘れていた。観戦してた日本人手記も週刊誌に記事にあるが件のブロガーは所詮週刊誌記事と採用されないであろう。ではTBS撮影のそのビデオを出せば明らかなのに出ない。権力とは何も為政者が行使するののみを言うのではない。マスコミは第三の権力。それが亀田家についている。三男坊も強くない。こう主張するのはせきやんである。ただ、努力を重ねていけばの前提抜きで現在である。16歳と限りなき前途がある。若さに優る財産はこの世に無い。玉磨かざればひかりをなさず。栄光は報道関係者が作り出すものではない。特にボクシングにはアメリカン・ドリームの体現者のスポーツ競技としての夢が一番はらんでいる。庶民は明日のジョーやはじめの1歩で自分の姿を乗り映すしかない。なぜか。ボクシングに3回戦ボーイと揶揄する言葉がある庶民がマットに登ってみるがいい。あの単純に右左の動作、ワンツー・ワンツー。一回も持たない。ボクシングのシンプルな規則でさえその基本動作を一ラウンドもてる人は庶民の中にはいない。それにけり技や投げ技がくっついたらどれほど過激なルールであろう。K-1などがスポーツと呼べる世界の共通認識をその象徴たるオリンピック競技の認定協議の承認を得るはずが無い。過激すぎるのである。見てる部分はいい。スポーツはやってこそスポーツで観戦のみのスポーツは歪である。人物は西郷隆盛に尽きる。菅原道真も源義経も南方熊楠さえも睥睨させよう。敬天愛人の生き様が日本人にあう。清濁併せ呑むおおらかさが右翼左翼から日本人の原点とされてるところである。頭山満、北一輝、赤報隊相良総三、宮崎淫天、四元義隆、児玉誉士夫、鈴木邦男、安岡正篤、重信房子、土井たか子・・志し高き人に四つもある南州神社を奉じない人はいない。戊辰戦争敗者の大将榎本武揚さえ明治政府の要人にむかえいれ、酔っ払いさえ封印した人物主義。戦後60年代多くの学生青年はこの国の将来を政治行動に託し自分も国会周辺に身を置いたものだ、北小路敏、盲目の黒田寛一らの初期ブンドは前衛党まで昇華してしまった。浅間山荘の悲劇は日本の民主主義の悲劇であった。公園付近のおバアさんが裁判で勝つ可笑しき国家。ションベン小僧は小市民的退廃民主主義を喝破し感心している。サピオ小林よしのり風のご意見は共感を得よう。新しき文化の創造期たるブログ文化の欠けてるもの。ブロガーはやさしくあれ!である。匿名性も有り日本人が試されている。ルソン島北部のマヨヤオにはイフガオ族が祖先のスタイルで暮らす。山間の山村集落は市内の火葬施設が遅れ、庶民は極めて緊縮生活を強いられていた。集落内の共同体的労働貯蓄のかてり、もえの助け合い制度を利用して土葬で葬儀は営まれた。墓地は隔週日曜日子供会の義務的清掃行事実践の場。ただ6月梅雨時期は棺おけが腐り、地面が崩落崩れ落ちる。「ひぇ~」白い着物に頭に白き三角を巻いた何ヶ月前のお葬式があった・・・ばあちゃんじいちゃんのよみがえり。何度か地中の仏様を見たことがある。明治の人・岩雄の義理の弟はルソン島北部で戦死してるが山奥の地であったんであろうか。木鋤のみで谷あいに生活の基本の食の基地たる田んぼを作り上げた。懸樋が棚田の上段の田に引かれ作物の命の水が導入された。1万7千人が高床式に戸いた壁板。原始的ではあっても野蛮でない。壁板、敷板は磨ききって光っている。日本の30年代の現風景がある。かってどの家も板の部分はとりわけ大黒柱は黒光していた。縁側の板縁は米ぬか入り雑巾の乾拭きでどこのおうちもピッカピカ。縁側は南東の利用場所は季節に合わせて変われど道の通りからも見える社交場。夕方はお茶は焼酎に変わり急ごしらえのお酒場状態。テレビ文化が入り込んで日常の集落の生活は都会化ナイズ。金太郎飴状態の全国津々浦々の生活環境を文化、先進国。脱亜入欧は石の建物を除けば本家を凌ぐ木造一戸建ての形で実現している。我他人にかかわりあわず。非難はあれど、向こう三件両隣の生活は消えた。ガラスサッシの外気と遮断された内外が区切られた気密性の高い大気の密室、化学壁材に覆われ衛生的共同給排水、冷暖房完備の西欧的文化の住環境に変化した生活環境。それを文化と呼べるのか。介護保険が運営に困っているのは過去に学ばないからだ。PC文化もそうである。パソコンの利用にウィキペデアから学ぶものがらの便利さを感じていよう。歴史はなく、つい先年の01年に英語版がでて、今では250以上の言語を1400万人が利用している。700万人は日本語利用者.200万個語句の英語版。40万の日本語版。これを最高の字句を収めたブルタニカでさえ6万5000項目、32巻。途方もないウィキペデアである。アカウントと利用者名非ログインアイデインティファイルだけで編集をおこなう。6割がIPアドレス衆遇化・・匿名言論集合知が生まれていくネットの理念崩壊を憂慮するWEV2・0も諸刃の剣がある好例論理的批判官僚が参加すること情報疎さと公平な書き込みは紙一重孝平でで客観的が要件正義の反対は悪でなく叉別な正義クレヨン新ちゃんでさえわかっている。けしからんと嘲笑してて住む問題でない貿易相手国さえ変化してるこの国。1990年米国31,9台湾7,6豪州6,9中国6,6タイ5,306年米国22,2中国18,3豪州9,2タイ5,5カナダ4,685年於プラザ合意が全ての出発点。ここからが生きてるものの歴史である。ドル安円高強い円海外生産拠点開発輸入の大手スーパー国内や品薄乱高下シイタケネギさえ周年かセフティーガイド孤食化の核家族昼食簡単手参らずホウレンソウの残留農薬02年冷凍枝豆農薬魔法の薬バケツ素足青い粉中国人は食べない。ブーメラン現象自分がまいた種冷凍野菜は喜寿がない。基地サラリーマン軍事石油食料74年のCIA戦略人口食料、異常気候傾向の潜在的意味安岡正篤陽明学の権威の警告「連邦議会決議!」ええっ!また・・なにが・・被害者意識さらには自虐史観とかのことばもあるこのごろ。日本人はあらゆるところで自信を失いかけている。ほんの数ヶ月前に「慰安婦の問題を決議」され右往左往してた日本の政治ゆえなおさらだ・一体何が、あっ!お客さん・・2007年10月17日コメント(0)の夕日は釣る瓶落とし。夕方7時はスッポリと闇の中でスッカリ暗い。ほんの先日の夕方7時はギラギラ太陽が熱くて恨めしがったのはウソみたい。ひよりひよ はげしくサンマもゆ今日の誕生日の花はキク科多年草ヒヨドリ草白き花ゆえ花言葉は清楚。街を颯爽と駆け抜けるペタルの心地よさは今日からの天候の急変からか。坪井栄描く24の瞳の小豆島のおんな先生が操る当時まだ珍しき自転車運転状態。。今朝ほどより、ようやく秋の風で程よく心地よき風。ただ、まだ上着は要らなない。電話でのアポ商売は悲喜交々。ファックスで注文がきたときには自然に両手を合わせて神に感謝した。それも尾ひれがついてるから天国と地獄、なおさらであった。「せきやんさん。たいへんなことじゃ~」返品の失態が午後一で連絡があり、右往左往で顛末が付くように先方にお詫びをし、ご了解いただき処理をしてる最中に「また!」である。人間って不思議なもので同じ思考形態をとるようである。螺旋状の如く奈落に転落するのは之なんであろう。病は気からとはよく言ったものだ。源平合戦で川辺の水鳥にスワッ!敵の来襲!と戦わずして総崩れの平家軍の如し状態である。ベンセン粛々夜河を渡る。戦う前に旗指物の「白」は逃げ惑い、まとまりが悪く少なくなり軍旗乱れ、隊列乱さぬ「赤」の旗指物の勢いのよさにまだ圧倒されていく。黒澤映画の「乱」」冒頭のシーンを想起する。弱気の虫、幼き頃の夜の厠の怖いばかりの状態、田舎の谷あいの家々のどこも厠の建物は母屋とは別に庭をはさんで反対側にあった。月の光がこうこうと照るのでさえ異様で不気味で怖い。日本列島を被い尽くす宿命病の「鬱」たる病気の入り口の、要因を突き止めた感じである。上司の言葉と共にファックス・メモが回され、机上に残され自分の席に帰られた。近辺の同僚の机の向こうの視線が釘付け、ザワメキが解る。「大丈夫かぁかいな~」励ましと嘲笑と取りようではいかほどでもあろう。全国に蔓延する「鬱」の一員に入りそうな出来事が襲い掛かる。ファュクスの紙はナント富山県滑川からのご注文書であった。上司特有の年齢の余裕から来る広き、やさしき心からの愛の鞭。「よかったですネ。いいこともないと。」もうこうであるから片山虎之助のトラ退治の姫井由美子の週間誌記事の「ぶって!」の不倫相手たる教師の心情がわからぬでもない心情。街を颯爽と駆け抜けるペタルの心地よさは今日からの天候の急変だけではなかったわけだ。。今朝ほどより、ようやく秋の風で程よく心地よき肌、なで行く風。それでも、ただまだ上着は要らない。全国に吹き荒れた東国原知事の熱き風も少しずつ、なぁんか軟化してるのであろうか。一昨日は大阪・吹田で宮崎フェアー。地名が地名ゆえ大いに人気の風を吹かせてこられたことであろう。岡山の人・大森うたえもんはお笑いタレントそのまんま東の相方。東国原知事の表象権「びっきょ」を管理しラーメン店や映画学校の社長にも就任している。孤児の父宮崎の人・石井十次は岡山のクラボーの御曹司の学友大原孫三郎の知己を得て日本の社会福祉の原点である孤児問題の事業が続けられた事実がある。名を知ってる岡山の人々。 野球人もなじみの選手が内野投手にいる。     川相昌弘 星野仙一 平松政次 映画人  水野晴郎、八名信夫 舞台人長門勇、井上聡(次長課長)スポーツ界にはマラソン有森裕子 水泳 木原光知子漫画界 スプリッツの効いた風刺漫画  いしいひさいち政治的行動人、忠臣・児島高徳、 江田五月 江田三郎     和気清麻呂,吉備の真備の宮廷人を生み、3人の総理、犬養毅、平沼騏一郎、橋本龍太郎(第82・83代)を送り出した。今次の選挙を象徴する人は笠岡の人。大臣を複数に経験した片山虎之助の地盤である。、選挙で最大の象徴視された姫の虎退治。片山虎之助VS姫井由美子の岡山。宮崎から備前の国を目指すと知られてる最初の街は笠岡市縁あってこの土地を二度も訪れている。2億年前のバタバタカニ=兜ガニが生息している。佐賀の産卵の報道があったがどう違ってるか山間に生まれたゆえ解らない。。小野竹僑は京都画に日本画でその美術業績を残した。作品を収集して記念の美術館にその偉業をたたえている。芭蕉の奥の細道は製本されてると思っていたら巻物であることをこの会館の展示で知った。30代の手習いのあのころ。・・月日は百代の過客にして行き交う人もまた旅人なり。・・・備前の岡山の国は、宮本武蔵や将棋の大山名人を生み、三大名園後楽園がある。特筆される人はクラレの大原孫三郎。孤児の父石井十次は医学を捨て孤児問題を障害の仕事に選んだ。学生時代に放蕩癖のあった学友を儒教的生き方、或いは学究の方に善導した友人石井十次があればこそ大原孫三郎の業績はあるといっても過言ではない。大原の存在なくしては日本の社会主義経済史その山脈をなす山川均をはじめとする東大教授陣を含めた人々は生まれなかった。大阪に大原社会主義問題研究所を興し経済学の研究の没頭する人々を生んだ。今は法政大学の書架にその研究成果を残す。労働界の世界会議にも高野房太郎を派遣し、学者高野岩三郎は研究成果を残した。理論の研究は実践の政治成果に昇華した訳である。美術史界に世界の七不思議の一つの展示物、国家的財産の受胎告知の名画が地方の倉敷美術館にあるのも業績のひとつ。水島コンビナートは宮崎で得た旭化成の資本力があればこその成果である。宮崎と岡山のつながりはこのように深いが姉妹都市がないのが不思議で行政の怠慢であろう。西都市なんぞは真っ先に牛窓市や倉敷市と友好都市を結ぶべきである。。。日向の祖・伊東氏とのつながりが深いからである。日南市延岡市でもおなじだが県民性から期待は持てない。岡山・牛窓は海岸線が入り組み万葉の昔から栄えていた。平清盛が滞在し西行が留まっている。1590年の建設の岡山城で10月8日初めての式があった。鉄砲隊、鬼太鼓が鳴らされ新郎新婦の二人は歩いた、医師・学、ナオコが城主の間で結婚式を挙げた。郷土愛の発露と永久の愛。郷土愛はいずこの県民性も同じだ。牛窓は万葉奈良から交易の中心。牛窓=潮間門で良港である。用語の事例を九州に見れる。牛深=潮深ウシオフカに通づる九州の良港。佐渡オケサなど海岸都市の民謡の原点で九州・牛深=潮深ウシオフカに通づる。歴史にあらた登場する人々でこれほどまでの数奇な人生はあるまい。伊東三位入道義祐。岡山県牛窓市、伊東三位入道義祐はこの地にも足跡を残している。先祖は源頼朝の高官・工藤祐経。源氏・頼朝は二代頼家が暗殺され、三代実朝が二代目の息子の甥公卿から鎌倉八万の前で刺され三代で滅んだ。頼朝の代になるも義経、4年後その兄の範義と兄弟間で殺戮があった。その伯父たちも壮絶なる動きがあった。前九年後三年、保元、承久、源氏は血の争いが耐えなかった。頼朝の御家人も滅亡の歴史が横たわる。その御家人の一人が伊東家の祖・工藤祐経。自分自身が日本三大敵討ちに名を連ね、曽我兄弟に富士の裾野で打たれた。日向・都於郡に下向して伊東家が242年も続いたが家督をめぐっての争いは家臣団をも巻き込んで壮絶な歴史を残している。日向西都・都於郡での伊東家には地付きの四天王・山田、荒武、津留、大脇がいた。稲津、落合、湯地、川崎は従って下ってきた四天王。初めての顔合わせのとき、下向の衆として客間、居付の衆として主座に着した地付き四天王。これは先例となりこのことが家臣団にはいろいろと困難が生じ、お家の一大事になった。都於郡の本城の落城を寸前に大分を目指し流浪のたびを経て四国松山終焉の地大阪その都度家臣団の力で一生をおよぎきった足跡を残す。海岸線を一路大分を目指したが財部の城を守るは落合籐九郎。城下通過の挨拶に行くと「小人の城下挨拶は無用!」との返事である。三位入道は日頃、落合を評して「あいつは小人じゃぁ」といってたのを思い知らされた。凋落するとこうである。冬の雪積もる中の米良の山越えを選択せざる得なかった。大分では伊東家の領土回復の島津追悼軍が組まれたが児湯郡木城町切原川の戦いで大友宗麟軍は大敗、敗走した。後の歴史家の言う九州最大の天下分け目の戦い「耳川の戦い」である。日向の地誌に弱い大友軍の軍記で「耳川」と書かれたため河川名が間違いそのまま耳側の戦いとされてるが最低でも本流たる「小丸川の戦い」実際対峙した本流小丸川の支流たる「切原川の戦い」とすべきだがそうはいかないのであろう。大友城下に居留守する伊東家一族は厄病神扱い。居場所がない祐兵の妻松寿への横恋慕の宗麟の孫総五郎能乗との愛憎劇になるのをさけ、伊東家に使える僧快永が大友の城から救い出し大分を逃げ出すことにした。宗麟のもとを逃げるように夜陰に乗じて松山河野家を頼った。伊東三位入道父子が伊予道後に渡ったのは天正7年巳卯4月道後は代々河野家の居城で河野四郎道直の代である義益夫人阿喜多の妹が河野六郎晴通の夫人で急場を頼った夜陰ゆえの急遽成る計画なきゆえ乗船する船が入手できず途方にくれてると落合四郎左衛門兼家が船をもってぬかずく。薩摩に人質に行ったときに拝領した刀を手放し船を入手したのである。「すまぬのう。武士の魂の刀を引き換えに船を得たとな。」「殿!もはや老人に刀は用なきもの。これ以上のご同行は一向にご迷惑をかけまする」「まことに勝手ながら拙者はここでお暇をいただきこの地に残りまする」負け戦(いくさ)のしんがりほど大事な役目はない。勝ち戦での凶暴化した集団と負けた集団の殺される恐怖心の手段との差は今の社会問題の虐めの構造の心理状態に似通ってその何十倍であったろう。文部省唱歌で箱根の山を教わったときにチョッピリ大人びた知的喜びを感じた。♪箱根の山は天下の剣♪まだ理解できる範囲でもある。この歌が小学6年生にはどう写ったものだろう。文部省唱歌「児島高徳」は『尋常小学唱歌 第六学年用』に掲載された。南朝の忠臣として讃えられ、船上山『太平記』による。1914年、岡野貞一作曲(作詞者は不明)船坂山や杉坂と、御あと慕ひて院の庄、微衷をいかで聞えんと、桜の幹に十字の詩。『天勾践を空しうする莫れ。時范蠡無きにしも非ず。』 御心ならぬいでましの、御袖露けき朝戸出に、誦(ずん)じて笑ますかしこさよ、桜の幹の十字の詩。『天勾践を空しうする莫れ。時范蠡無きにしも非ず。』 児島高徳の妻は、伊東家の縁続き、伊予国の河野氏一族、河野和道の三女の貞子で、夫婦の間には3男1女が生まれた。太郎高秀 明治6年(1873年)維新のご新政にもつくした。8月発行の国立銀行紙幣2円券の表面には、右側に稲村ヶ崎で太刀を奉じる新田義貞が、左側に桜の木に詩を墨書する児島高徳が描かれている。いずれも、第二次世界大戦終結までの学校で使われた教科書で取り上げられた有名なエピソードである。裏面は竜宮城。傍にあった桜の木へ「天莫空勾践 時非無范蠡」(天は古代中国の越王・勾践に対するように、決して帝をお見捨てにはなりません。きっと范蠡の如き忠臣が現れ、必ずや帝をお助けする事でしょう)という漢詩を彫り書き入れ、その意志と共に天皇を勇気付けたという。2007年10月16日コメント(1)美しきものには棘がある。京都弁ではんなりと来れば世の殿方100人中101人までがコロリ。公務員の男性(52)に巧みなウソをつき500万円を指定口座に振り込ませた。横浜市の村田麻也子(47)。さもありなん。鼻の下を長~~く間抜けツラはやむ得まい。大金だが潔くくれてやればいいのに火遊び代は昔から高くつく。野暮なやつで警察沙汰こそが笑止。身長170センチ弱で栗色の長い髪を垂らしたスラリとした熟女。自称ファッションモデルの結婚サギ女。ところがキャリアが半端でない。82年のミス日本なんである。さらに驚くことに85年には「007/美しき獲物たち」でボンドガールで出演した経歴。せきやんもだまされてみたかった。007・ジェームス・ボンドの二代目だったかロジャー・ムアー(79)。ロジャームアーは第8作から14作のボンドを勤めた。そのロジャー・ムアーがハリウッドの殿堂入りをはたしたとニュースにある。ハリウッドの目抜き通りの7007番地名前入りの星型プレートを埋め込んでもらい大喜び。  73年、死ぬのはシャツらだの頃は携帯電話の所持は007さえ貴重品であった。今の生活はある意味007よりすごい日常を過ごしてることになる。俳優引退後の社会還元としてのユニセフの慈善活動は立派。「残念ながら007は引退した  ボンドガールが若くなりすぎたのか   私が年を取りすぎたのか」あくまでもオチャメの英国紳士のエスプリは品がある。少年老いやすく学なり難しは洋の東西も同じで之のみ死神は平等にやってくる。その哲学的命題を娯楽の殿堂映画で表現できるのは日本映画界のお家芸。死期を悟りいかに生死と直面して充実した時間を過ごしたか「象の背中」は秋元康の原作を井坂聡監督が作品に仕上げた。宮崎の人・今井美樹∩役所幸司の死期を迎えた夫婦を共演。10月27日公開が待たれる。好評のピアフとあわせ見ると今年の秋は短い分取り戻せるのかも。NHK大河ドラマ篤姫の撮影が快調に進んでるようだ。篤姫の夫たる第13代将軍家定を演じてるのが宮崎の人・境雅人である。宮崎あおいのおめでた幸せの全国おすそ分け。勝海舟に北大路欣也、篤姫に侍従の大奥を仕切った幾島に松坂慶子。豪華な脇役人。さすがにNHK。先のボクシング世界戦の内藤VS亀田一家の戦いの反則問題は不問であったはずだが収まらなくなってきた。試合前から日本ボクシング協会=JBCに内藤陣営は異議を唱えていたようである。「セコンドに親族を禁じた規則がある」ではないかと申し出てた内藤陣営。JBCは越本隆志のときに父たる英武会長がセコンドについてた前例で却下してた。ところが試合開始も1時間以上もかかり、試合開始前にリング上で父史郎が詰め寄り威嚇した。いろいろと細かな反則行為が明らかになったり、チャンピオンの右額切り口を狙えと長男興毅の音声が流れたりでJBCも腰を挙げた。28日の興毅の試合は延期された。チケットが売り出されてるにも似かかわらずである。ライセンス停止などまで及びそうであるが身から出たさび、いずれこのようになるのは明らかであった。長男興毅、三男和毅(16)にまでトガが出ないのを祈るのみ。芸能マスコミに君臨する和田アキコ(57)さえ、親離れで成長することをメッセージとして述べている。和毅とインタビュー形式で会話したとき、年上の人に話す敬語さえできないことに社会人として警告を発したわけである。似たような経験をしてるので同感である。「どうかね、おはよう!」と肩をたたいて出勤してきたわが息子より若造に無謀ぶりにあきれてるが如しである。前夜の飲み代は全額こちらが持ったので「ごちそうさまでした」が13日土曜日その朝の会話であるべきだ。こいつも大阪育ちのようだが亀田との関係は知らない。親の顔は見たくも無い。なんの興味もなくなった。ブログにお年寄りが書くと世界チャンピオン戦は今だ15回戦のイメージが抜けない。試合後に事故が会ったときからであったか15回から12回になって随分ととき日は流れている。間違いを指摘して書き込みをいただいた。そのことはありがたい。ただ、口汚く15ラウンドのころを見たことも無い世代が間違いを嘲笑するのはどうであろう。書き手たる爺は最終回前との認識であの投げ技を見た。世界戦でのルール破りの投げ技を言いたかっただけ。ナンラウンドかは書き手はそう大きな意味は無い。15ラウンドの認識の間違いで書いたのである。自分のオヤジ世代と話してみるがいい。15ラウンドの頃が経験的に日本に多種のスポーツがなかったゆえ記憶は鮮烈であった。K-1なんてオリンピックには決してならないであろう。蔑んでるのではない。過激すぎ体力が持たないからである。スポーツにしては過激すぎボクシオングのパンチドラッカーをこえたる欠陥人間が続出するだけ。力道山以後の国民的英雄であった「真空とび膝蹴り」の沢村忠は今何をしてると思うか。後遺症に悩んでの釣堀で余生の楽しみとしてるだけだ。あの不出世の偉人沢村忠にしてそうなんである。日向の人・富山もそうであった。キックボクシング程度でさえ選手生命は短く、退いた後は正常ではない状態が多い。k-1ルールには投げはなく、他の似たルールと間違ってたようだ。このせきやんブログはまだブログなることばが無い頃からかかれてる。思いつきばったりの場末のブログゆえ許されたし。爺の指の修行、ブログの所業。たかがブログされどブログ。をモチーヌにして間違いなんて屁みたいなもの。間違い、ヘンカンミスなどお構いなし。書いてることはあくまで自分用の備忘録メモに過ぎない。ホームページほど時間手間ヒマかけて書いてる訳でもなくそこんとこを割り引かないと読者4000万人、書き手900万弱のブログ文化構造は変わらないであろう。即興でその日のことを睡眠時間を割いて爺が書いてるのだけがとりえ。間違いは大目に見てくださいな。書き直しなどしていないもん。時間がありません。ただ、多大なご迷惑は直ぐにでもお詫び取り消し釈明に努める。そこまで傷つけることはこの年齢からして常識的に考えられない。ブログは若者も爺婆も参加できるものでないと歪な文化となろう。現実犯罪につながる使われ方が問題となりつつある。所詮ブログそう目くじら立てなさんな。武蔵(34)が引退でなく12・8に復帰戦をやるようになったようでご同慶にたえない。正道会館ここにあり。ワールドGP決勝戦のスパーファイトでの試合。アジアGP反則勝ちであったが金けりは次試合に影響を与えた。ジエロムレバンナを破った沢屋敷が日本の第一人者、03,04の準優勝者・武蔵を制して出場。武蔵引退のうわさを踏み込み先日亡くなったノリック・阿部典史のりふみGPライダーの分まで生き抜こうとしてるのか。ノリックの葬儀にはヤマハYZF-R1が飾られた。世界5連勝のバレンチィーノ・ロッシ(28)も慟涙。伊藤真一(40)岡田忠之(40)長野博(35)岩城晃一(56)らとともに葬列の中には武蔵(34)がいた。戦う場は違っていても真剣に生きてる賭けてるものが持ってるもの同士が集合してるわけである。男はハートがなければ歴史は作れない。どんな小さなことでもそうである。いま自分が取り組んでることに真剣勝負で取り組むこと。この参列者からはそれが十二分にせきやんには伝わる。自分にできることで情熱を持って当たる。とても愛を持って当たるとは照れくさくてかけない。愛がなくして仕事をすることも生きることも必要ない。重箱の隅をちくじりあってるのは朝日と産経に任せとけばいい。ただ内政より国際的視野がないと政治は語ってはいけない。今に日本には政治が無い。無政府状態である。ブログもそうである。読み手、書き手にマナーが欠落しているようである。自戒しきり。NHKわが心のたびは黒川記章を放映し、情熱大陸デザイナー佐藤と被ってしまい困って。どちらも中途半端。2007年10月14日コメント(0)お昼休みにそれとなく車の通りを見ているとご挨拶をされながら、「先日はどうも6Fでお会いしました・・」「あぁ~カリーノ6FのパソコンのDELの人」と勘違いしていた。早朝パソコンラックを汗かきながら新規の場所に運び設置し、電気屋さんの配線工事を見届けていたので先入観が間違いを助長した。「パソコンがくるのですか」との会話で確認もしていたからである。「ブログで過分なことばをいただきまして・・・」「あれ?デルの事も書いたが少し会話の趣が違う・・」そこではたと気づいた。ブログにこう書いたことがある。・・・テレアポの19:00すぎ仕事帰りに急遽若草とおりのアーケド街の六階に登った。そこにはスタジオ風30坪ぐらいの広さのだだっぴろい株式会社の事務所で、机が純和風の木目調でカタログはおしゃれな器に置かれている。すみやかに冷茶が自家製風の刺繍されたコスター付きで振舞われる。飲ん方に行く予定が急遽のわけのわからぬ変更ゆえションベンの爺の生理的欲求を襲う。「すみません!トイレおかしいただけませんか。}・・・・あの日せきやんブログをご紹介したものであった。ありがたいことに早速読んでもらってるようである。その夜は痛飲し12時過ぎまでになったが徹夜で書きアップしたものであった。ところでアイデアを差し上げるだけで全く自分のことは棚上げ。パソコンでの架空空間の商店主は時代から必要不可欠の時勢である。いまや百貨店の売上を凌ぐパソコン市場である。同じところに依頼したんじゃぁ~軋轢を招こう。どこかで架空商店を立てあげねば成らぬ。この人たちにお願いしたかったのであるがどうしようか悩みは局地。「サイバー・パス」は宮崎聡(25)が全国規模で立ち上げたる似たようなる会社。まだ宮崎にはないだろうがやり取りはできよう。ニフティーとMEGABUZZ=メガパズ9割にブログから商品のキーワードを抽出。分類する解析技術。それは口コミ効果を高めるプロモーションのノウハウが売りである。販売手段を書いてもらうだけでは広がらない。濃密な内容や表現が受け手への発進力。閲覧数だけでなく口コミを広げてもらう最適のブロガーに執筆依頼。消費者が発信するメデアCGMが増えマーケッテングの新手法。そのエンゲージメントには注目があつまる。一方的でなく消費者の共感を重要視する意味が含まれている。分析は顕彰に行われる。NHKではあるまいに肝心の経費がわからぬでは進まないではないか。あすPCで調べることになろう。軽快に去っていかれた名詞一枚が手元に残る。この人々と仕事をやりたかったものだが混乱は避けたい。スモッグのごとき靄(もや)である。経済人や学者などからなる日本の使節団が米国の主要都市を訪ねたのは1955年(昭和30年)の秋である。ロサンゼルスで街を包む深い霧に出合った自動車の排ガスであると知る。そのときのことは「アメリカ資本主義見聞記」として読める。同行してた農業経済学者・東畑精一の帰国後の著作。「…一種の『自動車病』といわねばなるまい」とこの霧が米欧でスモッグと呼ばれていることを伝え、書いている。同じ年に出た「広辞苑」初版に「スモッグ」はまだ収録されていない。編纂した国語学者の新村出に“反省”の歌がある。「広辞苑ひもとき見るにスモッグといふ語なかりき入るべきものを」。時代の流れは実に速く、時代の寵児さえも一瞬に陳腐化させていく。イミダスがインター・ネットの検索などの発達で休刊の07年である。「スモッグを毒霞とも呼ばんとす」とは作家、佐藤春夫の句である。スモッグとはいかないまでもその手前の状態が山形屋交差点前には日常的に生じていよう。この狭き宮崎市内で快適なる空気の臭いを嗅ぎながら自転車を蹴散らす所業が何故できぬのであろう。あちこちを夜半早朝歩き回る人でさえ通常は車での移動だからお話はややっこしい。昭和30年代ではあるまいに車の所有はなにもステータスではない。軽車両の増加が移動すればいいだけの車所有の実情を悠然と示してるが如しである。公共の足が未発達ゆえ自動車を捨てることはこの日向人には無理である。お話してみるがいい。怒られるぐらいならまだいいほうである。「のさん~、たまろか。おりゃぁ~よだき~」禁煙規制の罰金制度の歩道の中心街。ど真ん中の道路はひっきりなしにタバコの煙ではないが同じような煙が出てるが罰金を払おうとはしていない。NOXなる発ガン物資がタバコの煙を笑いながらスッポリ被い尽くさんばかりである。裸の王さまよろしく発癌物質を撒き散らしてる車を見ると口にはくわえタバコ・・ドライバーは見たことがあるがどこの人だろう。黒サングラスの女性・・強くなったるものは・・・「DHMO」をめぐるエピソードをご存じだろうか。DHMOは無色、無臭だが、毎年多くの人を誤飲などで死なせている化学物質。酸性雨の主成分で温室効果の原因でもある。多くの河川や池で見つかり、米国の学生が規制を訴えたところ、多くの人が賛同した--。・・・・いつまで続けるというのか。・・・ブロガーのみなさんからお叱りを受けてしまいそう。 実はDHMOとは水(H2O)のこと。一酸化二水素(Dihydrogen Monoxide=ジハイドロジェン・モノオキサイド)と言い換えた時の略称だ。学生の訴えも、人がいかにだまされやすいかを調べるためだったという。「新しい高校化学の教科書」(講談社ブルーバックス)にある。編著者の栃木の人。左巻健男(さまきたけお)・同志社女子大教授(理科教育)「“にせ科学”の理論構成の一例」と話す。水蒸気が温室効果ガスであることなどそれぞれ正しい記述だが、つなぎ合わせて誤った印象を与える。テレビの番組捏造の手口にも似る。 このところDHMO不足(つまり渇水)が問題になっている。一方、左巻教授が心配するのは適切な理科教育の不足。「にせ科学」批判の活動を続けているこのブログはチエックされあのプチ炎上のときの書き込みがみんなに流布されてるようだ。知らぬはせきやんのみとは裸の王様よりお恥ずかしい次第。それにしても睡眠時間を削り真正面に生きるブロガーの真意を捻じ曲げられ盗用使用されるとは世間とは実にいやらしき正体を潜めている。要注意だがあえて続ける。いままでもそうであったし、これからも生きる規範をブレナイ自分を矜持したい。頑固なほどの馬鹿正直でいい。クソッタレ!自分のブログ一行も書かないくせに探し出し情報を吸収し乱用する。この不逞の輩に限って個人情報保護法なることを乱用するからたちが悪い。ずいぶん前の記事を思い出す。米大学チームの発表によると「女性はおしゃべり」はうそ?=1日の言葉の数、性差なしとある。 アメリカとメキシコの大学生計約400人を対象にした調査で、日常生活で発する言葉の数は男女でほとんど差がないことが分かった。「女性は男性よりおしゃべり」はうそ?と成ったが・・―。米アリゾナ大などの研究チームが、6日付の米科学誌サイエンスに発表した。 研究チームは、一日中装着していても気にならない小型のデジタル録音装置を開発。1998年から2004年にかけ、17歳から29歳の大学生の女性210人、男性186人の日常会話を、2日間から10日間録音し、男女それぞれが1日に発する単語の数を推計した。 その結果、1日の女性平均16215語、男性は、15669語を発していたが、これは統計学的に意味のある差ではなく、むしろ個人的な差異が大きいことが分かった。テレアポでおしゃべい能力を発揮できぬでは実績は上がらぬ。カジノ収入でラスベガスを抜いたマカオ中国特別区最大級ランズ社今後も大収容ホテルやリゾート地方イタリアの水上都市ベネチャをイメージして建設されその規模は驚きでサッカー場が130面敷地に3000室スイートルームの贅は例えるに書きようも無い。運河の流れるショッピングモール、350の有名ブランドショップは消費者をあきさせなかろう。5万人国際会議場。劇場アリーナ、脅威の施設がオープンしている。その衝撃度は将来パソコンを通じた販売の求人募集記事と奇異にダブル。偶然が急遽実行される奇怪さも含めて、勘違いから始まった不思議なる日であった。 [編集する] [コメントする]2007年10月14日コメント(0)残り3ヶ月と思ってたら10月も半ばで一年の決算が近づいている。ここまでくると日々終わるのが早い。今日も外気温は30度近くなっており、感覚が麻痺してるのが一番で環境が意識を決定するとの哲学的命題を実証している機構の異変が病魔を早めたのか黒川紀章(73)心不全のため死去した。共生新党を立ち上げ、宮崎でも珍しく候補者を立て戦い次回の選挙を楽しみにしていた矢先であったので宮崎への影響は大きい。高千穂線など一挙に解決のメドがあったのに残念である。プロ野球も予備決算でパリーグ二冠王に輝いた山崎は若者の力が発揮されるスポーツの世界に一石を投じた。職場の若者の台頭に悩んでる世代にどれだけ勇気を与えてくれたことだろう。「テゲテゲ、」「テニャァオカ」加えて「のさん・たまろか・よだき~」の熱意・やる気にかける県民性に「活!ッ」を入れてくれた人がいる。プロ野球セ・リーグで宮崎の人・青木宣親(ヤクルト)その人である。リーデング・ヒッターに輝いたがこれで二度目の受賞である。年齢経験を重ねてるゆえ喜びもひとしおであろう。2度目の200安打に挑んだがわずか7本足りなかった。あのイチロー選手も達成していない記録を残念ながら逸した。ただ、3年連続190安打以上は史上初。最高出塁率のタイトルも取りセリーグの顔になりつつある。4年間で積み上げた安打は早くも590本。 実働は3年ゆえ安打製造機の張さん=張本勲(東映→巨人)以来の名誉を受けよう。飛距離も伸び、本塁打も20本。身長175センチはプロの世界では小柄。それでいて一流の証しとされる打率3割を3年連続で達成。三冠王にもっとも近い選手となった。年齢は重ねてたがパリーグに年齢の目標の人はいる来年が楽しみである。。日向高校から早大に進み、プロ入りしてまだ4年である。球界では屈指の「練習の虫」。モットーである「反骨心」が日向人に鞭を入れた。 なしえた栄光は日々精進の賜物。基本たる基礎体力作りに精進したからである。 今年の春季キャンプでは「1日1000スイング」。バットを振り込んだ。結果足腰の筋力が強化され、アマチア時代になかった線の細い印象は姿を消した。野球選手を見るときケツの大きさで評価すれば大方間違いない。下半身の強靭さはユニフォームから溢れ出している。バットのスイングスピードが増し、打球も飛ぶようになった。「バッド・ヘッド」「そう~だね~ウンウン」熱血長島指導ではないが明るさが周りに溢れ、努力の人さえ感じさせないほどで努力はあたりまえ。日向高校時代からの勉強も野球も一生懸命のスタンスは変わらない。NHKは12日甲子園を製した佐賀北の顔を放映したが青木宣親そのものである。まだ25歳。将来は大リーグガーの夢も隠さず語る日向人の淡白さ。このような人材は熱い環境から生まれるがどうにも醸成していないのが気がかりだ。プロの二軍のミニ日本一のフェニックス・リーグが宮崎を舞台に10月8日(月) ~ 24日(水)の17日間繰り広げられているが県民の意識は今ひとつどころかまったく関心が寄せられてないのではないか。初年度ならともかく04年から考えるとこの状況は今後の開催さえ危ぶまれ東国原知事の出番で梃入れが待たれる。入場料金さえ無料 と異常な環境でもこれで盛り上がりにかけるのは問題である。プロの二軍の先ほどのことばは社団法人日本野球機構、イースタン・リーグ、ウエスタン・リーグ、フェニックス・リーグ支援実行委員会 と書き換えねば時世がらお怒りの書き込みが寄せられよう。二軍は改めチーム名さえ違う。正直知らなかった。【参加チーム】 《イースタン・リーグ 7球団》 千葉ロッテマリーンズ、東京ヤクルトスワローズ、読売ジャイアンツ、東北楽天ゴールデンイーグルス、湘南シーレックス(横浜)、グッドウィル(西武)、北海道日本ハムファイターズ 《ウエスタン・リーグ 5球団》 阪神タイガース、サーパス(オリックス)、福岡ソフトバンクホークス、中日ドラゴンズ、広島東洋カープ 《韓国プロ野球 1球団》 斗山ベアーズ 《四国アイランドリーグ選抜 1チーム》 【開催地】 宮崎県宮崎市、西都市、日南市、串間市、日向市、清武町、南郷町 【使用球場】 アイビースタジアム、生目の杜第2野球場、サンマリンスタジアム宮崎、ひむかスタジアム、西都原運動公園野球場、日南市天福球場、日南総合運動公園野球場(東光寺)、串間市総合運動公園野球場、清武町総合運動公園野球場、南郷スタジアム 【出場選手の資格】 10月1日現在、支配下選手(育成選手)として登録されている選手 【試合開始時刻】 12:30 開始 (一部、13:00 開始) 【球場開門時刻】 9:00 開門 【試合日程】 全98試合  >> 試合日程 【注】 10月12日(金)、17日(水)、22日(月)は練習日だが、日程の消化状況によっては試合を行うこともある。(休養日となる場合もある。) 【注】 第1クール内に予定する「生目の杜第2野球場」の試合は、高校野球秋季県大会の大会終了日により、「ひむかスタジアム」に球場変更となる場合がある。 2007年10月12日コメント(0)大助(33)VS大毅(18)をマスコミに煽られ見たが前評判の割にはまったく粗末試合。ファイター型とフェイント型では噛み合わない。舌を出したり、で挑発するあいかわらずの亀田式下品極まりない最後には14ラウンドに抱えて投げるk-1もあり、で反則を取られるはで、世界戦には程遠い試合内容。王者内藤も世界ボクシング評議会(WBC)フライ級にふさわしき地位をつづけてほしいものだ。9時からの国会は福田赳夫VS田中角栄の子供同士の対決。福田康夫VS田中真紀子の論戦が行われる。 福田総理の所信表明演説に対する各党代表質問で、質問のトップに立った民主党の鳩山由紀夫幹事長は、福田首相が掲げる野党との協調路線に対し「談合のような密室協議」だとして拒否を明言。「自民党・福田内閣か、民主党・小沢内閣か、国民の審判を仰げ」と早期の衆院解散・総選挙を迫り、対決色を鮮明にした。 さらに「直近の民意は参院にある」とも力説したが、首相は持論の話し合い路線を繰り返し、解散要求には応じない考えを示した。インド洋での自衛隊の給油活動で鳩山は米軍主導の「不朽の自由」作戦を直接規定する国連決議はないと指摘し、政府、与党が検討している新法にも反対を表明。 イラク戦争への燃料転用の疑惑などを挙げ、自衛隊の活動実績の徹底した情報開示も求めた。首相は活動の重要性を強調するとともに「可能な限り情報を開示する」と答弁。その後岡田、官直人と質問者にエースクラスを立て追求。マスコミを煽る作戦で田中vs福田再現を狙っての演出。角福戦争の再現である。ただどうであろう。田中政治は49年12月に退陣列島をブドーザーつき政治と言われたが、今の有権者の半分以上が知らないわけである。51年7月27日現職総理の逮捕と衝撃は忘れてはいない。日中国交回復で自民党は大きく変わった。台湾は戸の決別の返信した自民党である。中国の正当政府は台湾としていたわけで誰でもおかしさを今では感じるであろう。時代の流れであったわけだ。2007年10月12日コメント(0)東京・北の丸公園の国立公文書館で、所蔵の漢籍を集めて特別展が開催されている。前漢の史書「漢書」や戦国時代の思想書「韓非子」の版本などとともに、「陶淵明集」8巻も展示されている嘉靖(かせい)元年(1522年)の跋文=あとがき=があり、当時の版本であるらしい。「歳月 人を待たず」「人生は実に難(かた)し」といった詩句を思い起こしつつ、田園の詩人をしのぶのも時節柄よろかろう「草枕」のなかで夏目漱石は陶淵明の詩文の一節を引き、「利害損得の汗を流し去った心持ちになれる」と書いている。一巻と一顆で過ごす秋の夜半もいい。三好達治に四行詩がある「燈下」。/書は一巻 淵明集/果は一顆(か) 百目柿/宿舎の夜半(よわ)の静物を/馬追ひのきてめぐるかな場所はおそらく田舎のどこの家にもあった縁側。畳の部屋から外は障子で隔てられその外にくの字に曲がる板縁があった。クーラー無しで生活ができたのはこの家のつくりがあったからでもある。サッシで区切られて虫の声さえ聞こえぬ自然との断絶の状態は少なくともなかった。その住環境の変化はあれども晴天の日々のなか、ひと雨ごとに秋が深まり、灯の色が目にしみる季節になった。縁側はなし、スイッチョと鳴く虫も上の階には来てくれず淵明集も書店でそうは目にしない。詩人の夜半をまねるにも骨の折れるご時世で牛ある。東晋の漢詩人、陶淵明は41歳で官職を辞し、帰郷して晴耕雨読の日々を送った。「盛年 重ねて来たらず」(元気ざかりの若い時は二度と来ない)とうたった人である。来し方をふと顧みることの多い秋の燈下に似合いの一巻だろう。森鴎外の短編「安井夫人」幕末の昌平坂学問所・塾頭日向の人。安井息軒のご夫人のお話森鴎外にしても大儒学者日向の人・安井息軒はうっちゃっておくことはできず妻を取り上げたわけである。その安井息軒の高弟の平部喬南は為政者としては飫肥藩の家老。師弟相そろい陶淵明に触れてるのも似たような人生を歩んだからであろう。新政府は修史と並んで地誌編集の事業を興した。王政復古の証である。そもそも地誌編集は古来中国において修史とともに帝王の事業であった。古代国家が国史編集にあわせ風土記を撰進したごとくである。列強と対峙しながら歴史的地理的自覚を強調する必要があった。よって各県役所の仕事の一部で編まれた。宮崎県では当代随一の学者平部喬南が仕事に当たったが人選された中では全国一の人物。。明治7年着工され明治18年刊行。中央に収められた。明治20年事業は帝大に移管された。千五百余部の全国から寄せられたものは大部分は関東大震災で鳥有に帰した。ところが神の国日向地誌である。日向地誌56部は神業の如く偶然にも史料編纂掛に貸し出されており唯一火災から免れえた。平部喬南、齢60から70歳の頃にリュマチの持病をもろともせず全県下山野をくまなく踏破した。実測正確なる統計推敲を重ねたゆえに地誌を比類なきものにした。身を賭して1700ページの大著となった。わが都於郡の山田を見ると驚くべき記述であった。山田地域は6っの寺社が記載してあり、それは宿泊できる宿坊であったことを平部喬南は記している。そこには古くから伝わる温泉が現在も山田温泉としてあり喬南の記述と合致する。いまは山全体が大きく掘削され無残な惨状を喫している。どこに行ったのか。旧道の根土或いは土葉で使用されたのであろう。伊東氏の日向下向の最初の宿泊所がこれである。もっともせきやん史観ゆえ誰も取り上げないであろうが喬南の日向地誌の記述からではことは大変なことになる。発掘もしないで文化財保護法違反の状態ではないか。施工したのは東国原知事の進める行政機構の廃止案で地元が騒いでいる宮崎県の土木事務所である。かすかに残ってる神社仏閣の山田神社は学校となり、また、他の寺はたとえば馬頭観音墓地となり、その戦闘馬、農耕馬の墓所には幼少時に馬、子牛を埋めにいったのを覚えてるのにその馬頭観音墓地でさえナント誘致企業の工場となっている。大丈夫なんであろうか。山田地域のこの文化財の破壊状態。寺社は祇園と幾つしか残ってない。何も明治政府の悪行たる文化財破壊の廃仏毀釈が吹き荒れての責任に帰したくもない。手がけてる書き物の始まりはこの書からの啓発がきっかけである。伊東家日向下向の始まりをここから書き出したせきやん。・・・日向・都於郡に下向して伊東家が242年も続いたが家督をめぐっての争いは家臣団をも巻き込んで壮絶な歴史を残している。日向西都・都於郡での伊東家には地付きの四天王・山田、荒武、津留、大脇がいた。稲津、落合、湯地、川崎は従って下ってきた四天王。初めての顔合わせのとき、下向の衆として客間、居付の衆として主座に着した地付き四天王。これは先例となりこのことが家臣団にはいろいろと困難が生じ、お家の一大事になった。「鎌倉殿に置かれましては執着至極。」「まったく面目ぼくござラン。今しばらくお時間をいただきたい。」「なんの。不首尾は当方でござる。  よしなに取り扱いをお願いいたす。」 建武2年1335年12月足利尊氏、京に上る  伊東祐持の軍、三条河原で戦功ありて、都於郡300町を賜る日向の形成不穏に小山田を先発せしめ下向向ノ城にいる。 山田の宿坊でのこの会談が日向の今日を指し示している。秀吉の国割で日向は5藩で運営され、家康の時代もそれは変わることはなかった。廃藩置県の明治の御一新で旧藩主のお城の後が県庁になった。宮崎と札幌のみがお城の後に県庁が配置されなかった唯一の県である。明治6年から明治16年まで今の形の宮崎県は存在せず鹿児島の一部であった。さらに宮崎県内は戦乱の明治10年の西南戦争である。平部喬南の息子俊介も西郷軍に従軍しての参加に心を痛め、その戦死にいたっては惨儀の涙を禁じえない。陸の孤島との形容詞はいまだ消しえず生活インフラの整備は全国一進みが悪い。宮崎県新誌は佐伯英雄の著作として昭和26年に刊行された。そこで「宮崎は陸の孤島」と書かれた。この場合の根底にあるのは現在の環境を前提にした話で陸運が基準である。ズーッと以前の海運中心の生活のその地域の歴史は踏まえてはいない。縄文海進の命名者は考古学に造詣が深い江坂輝弥。6000年前は現在よりも海抜で1.5Mも違っていたと科学的データーを示す。首都・東京は現在地より50km奥地まで海水に覆われていたことになる。その頃の日本列島を見渡してみると当時の生活の基本であった海運の良港が少なくなる日向灘は単純な海岸線であるが海抜1,5Mでの日向の単純な海岸線は海没し、複雑なる屈曲のある多くの船舶停泊の港湾があったことが見えてくる。西都原古墳群がある大地から中心部を見ると御船通りの船着場の云われも理解できる。縄文海進の基地は集荷場として中心地をなし、海没する現在の街並みを大きく変えることになる。古事記日本書紀の記紀の話が伝わる神話の国はこのことが大事である。生目、西都、新田原、高鍋持田とまとまった古墳がある地域の海抜は同じ高さになる。入り江のある海岸線がくっきりと現れてくる。日向の地から神々が生活を始めるには運搬に有利な良港がありお話が合ってくるのだ。悠久の太古の大河の雄大なる流れ海水が引いていき豊穣なる土地が誕生する。地図にある緑の部分の肥えた平野部分の誕生である。後には稲作がもたらされ、日本人類の祖は定着していく。逆に日向の海岸線は単調で良港はなくなっていく。その後の安定期が続き治水で日向太郎の大淀川が改修される。宮崎市内の伝統校大宮高校の学園祭の弦月祭の名に名残を残す大きな池はあざ図にはある。明治期には大きな池があったのである。西南戦争当時の現在の県庁周辺や中心地の山形屋デパート近辺は市内は大淀川の湿地帯の面を残していた。昭和7年建設の県庁の基礎には湿地であったゆえ多くの松ノ木が杭打ちされ現在の建物が建っている。10月8日の毎日新聞の人欄に、にっこりの写真が出た。山本麻由は東京の人イグ・ノーベル賞化学賞をこの4日に受賞した。牛糞からバニラ香を抽出したのである。くさくて重いので処理をとの悩みを解消するのが取り組みのきっかけ。水を加え熱する温度が高すぎると焦げ付き温度が低いと消えない試行錯誤2年を経てバニリンの抽出に成功お茶を炒ったような香ばしい香りと研究成果は人を笑わせそして考えさせる裏ノーベル賞といわれるイグ・ノーベル賞化学賞を受賞した。実はこの人・宮崎大学を卒業しておられる25歳。国立国際医療研究所勤務の頃の成果であるとの正直なる戸惑い。不要をを役に立たせるハバード大学一級の研究が外資系医療機器会社勤務。今年のノーベル化学賞はフランス、ドイツのアルベールフエル、デームグレインベルクの二人が受賞すると10月9日発表された。ラジオからゆえスペルに自信がない。二人の研究の微磁力のことは今日の生活になくては成らないものとなってる。ハードデスク、ナノテクの研究はパソコン携帯電話と実用化に大きな貢献をしている。2000年白川さんが二人目のノーベル科学賞を受賞したのは10月10日であった。昭和52年新宿の歌声喫茶「ともしび」が閉店した非も今日である。今では移転再開してにぎわっているらしい。沖縄空爆そして東京オリンピックの日。制度変更についていけない脳状態には休日の体育の日。夏目漱石「草枕」のなかで云う陶淵明の詩文の一節をよんでの「利害損得の汗を流し去った心持ちになれる」とはこの二つのニュースのことにドン・ピシャッ!2007年10月10日コメント(0)24節季の寒露。牛馬の食べ物のたるハミの堤防の草を刈ると草つゆでビッショリぬれる。草籠に一杯に要領よく詰め込んで肩に担ついで納屋に帰ると馬や牛の顔のホットした顔。話し掛ける。「すぐくわしちゃるかいな~」「まっちょれ!」家族や一般の世話してない人には単なるなき声にしか聞こえない牛馬たち。世話人とは会話が成立している。経験からペットでも与えれば荒れる子らはなくなろう。世話してるものが家畜として売られたり忽然と生命体が消えるせつなさ。命の大事さ。藁を交えギロチン状の台に草とワラを交えたハミ切で2~3センチ位の長さに切り刻んでいく。ハミおけからそれぞれの牛馬の部屋のハミ桶に配る。「昨日はこちらからであったろう。」「そっちはまっちょれ!」今日は反対のほうから。待ちきれず、激しくハミ桶や入り口の戸板を角を使い首上を動かしての催促のおねだり。「まてんとか~くわせんぞ~」激しく急がせる性格の荒い個性強い牛馬を調教するにはこの機会以外ない。「おなかすいてるよ~たべさせてくれ~」従順なる態度をとったら与えてやる。学校の登校時間でもあり時間に追われてるが農作業のときに日常に苦労しないには大事である。農作業の帰りに小さき幼子が牛馬を操り、引くのでなく背に乗って悠々集落内を通り抜ける。調教してあるほど増え始めたガソリン車のバスやトラックがきても悠然と通り抜ける。バカな運転手はクラクションを鳴らせる。動揺するような牛馬は背中のご主人様を大事にしない調教不足。このころからドライバーには心に余裕がなく凶器の心で運転していた。ハンドルを持つとジキルとハイドになってないか検証してみるがいい。運転中に登校する子らの列でさえの~急いでいるのに・・もっ!とドライブマナーを忘れてる、牛馬が食べ終わるのを見計り、井戸よりつるべで汲み上げし水を与えて農作業の準備たる朝の義務行動を終える。雨が降ろうと包丁が降って(笑い)こようと規則正しく単純に繰り返される農家の準備風景。それでやっと自分の朝食にありつける。もちろんご飯は家の敷地内の十数か所もあろうか祭ってある神々に捧げられガ済んでいるハズ。、人間さまより神々や家畜のほうが上の扱いである。そりゃぁそうであろう。牛馬は農作業を司る動力源であり、糞は貴重なる堆肥で熟して使うため大事に大事に扱う。人間さま何ぞよりよっぽど役に立っているからである。ラジオはいまや死語となってる「放送の生中継」がない中での生放送ゆえ実にいい。10月8日7時20分からおしゃべりクイズ疑問の館「肖像の間」。同時に同空間を体験している生放送。北村栄治のトランペットを聞きながらのベニーグッドマンなどや60歳になっての弟子入り話。ミヤノウエヨシアキが助演で花を添える。何故面白いか。北村栄治の落語好きにある。江戸っ子でないゆえ福田康夫総理のお話し上手のなかのフット漏らす特異のフラが生きてない。ただ、ここまで老獪さで政治をやられると国民は翻弄されよう。テロ特措法の11月1日に法案が切れることである。改造内閣や本来政権を投げ出してる暇もないのに政治日程を逼迫したのは与党たる自民党の責任である。国民はみんな知っている。ここでの起死回生の自民党人気回復策である。桝添要一厚生大臣留任起用もこれには霞んで見える。防衛省トップに石破茂大臣を起用した福田内閣の最大看板である。福田内閣である。無理をせず対立を避けるかって防衛長官を務めた石破茂をトップ起用しての大臣である。国民に丁寧にわかりやすく石破大臣は落ち目自民党回復策を千才一隅のチャンスにしよう。この政治シナリオを想定できないか。11月1日テロ特措法法案が切れる。イージス艦が引き上げる。メデアの総出動である。映像を使いじっくり見せる。タイが軍事政権とともにミャンマーに成ったことさえ記憶が薄くなっている。政治的野党のアウンサンスーチーの軟禁さえ声をあげ得ないアジアの指導者を任じる国。ミャンマーの軍事政権は何度となく転覆策がなされたがその恐ろしさは実感できなかった。そこに衝撃的映像が流れた。一躍母親は時の人になる。映像が流された瞬間!母親の直感!「あっ!ケンジ・・・」この地にいることは母親は知らないのにである。さすがに連鎖の生命のDNA10つき10日お腹を痛めた者にしか解らぬ神の告げごと。民兵が車から降り住民を蹴散らす。その瞬間である。長井健司(50)が倒れた1メートルの至近距離からの銃撃。手のカメラを離さないが息途切れるとカメラも路上に虫の息となった遺体とともにある。映像が伴うと何倍となって戦慄が走る。10月8日1000人が長井カメラマンの葬儀に集った。命を賭け撮ったカメラはもどってきていない。危険を知ってても報道人としての行動の勇気に対してミャンマー人として恥ずかしく悲しくとの弔辞。人と人には殺しあう人種はない。長井さん!永久の安らぎを祈ります。テロ特措法の法案は成立までに日程的に完全に日にちがない。11月1日で日本は引き上げることができるのか。国民はどう見るか。政治の現実の実情から一国平和主義はない。貢献してきた日米のあらゆる同盟行為。今後の外交戦略はどうなっていくのか。問われる国益。このガソリンがぶ飲み国家は中近東に依存しており、タンカーで運んでくる。安全ルートの確保は国家の運命を背負っている。よって一抜けたでは「勝手すぎる」と国際世論から非難が起きないか。ブッシュに睨まれて戦争を仕掛けられたアフガン側からの視点はまったくない。アフガン人にも平和に幸せに生きる権利はある。宗教や倫理観の差がグローバルを受け入れなかっただけではないのか。9・11が先にあったわけではない。テロと軍事攻撃は双方の言い分の違い。この地域に繰り広がれている軍事行為はまったく終わりがない。不信船の定義づけはきわめてアメリカの主観で実施されてるに過ぎない。福田赳夫VS田中角栄の政治の再現である。戦いの頂点まで行かずに安部内閣を敗北させた小沢一郎である。これくらいしないと衆議院選挙での挽回の政治手法はない。福田官房長官と石破茂防衛省長官は国会答弁でウソで乗り切っている。補給艦ときわの給油量は20万ガロンで空母が一日で使う量。としていた。イラクにしろアフガニスタン=タリバンにしろマスコミの不気味な無言。これまでも戦場のデタラメを覆い隠してきたメデアの責任は大きい。NPOピースデポの会長は梅林宏道。03年2月25日のことを米海軍公文書から読み解いた。海事補給艦「ときわ」が補給していた。間接給油米補給艦ペコスにである。ときわは20万ガロンどころか80万ガロンを補給していた。空母キティーホークミサイル巡洋艦クペンスにである。直ぐにキチーホークに給油に向かう。26日空母はイラク・ペルシャ湾にむかった。「燃料は拡散しているがイラク流用はない!いずれ証明する」石破茂大臣はいいきる。6年前の9.11にすべては始まった。衝撃的事件の犠牲者はアメリカ2902人イギリス  67人日本    24人コロンビア 17人38ヶ国3000人を超えた人数だが正確には今だ解っていない。ラウンドゼロ。米国主導の国連を経ずの掃討作戦には40カ国が名乗りをあげた。日本は緊急に特措法を可決して護衛艦補給艦をそれぞれ派遣した燃料と水を補給するため960回の並走行為で補給された。221億円の実行予算である。アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、カナダの5カ国は陸、海に軍事力を行使。日本は海だけである。イタリアは陸だけ。ロシアは不参加アフガンとは違う傍若無人の米傭兵に不満の声が米軍やイラク軍内部でくすぶるイラク戦争では、米元軍人らで組織される傭兵の存在が大きい。ところが傭兵は、民間人で組織されるために、兵士のように民間人に対して、無差別発砲しても処罰されることがない。傭兵の給与も、兵士に比べれば10倍以上という。無法行為をしてもお咎めないしという傭兵に対して、米軍やイラク軍兵士から不満の声が上がっている。エジプトの有力紙、アハラームが伝え「内臓感覚」著福士審NHKブックス970円胃腸が弱く、ウンコを漏らすかも・・総理のイスは意外なことで放り投げられた。すぐ下痢をする生生で苦しんでいた。過敏性腸症候群=IBS脳と腸が上手くいかず炎症や潰瘍がないのに下痢や便秘をもよおす。周りは正面を向かず気の性、たいした事はない。の大合唱。もっと酷くなれば「甘えるな!」当人は辛い自由にトイレにいけない環境精神的には外出できなくなる。情報のやり取りが過敏すぎるストレスで興奮すると腸が過剰反応を起こすなにかが引き金で病的にこれを誘発した。。一方通行でない情報。腸の状態が脳にいく。体の統一性からも体は総合的にできている。ストレスが加わると情動形成に影響する。人間の構造の発生や進化からは腸の方が、脳より先にできている。社会環境が小泉政治で特に早く変動したグローバル社会を進展させた。政治は軟着陸させるための国家的手法であるべきなのに逆に進展させた。短時間で結論、多くの成果を数字で出せ競走の世の中の風潮がストレッサーになり象徴的現代病たる涙目の安部前総理。著書のプロローグはそうはじまる。小泉改革あらゆるところの競争。皮肉ではないか。競争はたくさん。小泉政治の継承者が精神的に参ってしまった。「総理の隋行医歴代総理の脈を取って」がタイミングよく大和書房から刊(で)た。医師・水町重範ノリは46年生まれの岐阜県の人。安倍の祖父岸の妻良子は医者嫌いであったが32歳になる水町の在宅治療は受け入れた。最後まで自宅での治療が受け入れられた。岸は「そうなんじゃな」と山口弁もでるほど水町医師を信頼ことばで話し、家に置いた。「わしは巣鴨のプリンスホテルで鍛えた」と豪語し健康体であった。87年90歳で逝く。安倍晋太郎は気さくに人間の幅のある人であった。外務大臣でインドにあるときに急に腹痛と下痢が襲った。事前挨拶の場で中曽根総理にヤギノミルクが出された。匂いをかいだだけで大臣!と安倍に渡しやむえず飲まざる得なかった。点滴中「あのヤギノミルクを総理が俺に回すからと」恨めしそうにいった。ゴルバチョフと会うときは激やせで下着を重ね着して会談に臨んだ。91年すい臓ガンで逝った。安倍信三は祖父、父の気力体力を自分の身を比較して熟知していた。9・24の病院での真相のインタビュー政権を投げ出された国民をシラケさせた体力の限界で投げ出さざる得なかったことと単純であった。辞任の引き合いに出された小沢一郎もとんだとばっちりである。クーデター説の麻生、与謝野にしてもそうであった。早口になるのは緊張したとき。外遊先から入院して身を引く状態であれば未だしもよかったがギリギリまで職務を果たそうとした。病状を世間に伏せ体調不調を長引かせる。病気引責での投げ出し政権の汚名責任は今では前首相だけか一人で背負っている。周りの人々になぜにこうまでになる以前にストップできなかったのか。魑魅魍魎の権力機構がなさせた敗北を執らないことから始まったつまずき。亀裂は生命までに及ぶ深まりと成っていた。2週間の空白はテロ特措法にいよいよ日にちをなくしてしまった。教育三法、防衛省の昇格。憲法改正の投票法。そりゃぁ~これほどまでにやれば神の国、罰も当たろう。2007年10月09日コメント(0)ペルーの2000mを超える天空の高地マチャピチュは世界遺産。スペインの老獪なる政治手法、軍事力で滅ばされた。その地よりもたらされたジャガイモを食するたびに思い出す歴史好きも多かろう。この時期のじゃがいもメークインは実においしいので嗜好は思考を刺激し創造力を豊かにするからかもしれない。金銀を豊富に用いた文化は世界文化遺産でも特筆する。どこの国でもそうだが被制圧国には文化遺産は持ち出される。エール大学とペルー政府が4000点を超える美術的文化品の変換に応じた。資料が逸散にしてはもとの木阿弥。現地に保存館も作られるようだ。勝利品扱いで制圧国に持ち込まれた遺物の返還はあちこちにある。ギリシャの遺物は英国大英博物館に保存されている。発見者主義なる論理構成で変換されない。略奪であるのに変わらない。個人が一個盗めば大悪人だが国家が盗めば文化功労者的扱いに近い英雄に成るわけである。収蔵のときは言いが保存は悩みの種。県立図書館の収蔵能力は64万冊程度が適正らしい。3月現在で63万5千冊を突破、本年度中には約1万冊が加わる貧乏してると特に公共パブリックのありがたさは身に沁みる図書は週刊誌さえ含めて図書館頼みこれはことである。本棚の段を増やすなどして応急的対応のようだが書庫の増築など抜本的な対策が迫られている県も財政難で敷地はあっても建設費の捻出が難航される。、同館の閲覧室と書庫を合わせた本棚には80万冊が収蔵できる。本棚は分類ごとに一定のスペースを空けておくことが必要で、本を詰め込むと破損の原因になる。一般的には、75―85%が埋まると貸し出しや収蔵への対応が遅くなるとされる。4層になっている書庫の床の強度を考慮すると、全体の8割が適正な収蔵数と位置付けている。 同館の収蔵数は、1988(昭和63)年のオープン時は約33万7千冊だったが、毎年2万冊のペースで増え続け2001年度に60万冊を超えた。古文書などは申請して見れる。大憲章・マグナカルタは世界に20冊ほど確認されている。その一冊がサザミーの入札競売にかかる。23億円近い落札値予想が出回る。活版印刷は天正少年遣欧使節一行の8年5ヶ月の年月をかけ持ち帰った文化的遺産の一つ。長崎で日本文字の活字を自力で作り上げ日本版キリシタン出版物を刊行した。その偉業はどんなに語り尽くしても語り尽くせない。ただ、為政者は焚書の蛮行を実施しただけでなくキリシタン狩の生命を脅かす過酷な火あぶり逆さ釣りなどの非道の刑を見せしめに徹底的に弾圧したので関係書は国内には見出すことは困難である。天理図書館は1930年開館、翌年、スペイン、メキシコ大使を勤めたる大鳥富士太郎男爵が日本中国17世紀初期刊行本を収蔵。キシシタン本の収蔵は1941年南陽堂書販売目録「おらしょの翻澤」の取得を嚆矢とする。その持ち主を追っていくと島原城主松平忠房が南陽堂と幸田成友との交友がある。数年前ここから出てる訳でもたらした刊行されたマカオで刊行準キリシタン版「遣欧使節対話禄録」幸田成友がオランダ・フェレンツエで入手慶応に治められた。戦後、天理に交換された。その貴重なる稀有のキリシタン本の数々は天理大学の貴重な収蔵物である。解ってる入手経路や逸話を拾うとつぎのようなことが記録されている。「ぎやど・ぺかどる」キリシタン版1931年ローマ・オットー・ランゲ書店の目録に載った。250円当時の百科事典の価格。グーテンベルク「42行聖書」苦難の経過で丸善が入手。社宝とされていた。1950年天理図書館に治まる。1951年、林若吉が1916年越前藩医のとき発見所有されてた京都版「こんてむつす・むん地」淀君の妹京極高吉の妻マリアが所有との記述アリ。キリシタン禁制の中を生きてきた。稀有の国内印刷のキリシタン本である。新井白石はキリシタン取調べに立ち会った。イタリア人宣教師シドッチエのことである。出島の植物学者ツュンペリーの所有するキリシタン版辞書を実見している。1853・1955プチャーチンと同行したギシケビッチは日露の領事として函館にいた。「拉葡日対訳辞典」を入手し1939年レニングラードに治めたが、戦火で消失。1873年6年「スプリツツアル修業」マニラのブチジャン司教が発見し、大浦天主堂に治めた。1930(大正13年)三菱三代目・岩崎久弥モリソン文庫を本郷駒込に治めた。「ドチリナ・キリシタン」聖教精華オランダ・ナイホフ書店丸善経由「サクラメント提要」上智所蔵の「サクラメント提要」は1934年ラウレス神父麹町南洋カトリック伝導会で発見したもの。50年ニューヨーククラウス書店「ぎや・ど・ぺかどる」その裏打ちより発見した祈祷文断簡一枚所有1949年精神修行提要は小汀利得落葉集2003年東京外大浅井教授マニラで入手されたスピリッチアル10月7日の誕生日の花はコスモス。花言葉は調和、少女の真心ギリシャ語に宇宙・調和見える雑草のごとくの生命力のコスモスは明治初期に入ってきた開国とともにあるようだ。日が短くなると花をつける短日植物。コスモスのおしよせているくりやぐち。くりやは台所のことだが手元に調べるべき物が何もないので字がわからない。9日から大阪でE3のバイオエタノールを官庁の後押しで売り出す。バイオガソリンは二つの製法で役所主導とガソリン業界の間で見解が分かれている。etbeなるガソリン協会方式と役所主導のぶつかり合い。2007年10月07日コメント(0)6日の誕生日の花は葉ケイトウ。その趣意は不老不死隠れ住む門に目立つや 葉ケイトウ。雑草の如く犬走りの端っこから生え揃って立ち上がり成長する。種子が熟した後、指でわずかに圧をかけ抑えるとはじけ飛ぶ。子供ゆえ面白きさまからトビシャコの別称のホウセンカも同様であった。葉ゲイトウとホウセンカはどう風景である。似た状況に昨日は悩んだ。一夜かけて書いたものがアップロードできず凹んでいる。思い出し書くことほど辛いものはないので諦め昨日起きたその数字の使い方での強要される実績評価の差異を瞬時の思いつきで読書の秋で図書館術と対比してみる。企業は人である。またその永久の繁栄は組織秩序の維持にある。何も会社発展の野心に満ち溢れたる人の旺盛さでなく清貧高潔だけでいい。ここに大上段に論づべき問題でもない初歩的ことで書くのさえ稚戯すぎる。実に不思議なる歴史的事実は無血の明治革命である。維新と言葉を変えてることにはイデオロギー対立の深刻さに為政者が作り出したる言葉なんであろう。上野のお山の彰義隊や会津藩、東北の親幕府最後の戦い函館に立てこもった榎本武揚、新撰組土方歳三らの抵抗はあったゆえ無血革命の歴史的意義付けがぼやけてはいる。フランス、イギリス、アメリカの南北戦争とを比較することで明治革命の平和的移行が理解できる。似たようなことが限定的に言えることは太平洋戦争での敗戦を受け入れる1945年8月15日の敗戦の天皇の玉本放送にも見られる。日中、太平洋戦争と大きな犠牲の元での敗戦ではあるが今日があるのも最終的にはあのときの戦争の終結に向けた足掻き掻きがあり終戦を迎ええることができたゆえである。二つの事実は人材を保有していたからの一点に尽きる。そしてそれを作り出した成長過程のどこにでも食料がで来る田んぼが風景があることとだ。田んぼほど大切なものはない。思想に何故とおまわれようが環境は極めてその人の思想を形作る。ヘーゲル哲学を引き出すまでもなく意識は存在を決定する命題に他ならない事実がそこにある。青田波は俳人の季語でもある。6日NHKラジオ深夜便の朝4時から現代俳句会の会長のウダキヨコのインタビュー形式の語りでも言っていた。夏は障子にふすまをはずしすだれかえる。器もガラス類が出てくる。生活慣習から日本人はおりあいをつける、歳時記はその百科事典。田の文化がいとおしい。自然は明治期に作られた新しい言葉であるが、その自然が失われつつある。特に地球の水がなくなる水がめたる地球の危機である。みずがめにまだみずのあるゆうやけかな兵庫県伊丹市かきもり文庫に会長の師・かつらのぶこの展示会が開かれておりその考え方の一端を知ることになろう。電話は072-782-0244が会場である。話を戻す。太平洋戦争は後日に譲るとして明治維新を見てみる。高野長英も大村益次郎も橋本左内も同じ勉学の塾の出身者である。どこかとたどって行けば大阪の緒方洪庵の適塾の出である。その塾のあり方は同であったのか。福翁自伝がつたえる。まず始め入門しても何も知らぬものに如何にして教えるか。翻刻オランダの文献が二冊ある。「ガランマチカ」「セインタキス」ガランマチカを教え素読を受ける傍ら講釈を聞かせる。これを一冊読了するとその通りに教える。ここまでが授業による指導。次は会読10数人が一冊の原書を輪読する。買い集めた舶来のもの医書が、窮理書10冊程度。一種一冊しかないから各自写して自分用のテキストを作らなければ成らない。一度に写す事にはならないから籤引きとなる運が悪ければ毎晩夜中に写すはめになる。1857年から塾長を勤めていたので塾生の難儀さ不便さを目の前にしてた福沢諭吉は幕末3度の洋行の機会があった。慶応3年幕府が買い求めた軍艦受け取りに正使小野友五郎に随行。本業の通訳を逃げ回り、書籍購入に奔走。四千両からの原書を購入。辞書地理所歴史者今まで見向きもされなかった経済法律書を40部ずつそろえた。塾生がめいめいもてるようにのことからだ。正使小野の幕府の書籍が卸値で買えると知って自分の分もいっしょに購入させようと滑り込ませたという。運賃でも公の荷物に入れ公金勘定にした。正使小野友五郎は帰国すると神奈川奉行に差し押さえさせ告発。自分も管理不行き届きで進退伺いをだした。取り締まり不行届出の進退伺いである。外国奉行から「御用中不都合の次第あり、謹慎申しつくる」命をたまわった不名誉な事実の福沢諭吉。志の国家的一大事の建国一途の将来の想いからとはいえ犯罪との断罪の事実はある。もっとも幕府崩壊で放免となる。法知識が弱いが未決囚であることには違いない。明治の新聞王福地源一郎に告白している。商人からのコミッションや運賃その他併せてて一万五千弗利得した。問題は書籍の置き場である。芝の新銭座に、明治初年慶応4年有馬藩中屋敷が買ってあった請けで建物建設に入る。できるだけ安く完成させる想いからであろう。歴史と照らし合わせれば驚くことに官軍上洛で江戸中が騒いでる最中である、大工左官飛びついて請け飯が食えれば結構と破格の安さで請け負わせた。中津の奥平家の長屋を買って移築。150坪を4百両で仕上げた、その当初の塾生は幕末の動乱で18人。明治4年図書室設置を設置した。新銭座から三田の島原藩邸跡移った後である。「月波楼」と建物はなずけられた。図書は寄付で備えられ充実していく。ゆかりの馬場辰猪、目賀田種太郎金子堅太郎も寄贈「慶応義塾書館」の蔵書印を捺しおさめた。中国流解釈では「書館」=娼楼を意味してたが気にしなかった。校舎配置図から見ると品川沖を望む絶好地に図書館は配置された。近代図書館の性格機能との規則は文明開化の音がする。蔵書目録をそろえること至極当然なこのことの初期的処理から整理は始まる。細かな取り決めも実施された。蔵書を売り払うときは古書売り払いの印を押すこと貸出日は何日である貸し出し方法はどうする一年に三度、内外社中借用の書籍を皆集め蔵書目録と引き合わすこと書籍九両として借用した社長から金を納めさせること一銀9文、4文5分即物的で高い焼種油ゆえ必要以上はは消し、そのときの市に従い代金を償はしむ可し和服姿の熟生がまるい形の机で灯火には代金を取った。本を読んだ風景が想像できる寄宿舎学外の公開であった。素晴らしいことである。草創期の人材は断片メモじかんがにゆえである。門野幾之進(1856~1938)土佐16で教員16年校長31年大学えひめ菅学応1868~1932平山幹次田中一貞(1872~1911)エール、パリ大学1858創建安政5年明治41年50周年和田英作(1874~1959)武将が馬から降り自由の女神に対する構図下辺ラテンゴでペン派遣より強し。大正4年12月13日。小川三相20年5・25空襲水上滝太郎馬場孤蝶泉鏡花49年12月復元東京書籍菅等許プ図書館の前身慶応の図書館のことである。会社の発展充実も似たようなことであろう。目先の売上のみでは人材は育たない。恐怖政治に似たるものでは発展するはずがない。内外に結末が例示がある。相撲への親方の顛末であり、タイをミャンマーと凶変させた1988年以来の軍政政治の国みたいなもの。コンゴがザイールもそうである。ビルマの竪琴では現地に残る責任者の立場にあったものの責任感である。責任のとり方がいずれにしろはっきりすることである。売上の数字は給与と対比されてのみ真実性を増す。企業は人なり企業は正しき扱い方の数字なり。1969年(昭和44年)お役所、松戸にすぐやる課ガできた日が10月6日の今日である。2007年10月06日コメント(0)ことさら早く10月5日をむかえている。法人化の約束のリミットはいとも簡単に破られていく。精神的図太さは深まるどころか帰って細くつながってるのさえ不思議なるほどである。今日の誕生日の花はイタドリ。痛みをとるがその名の由来のようで「回復」がその意である。若芽の頃はサドガラと呼び非常に薄き皮をむき、塩をつけ食したスッポンとは後に書物の図鑑で覚えた名だが著者が牧野富太郎であったかどうかの記憶は定かでない。節と節の間が空間になってるので噛むと音を出す「スッポン!」少々その噛み方に技術がいる。歯と口内と唇と舌の絶妙なる連携のもとの音の変換。「スッカン!」「すっこん~~ん!」「スッポン!」ノビルや他も加わり食べながらの室外オーケストラ。春の野原の或いは夏が待ちきれぬ早々の川遊びの堤防はいつも腹をすかしてる子らの食料基地長じてイタドリとなる。呼び名はあるいはそのものに間違いを感じてる部分さえ持つ不安さえ感じて書いている。間違いだ。!かきこみがきそうである。記憶はあてにならない。秋晴れのどこかに杖を忘れたりあまりものの見事なるとてつもない高さの秋の空。忘れモンさえ誘発させる自然の織り成す季節の変化三橋美智也は♪トンビはくるりと輪をかいたホ~イの~~ホイ!♪と情感タップリ歌った。自然の恵みは最高潮でありとあらゆる恵み物が市場にあふれ食卓を賑わす。その生産環境を投げ捨てたのはほかでもない化石燃料社会の格差で騒がれてる現在社会の選択であった。人材的にも化石燃料社会の資本主義的一極集中での都会偏重の社会構造にせっせと励んだ。工業製品の世界の生産基地となった。他方農業などの第一次的産業は凋落した。自然環境から地球上で最高の第一次産業にあった気温下にあるのもにかかわらずである。先進国で主食の自給率が保ててない唯一の不名誉な食と命の元が保証できてない国家である。自給率。コ メ94畜産物16油脂類 4小 麦13佐藤類32魚介類59野 菜76米  国128フランス122英  国 70この無責任体質は他人を著しく傷つけることさえ平気なる民族に変貌しつつある。若者のみで作り上げつつあるブログ文化は特にそうである。受け継がれてきたものの時代変化にあわせた変更でないゆえより歪である。週刊誌と新聞では違う。新聞に女の裸の写真は出ない。家庭宅配と自分から書店コンビニで買う週刊誌の差ではなかろうか日本人のすみわけの知恵の産物なのかもしれない。週刊誌も二種に分類されている。図書館にもサンデー毎日、読売、朝日はあるがポスト、現代はない。グラビア写真のヌード有無の差では無いのか。「ヘアー解禁!」はいつから許されたのかさえ明確な記憶が無い。月曜日に飛行機に乗るのが楽しみであった。木曜日売り出しのポスト、現代が読めるからだ。野坂昭如が「四畳半襖の下張り」でエロ裁判で表現の自由で負けたのは知っている。プロレスと相撲でも違うようで朝青龍に「相撲を止めてプロレスに行け!」「ショウー」と「神事性」との認識の差であろう。東スポは何でもありで「東スポネタ」で認知されてるほどだ。ブログとホームページは違う。この二つの文化の一つに最初からかかわってるので譲れない。最初せきやんがPCはじめた頃ホームページはあったがブログの言葉は無かった。そのプロバイダー技術が無かったんであろう。ブログの私の認識はいささかも変わらない。私的日記の認識である。日記が公開されてるだけである。始まりは日本ではそうであった。遊びの域でたかがブログされどブログで深く悩まない。ホームページではないんだからである。6年間ほとんど一日も休まず書いてきた。ウィルスが着たり、仕事の飲み方があったり、出張があっててもである。この書くにあたり日記なんである。何を書いてもいい。ただ、公開発信されてるので書き手の倫理が問われよう。ウソも百篇繰り返せば真実となる。事実にもとずかないことは書いてはいけない事件にさえ発展しよう。人の悪口をその人と議論もせずには他に拡大していくなどのマナー違反そうなる前に何らかの合意に至る努力をする。書き手は間違いは素直に認めるわびる。誤解を解く努力をする。ブログとはなにか。ブログは個人の敷地内の理解でいいんではないか。挨拶をして書きこみはOK、身内としてのリンクしてればまったく別である。見知らぬ人が敷地に無断で立ち入ったら財産権の侵害。不法侵入。無差別はトウゼンダメである。すでに知ってる仲、身内は逆に別である。リンク者同志は身内ではないのか。身内であるとの認識。苦い経験がある。誤解を解こうと侘びを書き込みするも許していただけなかった。カウンターの周りで順位を決めるプロバイダーに登録したときカウンターアップのお願いを     リンクをして頂いてる方    、のぞきにおいでいただいた方に限りカウンターが回るようにお願いした。ところがお一人は立腹激昂された。若き名古屋の女性である。この方は私のブログに自分からリンク申し込みをされ、お互い楽しくやり取りをしていた、仲である。それが急にせきやんがランキング登録をしたのでお願いをした。「順位アップにご協力してください。」それが「ウザイ!」みたいになりリンクしてるもの同志でさえ混乱が起きたのには参った、滅入った。何度もお詫びするも許してもらえずおゆるしのお願いのこちらからの書き込みはスグ消去。仲良しの方の同情を買う非法な作戦とわたしはみた。こちらにしてみれば悪いことしてない認識もありながら相手が怒ってる以上はまず詫びようでと書き込みするが受け入れられない。キモチワリィとか取り合わない。「バカ死ねクソ爺!」エスカレートするばかり。実に困ったものであった。8月27日「なんともうしましょうか」で書いた。ら特殊な言語とは何たることだとで噛み付いてきた。バカな書込みがあった。ことはこうである。書き出しの一部再掲日本人の説明ほど難儀するものはなかろう。特殊な言語と秘めたる人間性が世界に類を見ないからである。文学の世界でノーベル賞受賞が遅れたのもそこにあった。阿部公房、三島由紀夫等の世界向け翻訳の積極化が遅まきながら認知され心を描くより難解な川端康成が代表受賞でその後大江健三郎が続いた。哲学的で内にこもり、謎の笑い、繰り返されるおじき。阿吽の呼吸、で読み取るYES,NOのシグナル。よって他国人には「NO!といえない日本人」文化となる。ただ、成り行きを覚え形式に従えば無限の領域の日本の諸文化の域である。このような高度なやさしき民族がどこにいようか。茶の湯のわびさびで日本文化が発信されるが鍛錬、練り上げられたものでひとくくりできるものではない。それぞれの日本人論の奥伝は「道」に連なる。庶民たる万民までには伺われぬが少なくとも日本人はそれを教養として矜持している。遊び心、間の芸たる歌舞伎落語講談等の話芸全般の要素が狭い島国ゆえ生活には必要不可欠。いたわり配慮とは又違うもの。世界レベルで比較して見ればよい。国際物理論文コンテストに連続入賞した。国際物理オリンピックという似たものがあるがそちらではない。より独創性が問われるほうで、地道な研究成果だ。小石川高・小田信太郎君入賞おめでとう。凹面鏡の反射光に関する常識を覆したそうだ(スミマセン!なんのこっちゃ~~??)(笑)。電磁気現象の常識を覆した昨年に続いての日本人高校生の連続の成果。指導教諭は上条隆志(59)この「特殊」がいけないらしい。名も名乗らずのかきこみであったが、モラルが問われる。世界柔道での井上の精神的未熟さ。鈴木の幻のあの鈴木の試合は一本でしょう。結果は負け。・見知らぬ人から監視されている不気味さはヒッチコックの映画の比ではない。ブログに怖い書き込みをされたときである。「死ね!」とかではないが心理状態似たようなものでよくない。マスコミ包囲網でノイローゼ気味になった朝青龍をチョット許そうとさえなる。どのような心理状態になるのか。他人に問うように自分にも問い直してみたい。誹謗中傷が不気味で理由が一切解からない。便利な日常的ネット社会の隙間である。何故ひ弱か、便利さに支配されてるからだ。被害者は傷は深いのに     加害者は面白半分。人間不信VS面白半分が増長する。加害者は自分の内面にある抑圧感情を発散、瞬間全能感を味わってる支配欲に気付かないのだろう。匿名なら何をしてもよい。対人モラルの欠落。否!断じて否!そんな生易しいものではない。人格のゆがみに慄然とする。政治や権力権威は自由に批判してもよかろう。巨大ガリバー痛くも痒くもない。民主主義言論の自由であろう。自由なる言論空間の域であろう。多用なる可能性を抑制寸べきでない。似ていても全く異質の匿名での個人書きこみ。ただ、匿名個人攻撃はいけない。他者を傷つける情報を発信しても責任を取らないでいられる。そこまで容認してるのか。救済の社会システムが必要である。ネット社会は未熟ゆえその負の側面がある。2007年10月05日コメント(0)しょうちゅうくれ!とは酒飲みを中傷、侮蔑をこめて瞬間呼んでるのである。、ただ、深層心理はその人に寄せる愛着、人格までは否定してないほのぼのしたところがある。西郷隆盛を敬愛するが如き追慕のしょうちゅうくれ!である。無味乾燥に処理してしまうコンピュター社会にファジーなる人間に似たる感性を持たせるごときだ。要するにその言葉にかかわる人の人間性にかかわることである。テレアポの19:00すぎ仕事帰りに急遽若草とおりのアーケド街の六階に登った。そこにはスタジオ風30坪ぐらいの広さのだだっぴろい株式会社の事務所で、机が純和風の木目調でカタログはおしゃれな器に置かれている。すみやかに冷茶が自家製風の刺繍されたコスター付きで振舞われる。飲ん方に行く予定が急遽のわけのわからぬ変更ゆえションベンの爺の生理的欲求を襲う。「すみません!トイレおかしいただけませんか。}なんとお恥ずかしき訪れる前のマナー違反となってしまうではないか。突然の来訪にもかかわらずご丁寧に仕事の打ち合わせはすすむ。年寄りの口癖たる近頃の若者は・・の心配は吹っ飛ぶ。せきやんはその全体の雰囲気とりわけ、ことば使いから宮崎人でないただならの上品さを感じてる。生きていく上の知恵として弁護士と医者をもて!にこのお二方を付け加え持てば人生楽勝。お聞きすれば案の定、東京の人。う~~ん・・宮崎の若者の企業家はいないものか。地方人材の大都市流出の逆輸入。格差解消の決め手がここにはある。相槌のタイミング、非の打ち所がない。ブログを作成し、販売管理アクセス・アップのトップ貼り付けもご提示された料金でお任せといわれる。商店主になれるわけであり、お客の呼び込みチラシ作成売上増の手立て至れり尽くせり。持ち込んだる商品と需要家のインセプクトをお任せするだけで住む。ウ~ム~。架空空間が多くの商品を持ち展示する新規商店の開店となるわけだ。百貨店売上を超えたるネット販売の実態の現場にヒョンナことから遭遇したわけである。東国原知事の言う誘致企業のカウントにはないハズの優れたるネット社会が生み出したる新進企業。ご縁の鹿児島の姶良はNHK大河ドラマでもクスの大木で蒲生を含めて紹介された記憶が蘇る。東京は台東区か墨田区の下町の薫りと人情を醸し出す雰囲気の江戸の粋さえ感じた。総務省2007年版の情報通信白書が公表されてている。そこには新たにマクロ分析を導入し、IT=情報技術を活用すれば日本の実質国内総生産=GDP成長率を1%程度押し上げられると指摘している。ただ日本のIT関連製品の国際シェアは10年前に比べ著しく低下しており、情報通信産業の内弁慶ぶりが明らかになった。そしてそれにカウントされない企業群もないことであることかもしれない。PC売上比率HP・・・19,2デル・・16,1レノボ・・8,3エイサー・7,2東芝・・・4,1アップル・3,0富士通・・2,9ウエイ・・1,8ゲートソニー・・1,6その他・35,8コンパックはHPが買収NECは9位IBM中国のレノボの躍進はアジア域10社中6社がアジアそのうち3社がJYAPAN。1209万台のパソコンの6パーセント減誰ですか足して100パーセントにならないといってる人。・・・ゲートの分ですって。もう~~ぼろ探しは止めましょう。(笑い)「菫程(すみれほど)な小さき人に生れたし」は夏目漱石。文豪の矜持とともに、自戒や謙虚さが伝わる。初老の域のしたってそうである。いつでもどこでも情報を得られるユビキタス情報社会の到来により、日本のインターネット利用人口は約8750万人に達したと報道する。中でも60歳以上の高齢者層の利用が大きく伸びているという。 マクロ分析ではITの浸透度を表す「ユビキタス指数」を設け、ITの活用により、実質GDP成長率を07年から10年にかけ、約2%を約3%に押し上げることが可能だと推計した。従来のインフラ整備重視の視点に対し、情報化の効用に着目した点はこれまでにないことITが日本経済の効率を高め産業としての国際競争力の低下にも触れている。日本の情報通信産業の市場規模は名目で約94兆円。自動車を上回り、全産業の1割を占める。過去10年で約2倍の規模に拡大。 ところがIT製品の国際シェアを見ると、ノートパソコンが37%から27%、携帯電話は33%から11%へと低下。韓国や中国などの追い上げで、53%あった液晶パネルも12%、DVDプレーヤーは77%から19%へと縮小。 この背景には国内に偏重した日本の市場構造が見逃せない。英ボーダフォンやドイツテレコムなど欧米の通信会社は海外売上比率が高いのに対し、日本企業はほとんどが国内。放送事業も同様だ。ネットワーク機器はもともと国際シェアが低く端末についても国内優先の販売体制が海外展開を遅らせている。 欧米では米アップルが携帯電話を発売したり、英ロイターとカナダのトムソンが合併するなど、国境や事業領域を超えた国際展開が加速している。日本が世界で存在感を失わぬようにするには再び海外市場へ目を向ける必要がある。ただ、内向きたるIT産業の利用のソフト産業の実用化は多方面に進んでいる。「毛髪ミネラル検査」が今、ブームになりつつある。髪を0・2グラムほどカットし郵送などで検査機関に届けると数週間で結果が返ってくる。有害ミネラルが血液中にどれくらい蓄積されているのかのデータと原因分析、対処法だ。5000~1万円ほどの費用がかかるが、デトックス(解毒)ブームを背景に、一部の医療機関でも検査項目に取り入れている。「大気汚染、水道水、魚介類、穀物などによる有害ミネラルの摂取量が比較的多く排泄も積極的に行われていない可能性がある」上杉レポーターの結果が例示記載されている新聞記事。職住ともに都心だし、魚もごはんも大好物。毒にまみれた血の気も引く結果だが「皆さん、こんなもんですよ」と担当者のコメントも触れられている。生活環境、食の安全が際限なく崩れている今「皆さん」が危機なのではとも書いておられるこのままデトックスビジネスに乗せられるのもシャクだ。せいぜい「皿」まで食べないように気をつけよう。と警告が発せられるのもIT産業の実情を知ることの一つである。このような産業さえくだんの若草通りアケード街の若き企業家からはサポートがなされ発せられろことになるのであろう。 「過ぎたるは猶(なお)及ばざるが如し」は「論語」の一節。「度を過ぎてしまったものは、程度に達しないものと同じ」(広辞苑)を意味する。これは世界共通のようで洋の東西を問わず格言がある。英語でも「オレンジを搾りすぎれば苦いジュースになってしまう」ということわざがある。健康検査の何泊何日コースも含め日帰り検査が主流のようであるが、健康を調べる医療期間はあちこちに見られる。予防医学成る旗印の下に武見太郎以来延々と続く日本医師会の総需要の生き残り策の特権を見る思いだ。医者不足があれほど深刻化してても食いぱぐれのない医業の医は算術があちこちにある。医者不足でなく適切なる医者の配置がされてない医業の政治の欠落で医業の偏重の実態がそこにある。宮崎駅前の古賀病院後のクリニック。阿波岐ヶ原の病院はずいぶんと歴史がある草分け的存在の一大調査のみの医療施設。建物さえ拡充されてきた医は算術の経緯が驚くべき施設つとともにある。予防医学はわかるが身近な緊急病院に医者がいない西都の夜間緊急病院のスタッフ体制のほうが生活してる人々には大事なのである。IT産業の隆盛は喜ばしいが社会の深部の問題点を暴くよう成る利用の仕方はあまり見かけない。情報管理にたけたる和歌山選出の世耕議員の権力にすりより新たなる福田内閣での猟官運動もわからずではない。草の根的に社会の棲みからIT産業の企業群は培われようとしている。何もブログを利用してのネット商店だけのお話に限定されることだけではない。IT産業のネットという架空空間ゆえの三次元社会のことからゆえか思惑は無限に拡大していく。GDPなる成長率を1%程度押し上げるもまさかその程度の域で白書が書かれたのではなかろう。ほろ酔い加減ですすめたるブログは久々で痛飲にお誘いいただき有難い事。お陰でPC枕にウトウトで秋の季節の一夜を深夜便のラジオの記憶もなく未発達の脳にもスイッチが要った。景気回復の大都市のみの地方との格差をも知ることでもある。まざまざと現実に引き戻されている。企業誘致は製造業の土地が安いので着てくださいの工業団地方式からの脱却インフラたる高速道路高速鉄道の問題も之では吹っ飛んで宮崎にピッタリだ。第三セクターで進めらてきた之までだがまったく違うIT産業の浸透は自治体は楽である。推進事業の雇用事業はどうなってるのか。人材はどうなってるのか。アイデアを持ってる人は役所にはいないのか。東国原知事の環境職産業偏重がここにも現れている。なにもビッキョのみが忙しいのでは経済の歪さとしか県民は見ないであろう。ITと飲酒というダブルの架空なるにわか、しょうちゅうくれ!の一夜の顛末。2007年10月04日コメント(1)逆転のサヨナラをラジオで聞いた。ホ-ムランで3-3で追いつき最終回ツーアウト満塁。清水のいぶし銀、阿部の執念ホームへの疾走。今年を象徴するスリリングナ試合の集大成。02年以来だったか常勝ジャイアンツの5年ぶりの優勝である。江川卓の監督就任もこれで流れてしまった。バブル期を生きた世相の被害者は桑田を含め蘇ることができないドームの外は雨であったんであろうか。ドーム球場は雨が降ってその効果を遺憾なく発揮する訳で雨を呼んでるのかもしれない。ジャイアンツの春秋のキャンプ地は宮崎が引き受けている。それが奇怪なるジンクスがある。ジャイアンツが来ると不思議と雨が降る。「ああ雨じゃ。そういえば昨日ジャイアンツの宮崎入りじゃッた~」まことしやかに語られるジャイアンツは生活とともにある宮崎人の共通認識。ジャイアンツは宮崎では雨男。雨にかかるまくらことば??ビッグエッグとはよくなずけたもの。赤と白の鉄の造詣が東京タワーのことばでコトコトと心の蔵が動き出し、命が蘇った如しだ。その東京ドームが完成したのは1988年3月。こけら落としのイベントはなんでありました覚えてます?さらにその日の天候は。そうです。プロボクシング世界ヘビー級チャンピオン、マイク・タイソンの防衛戦試合はタイソンが二回2分54秒、期待どうりのKOで勝ちで挑戦者の野望を退けたその日、東京地方の天候は雨。最初のプロ野球公式戦は4月8日。この日も関東地方は未明から季節外れの大雪。西武球場の開幕戦が早々と中止を決めた中、東京ドームでは予定通りセ・パ両リーグの開幕戦2試合をダブルヘッダーで行った。全天候型のドーム球場ならではの威力をいきなり発揮したタイガースの8連勝、の後の連敗。落合ドラゴンもマジック6を横浜と逆転負け。さらに広島で勝ち試合を逆転負け。点灯したマジックを消しての自滅。原との陰謀ではないのかさえ思えるつまらぬ自滅でしかなかった。野球はなずけ親の根津で落命した俳句大成者松山の人・子規ゆえかアメリンカンドリームの華やかさはより試合の厳しさの敗者の色合いを濃く持つように感じる。発祥の国の華やかさからそれでもやはり憧れのスポーツ。漂泊という言葉には、どこかしら自由に通じるあこがれのような響きがある。 定住する土地を持たず、船をねぐらに漁をするという漂泊民は家船(え)。日本にもいた。民俗学の泰斗、谷川健一が「甦る海上の道・日本と琉球」(文春新書)の中で触れている。谷川は九州大でのシンポジウムで「家船は、博多を起点とし、八重山諸島を終点とする南島貿易の主役だった」と持論を展開した。 漂泊民といえば、虚実ないまぜに語られるサンカが知られる。だが、昭和を前に姿を消したと言われるサンカに対し、谷川が家船の拠点の一つだった広島県で「最後の家船に会った」としているのは99年。わずか10年前まで、日本に漂泊民がいたということに驚いた。 サンカが今なお多くの人の関心を集める理由の一つは、現代人が漂泊民に対し、管理社会を生きる自分たちにない自由さを見るからだろう。最後の家船がどうなったか、は記してない。原続投では視聴率も人気も取れない。またもや野球界の危機。長島父子がサッカーにのされ崩壊寸前を救った救世主のナイトの役がいない。ここはナベツネが蛮勇を奮ってワルになって原の首にヒモを鈴をつけてほしい。花道勇退論はこの監督業の世界には存在しないから不思議である。「しんじら~~れない!」は後期優勝をしてアメリカに帰るがどうにも家庭のためではじめに退陣ありきであったゆえそうではない。シマタイゾの二回目アイアイではじまったラジオ深夜便リスナンーもホトホト疲れてのラジオ深夜便明け。越地吹雪のラジオコンサートによった。本名コウノミエコゆえの「コ~~チャ~ん」であったのだ。プラチナチケットゆえではない。LPレコードで十分であったのでコンサート会場にその舞台に接することはないままであった作詞の人は、付き人を無報酬でやった岩谷時子夫たるナイトウツネミの誰もいない海別離はサザナみケンジ。1980年56歳で逝った。27年も過ぎてる早いもんである。宇都宮大のマエダヤスヒコの二夜にわたる漬物論の微生物にかかわるお話は実に爽やかであった。梅干はシソを入れての利用は日本食そのもの。中国台湾の梅干もどきはミッセンでシソの利用がない果肉利用だけ。梅はクエン酸効果で元気が出るがテーマとして体との研究はなされてない。枝葉末節の方向に研究テーマが流れてはいないか。やまよりのひは金色の今年米3日、今日の誕生花は「アシタバ」花言葉=旺盛な活動力摘んでもつんでも出てくる薬草効果は乳牛に与えると乳量が増ることでもわかっている。元気があれば何とか成る。ダイアナ妃の審理が叉始まる英国。いまさら何を真実を審理するのか。の声もあるらしい。この世の真理はときの心理。とりわけ裁判なる真理追及の場である。何一つ真理は法廷では裁かれていない。裁判とはすべからくそういうものである。審理が暴かれたためしが一つもない。ゆえに映画の審理が名画になるのであろう。2007年10月03日コメント(0)世界一の郵政会社が発足した。サービスの低下は明らか。上手く先方に郵便物が着いてない状況がやたらにあった月末の事実今日から郵送を止めクロネコの宅急便に変えた。悪名高い田舎切捨て政策の象徴たる小泉安部の政治の集大成。田舎は町村役場が統廃合で無くされ小中学校さえ消えつつある。郵政民営化は350兆の資本が国外に出ることであり、それは国内金融市場の縮小であり投資と富を国内でなく海外に求め回し特別的に米国の国債購入にまわされているのが実情であろう。全国24000の郵便局が今後どうなっていくのか。資本の倫理はわかりきっている田舎にある郵便局は統廃合の対象となろう。国内経済が上向くはずがなく、格差の拡大はさらに広がろう。厳しき残暑の中の田舎切捨ての郵政の船出である。何が目出度きものか。先月で30度を超える日が28、29日あった鹿児島と臨県。お天道様さえ怒っているのは温暖化だけではないのかもしれない。天をも恐れぬ小泉安部政治の所業に対してなのかもしれないとさえ思えてくる。テレアポで人生の修行をしている。富山県を中心だが、相手に不足無し!手強い相手の大変なる仕事である。扱う品物は南の文化たる焼酎で米どころ日本一の日本酒文化圏の富山新潟と二重三重苦である。荒海や佐渡によこたう天の川。せきやんはかってこの歌の主と違い佐渡に渡った。日本を席巻した越中富山の顧客台帳を持つ英知の薬売り。その富山の飲食業の社長さんからご指示をいただいた。焼酎のおいいしい飲み方をお客さんに教えたいので焼酎に資料を同封してほしい。もっともなことである。会社にはそれはない。化粧箱に日本でただ一つの焼酎に様変わりのオリジナルのラベル張替えサービスだけである。この出会いをご縁に店舗運営を改革したいとも言われる。荒海やどころではない。こりゃぁことだ!馬のションベン渡し舟。誠心誠意一生懸命が矜持ゆえ今夜は睡眠時間はまったくなくなろう。そこで、南国の文化たる焼酎文化に急遽徹夜で取り組む運びと成った。ブログ仲間の皆さん!いつものように我慢をいただき誤字脱字、主語不明のダラダラ日記にいつも以上にご照覧あれ!お酒の楽しみ方に定番はありませんが日本酒については落語にも出てくる飲み方があります。酒は燗(かん)、肴(さかな)は刺身、酌は髱(たぼ) 金馬の高座が偲ばれる。焼酎は5通りの飲み方にかなうのを探すことにありますがなかなかピッタリ見つけるのに難儀します。焼酎は実に自由に楽しめます原料銘柄ごとの個性が加わると楽しみは無限に広がります。梅干割や牛乳割とバラエティーに富んでるので乱暴に集約して通常の飲み楽しみ方は五つでしょう。としたいものです。   1お湯割り   2ストレート   3オンザロック   4水割り   5燗お湯割り・・ロクヨン(6:4)  焼酎の飲み方からお湯割を除外したら暴動が起きるかもしれません(笑い)  焼酎はお湯割が定番ほど本当のうまみが味わえると信じています。  段違いに香り風味増すのは事実です。  焼酎の飲み方の正統派。本流です。  熱湯でなく70度ぐらいが最適です。  6:4のお湯割出来上がりは40度ぐらいになります。  お湯と焼酎どちらを先に入れるのがいいのでしょうか。  どちらでも同じ・・??のハズですよね。  ところが焼酎好きには大事な問題のようです。  宴会のときの長老からピシリ!とやられた経験をもつせきやんです。  秘伝?として伝わる鉄則があります。  それが・・・  NHKのテレビ平成16年2月「ためしてガッテン!」で取り上げられてしまったのです。  司会者の落語家さんは富山の人です。  正解?は「グラスにお湯を先に入れる。」  グラスにお湯を入れ焼酎を入れる。が焼酎好きの作法らしいようです。  逆では焼酎の味が・・・こわれてしまうとのご宣託をいただきました。。  正答なら焼酎が混ざり、やわらかく花開くんだそうです。ストレート  焼酎を薄めることなく生(き)で飲むこと。  焼酎は温度も度数も変えて好みに合わせて飲む自由なる酒であります。  法律上25度から45度の間です。  多く造られてるのは通常25度であります。  宮崎では20度焼酎が造られてきたのでそれを生で飲んだものです。  20度を6:4で割ると12度とかなり薄い度数で焼酎の味が楽しめません。  お湯割水割りで飲むと子馬鹿にされ無理して生を飲み繰り返すことでそれに慣れました。(詳しくは1ミニ歴史)  胃壁のためにはよろしくはないようです。オンザロック   平和な時代はありがたい。   冷蔵庫もない時代が昭和30年代末までの日本であったので氷は貴重品。   自動製氷器なんぞもなく限りある氷は湯水の如く使うわけには行かない。   現代は焼酎のクセある香りと味を抑えるのみ方としてお湯割を超えるほどのポピュラーな飲み方で主流である。水割り   ほとんどはお湯割の項のままです。ただ非常に少数派。   夏の暑いときにこの飲み方をする人が現れます。でもやっぱりお湯割が多いようです。   秘技として割り水がありますのでそちらの項を参考にしてください。燗  お湯割と同じではないかと思われるかもしれませんが違います。  燗は焼酎そのものを温めるわけですから酒器がいるわけです。  焼酎の叉その原料である薩摩芋の伝来した二つのルート琉球・薩摩・日向と朝鮮半島からの伝来の文化の差かもしれません。  民俗学・民芸の創始者・柳田邦夫、柳宗悦先生方もこの分野の研究が落ちてるようで資料は極めて少ない。  せきやんの見聞きしたことでお許しいただきたい。(ミニ歴史2)   1薩摩独自の酒器ご指摘の黒チョカ。   2琉球由来の酒器カラカラ・ガラ   3日向の酒器鳩徳利   4日本の酒器徳利・お銚子   5日向山間部の酒器カッポ酒 燗の器具    黒ちょかは底が広くひらっぺったい。    鳩徳利なんか基本形は黒ちょかだが違うところがある。    注ぎ口がS状態に水辺を泳ぐスワンの如くなっている。(ミニ歴史3)    カッポ酒は直径6~8センチの無双竹の節と節を利用して    酒を注ぎこませ囲炉裏の灰の中に突き刺す。    小さな開けた穴から「カッポカッポ」と音がするのがこの名の由来。    2~3尺もある竹筒なのでお酌も手酌も慣れぬと難しい。    味はって?お聞き召されるな。    青竹のかぐわしい臭いが焼酎にのっている燗のしてある焼酎です。    寒き長き夜には最高であります。   割り水    焼酎どころでさえ知らないのみ方の上手な作法に「割り水」があります。    マスコミでやっと紹介されるようになりました。    その都度水で割るのが水割り。それと同じですが、    あらかじめ焼酎を水でわり冷蔵庫などで寝かせておくだけです。    たったこれだけで焼酎と水が溶け合います。    驚くほどまろやかな味に変質します。「割り水」の技であります。    期間は1,2日でよく、10日でもいいらしい。    1ヶ月が絶品だという人もいます。(ミニ歴史5)2007年10月02日コメント(0)月が変わり過ぎ去った悲喜交々の日々、残り四分の一の3ヶ月のラストスパート。この期間の変化は日増しに厳しくなるがとりわけ今年は残暑が長いのでその変化がひどかろう。よって自然の恵みたる旬の食材の食欲の秋を楽しむ期間も短かろう。東京は気温の前日との差が12度も会ったらしい。スペインが16度で丁度、雨の寒き東京と同じ温度だったようだ。10月1日の誕生日の花はマツムシソウ。かって野山にあったこの草は園芸店か、種から育てるしかない二年草。淡い紫の花をつける。花が落ちた後の形が修行僧の持ってる松鐘に似てるのでこの由来の名がついたとの説もある。花言葉はその風情さから、けなげ。このような人探すには砂の中の砂金を捜すようなもの。この草同様いまでは危機絶滅種通年なら風情を楽しめる一番の季節だがもう年末である。制服も冬服への衣替えの季節。赤い羽根の街頭募金さえ始まる。何も郵政民営化の初日と騒ぐ痛恨の日々の始まりの日ではない。   教え子の赤き羽なり重ねさす。食材たる主食をかってのポルトガルは栗に求めたらしい。昨日ののラジオゆえ調べてるかいたことではない。北海道帯広十勝・池田町では自然環境が厳しい。氷点下30度夏は32度ブドウ栽培は難しい斜めに植える枝を土に埋める。でないと枯れる。気温が高く雨が少ない一年であったのでいいワインができるようである。今週の週末7日のワイン祭り行ってみたいものだ。牛肉3頭分12時間かけて焼いた牛肉にタップリの新種。ブログから転載させていただき記録に留めると次のとおりである。    ポルトガルを語るには三つの大都市リスボン、ホルト、コインブラを知れば事足りる。    世界支配者として君臨してた422年前の天正遣欧使節の頃と何ら変わりないと乱暴に決め付ける。    せきやん未開の地ゆえに地球の歩き方でである。    敬愛する研究者の先生はそのご評価を受けられたし、この地での報告もでている。    天正遣欧少年使節の記念碑など足跡一つなかったようだ。    内向きでない視野を教えていただいている。実に感謝。    コインブラは、政治のリスボン、商工業のポルトに次ぐポルトガル第3の都市で、学問都市である。    モンデゴ川を眼前にしたアルカソバ丘に、コインブラ大学を中心にして形成された風光絶景の町である。    行っても無いのによう書けたもんだ。    先月行かれたばかりの先生の言葉で解かるとチョウ強き。 1290年ディニス王によって創立されたコインブラ大学はポルトガル最古の大学。1911年リスボン大学がにできるまでは、ポルトガル唯一の大学。、1537年にジョアン3世がコインブラの宮殿内に設置しリスボンとか何度かの移転の変遷に決着。    学生たちは黒いマントをはおりコインブラ・ファドは男子によってのみ歌われる。    時計塔、中央のラテン回廊。ラテン語を話すことを義務づけられていたらしい。1998年11月、尾原悟著『ザビエル』(清水書院:人と思想156,)、    新カテドラルには、日本人最初の留学ベルナルドが葬られている。    フランシスコ・ザビエルから洗礼を受け「ベルナルド」という洗礼名は与えられた。    終始ザビエルと行動をともにした。1551年ザビエルが日本を去るにも同行しインドに向った。    そこで、ザビエルと別れ、ヨーロッパへと向かう。1553年日本人初のイエズス会士「ベルナルド」がリスボンで誕生する。1554年ローマに向かいイエズス会創立者、イグナチオ・デ・ロヨラに会う。1557年ポルトガルに戻りコインブラのコレジオで学ぶなかの病没は惜しまれる。。       新カテドラルは約100年かかって完全に完成。、1585年12月にコインブラを訪れた天正遣欧使節の一行は、完成間際の建物を目にしたはずだ。     ベルナルドの遺体は、新カテドラルが完成するまではどこにあったんであろう。     28年前に客死したベルナルドという先輩とどう向き合ったんであろうか。     対面についての記録は、何も残っていない。     旧カテドラルはロマネスク様式。主要工事は1140年から1175年にかけて、     初代ポルトガル王アルフォンソ・エンリケスの命により建立。1249年にアルフォンソ3世のポルトガル、レコンキスター国土回復戦争が終結まで要塞としての機能も果たした。     建物のトップをみるとよくわかる。     1585年12月天正遣欧使節はコインブラを訪れた    その翌々日の降誕祭には、大司教座聖堂で司教ミサを受け、キリスト生誕劇を見た。    その建物は旧カテドラルだろう。    また、イエズス会の聖堂でロヨラ修道士が日本語で説教をした。1585年11月、再びリスボンに戻ってきた 使節一行は、ローマ教皇をはじめ諸侯との謁見を終え、。    しかしインドへ向かう航海の予定が翌年3月ということになった。    以下、『デ・サンデ天正遣欧使節記』(雄松堂出版:新異国叢書5,1969年9月)    の千々石ミゲルの発言という設定になっているコインブラ行きの経緯をのぞいてみよう。 われわれのリスボン滞在がこんなに長く延ばされなければならなくなっていたときに、おりよくポルトガルのいわゆる「臍」(中心)と称される所にあるコインブラの市から、同市の学林のパドレの方々がわれわれに会いたいとの熱意に燃えていられることを示す使節が、しきりにわれわれの所へ派遣され、またその学林の有名なことについてわれわれもすでに多くのことを聞いていたので、われわれとしてはそのとき、コインブラのパドレの方々の望みを満たすより以上に愉快なことはなかった。……中略……コインブラに到着した。われわれが近づくとまず第一に迎えに出て来られたのは、テントゥガル伯のご子息であられる有名なジョアオン・ブラガンサ殿であった。このお方には、われわれがローマに赴く際、フェリペ王の宮廷でお目にかかったことは、先に私が述べておいた。やがて市長が参られ、その他の高官方もみえた。最後にもっとも有名で、かつ特にもっとも尊崇すべきコインブラの司教さまであられ、アルビカストラAlbicastrumという名家ご出身のアルフォンソ・アルビカストラさまAlfonsus Albicastrensisがみえられた。これらの方々はみな、他のおびただしい騎士たちと共に、イエズス会のパドレ方の学林までわれわれを案内され、そこで会のパドレのお一人は、きわめて優雅な演説をされ、その中で、われわれを派遣された日本の王侯たちお三方を美辞・麗句を連ね、言葉をつくして讃美し、聴衆に対して非常に快い感銘を与えられた。その後、楽器の合奏、その他多くの一般的な祝賀の催しが行なわれた。(対話第三十より) 松田毅一『天正遣欧使節』によれば、「一行がコインブラに到着の当日、大学や諸学校は、学生生徒が彼らを歓迎しようとして登校しないので、休講日とせねばならなくなったという」。 ミネラル・ウォーターの産地ルーゾ。源泉の湧き出るここに、空の大型ペットボトルを大量にかかえて水を汲みに、たくさんの人々が集まってきている。テルマと呼ばれる温泉保養地にもなっているそうだ。 ちなみに、LUSOというミネラル・ウォーター(agua mineral)製品もある。ミネラル分が少なく、軟水度世界1なのだそうだ。  LUSOは、インターネット通販で購入することも出来る。  東京都府中市にお店があるそうだ。2007年10月01日コメント(0)春秋の彼岸が終わり社会は現世人のみで動いている。先祖さまの前に両手を合わせ永久の安らかなる安寧なる眠りと自らの一族の繁栄を氏神たる先祖に祈り花を手向ける。千手観音の自在なる手の如くしっかりと両手を合わせる。その敬虔なる信仰心がわが国の宗教である。ところでその手であるがトイレ後の手洗いの有無の調査がブログを利用してあり60パーセント近い人がトイレ後に手を洗わない世相とあるから驚いた。団塊世代は成長過程の時代背景的に下品な世代だが手洗い励行の教育環境での教えは忘れない。いやはや、確かにハエやドブが生活環境から消えたが衛生の基本たる手洗いの励行が何故にこのような事態になってるのか合点が行かぬ。これは家庭、学校教育の退廃の最たるものであろう。偏差値教育どこではない。生活の基本がなっていない。公共の場たる駅で見てるがいい。彼女を外に待たせ小便を済ませると手洗いはなく鏡の前でヘアースタイルの確認。そのまま彼女と手を取り合って消えた。ブログを見ると驚く。大のほうでないのに何が汚いのか。と2チャンネルにある。大でさえウンチが手についてないようなら洗わないともおっしゃる。否!ばかったれが!いってぇやがる!親の顔が見てみたい。気持ワリィー生理的に慣習的に受け付けない。ションベンしたら手洗いはセット。御祓いの感情を無くしてる現代人は不衛生極まりないとこにさえなっている。回虫の検査が必要な先祖帰りの公衆衛生のきわみに来てるのではなかろうか。感情だけではない。法定伝染病をほとんどなくしていったのも民族の努力の賜物であった。マッチ箱に朝一のウンチを入れビニール類がまだ世間にそう出回ってないゆえ自宅から学校に新聞紙などで「大事に」運んだものだ。回虫類さえ体内に持ってるものもクラスに結構存在していた。かくいうせきやんもその一人。名誉のための言い訳こうである。農作業や雨の日の学校登校に裸足故でもあったんであろう。農作業の場合に靴がなく裸足で田んぼに自宅の人糞をまいたりするものだからあたりまえ。ただ、学校での足洗い場では綺麗に洗って教室に行った。足洗い場の底には土がたまってたまってたものだ。もちろん手洗いの励行はしっかりしたものであった。戦争での焼け野が原から立ち上がったばかりの国家の民はすべからく悲惨があちこちにあった。先進国の世界で唯一62年間もの間、戦争をしていない唯一の日本の国。平和な国は述べてきたような状況にあるわけで早速その状況を述べねばならない。ショッキングなニュースがあった。「エキノコックスの卵」見つかる。だけでは相当なる社会的混乱を興すやも知れない。はたして「吉」なる話なりや「凶」なるお話しか。北海道のキツネやネズミに寄生し、人に感染すると重い肝機能障害を起こす寄生虫らしい。北海道大などの研究チームが、道内のペットのネコのふんから国内で初めて発見した。 ネコの体内ではエキノコックスは育ちにくく、人への感染源となる卵の排出はないとされていたが、今後は注意する必要がありそうだ。 9月2日北海道江別市での日本獣医学会で発表された。 欧州ではネコのふん便からもエキノコックスの卵が見つかる例が報告されており、野中成晃講師(獣医寄生虫学)らは、道内で飼育されているペットのネコ約600匹を調べた。その結果、1匹のふん便から、エキノコックスの卵が見つかった。エイズとか黄熱病とか最近ウイルスは生存環境から温暖なる国の専売特許化と思えばそうではないようだ。寒い国でもいるんだぁ~エキノコックスなる変な病気のウイルス。鳥インフル、レジオネラと宮崎はどうにも県下全体にお祓いが必要なんだよな~。レプトスピラ菌が県下にいるらしい。ネズミ牛犬の尿が感染源.症状は高熱腎障害。汚染された土、水とともに傷口や粘膜から菌はいってくる。人と人の感染はない。潜伏期間は3~14日全国27件のうち8人が本県人という。月変わりの農繁期になる。水や泥に触れる機会が増えるのでしんぱいである。動物に寄生する訳で「幼少時」とは可笑しな言葉のボギャブラリー不足を告白してるが要は生存温度の寄生するところを確保しておれば、寒い地域であろうと条件はあったかい国と同じではあるわけか。フムフム。そういえば一時大騒ぎした「ハクビシン」中国発 はどうなったのか。SARSウイルスの原因を持っていることで話題になった生物、だがこの国にしょっちゅうある現象だが、いあまはニュースの一つ流れない。急に沈静化するのがおかしい。SARSウイルスとのたたかいは終わってないはずで恒久的に続けなければならない。あの国内上げてのとりわけお役所の防御訓練などの大騒ぎは何であったのか。SARSウイルス菌はシメシメと大喜びで繁殖していることであろう。ハクビシンは野生化して国内に住んでるからである。2007年09月30日コメント(0)歴史作家のべストテンを人気投票にかければ司馬遼太郎になるんではなかろうか。日本の歴史上の出来事に関する諸著作は司馬史観と尊敬をこめ敬称をつけて呼ぶ。そこまで人気が出ぬ前は昭和史発掘に集大成され「点と線」等のミステリーの著作の松本清張がその地位にあった。司馬のその筆致テーマ随筆風に論壇風発の縦横無尽のマスコミにも乗った語りが清張に優ったのかもしれない。ところでその視点で日向の歴史を見るとき松本清張に軍配を上げるのは天邪鬼なるせきやんの性格からくるのか。いや事実の数々を清張ばりに発掘したからに他ならない。日向の歴史は都於郡を抜いて語ることはできない。それは何も伊東氏のみから始まるものでもなく日本国家建設のときに由来する。掛けまくも畏き伊弉諾大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に 御禊祓へ給ひし時に 生り坐せる祓戸の大神等  諸々の禍事罪穢有らむをば 祓へ給ひ清め給へと白す事を聞食せと    恐み恐みも白す   伊弉諾大神が身禊をされた 「小戸」の地に由緒深き詞である 祓詞は奏上することによりおのずと 罪穢れを祓い清める畏き詞として 現在も日本全国の神社において 必ず奏上されている 大淀川の最下流は、古くから「小戸の渡」と呼ばれ、この地を訪れた伊東義祐が神話の世界に思いをはせて詠んだといわれる歌碑が市役所の東玄関近くに立っている。 「神代よりその名はいまも橘や小戸のわたりの舟の行く末」 「前の世じゃ志こたま貯めた男なり」 小戸神社駐車場の隅ににある句碑。 こんな捨て台詞を辞世の句にしたのは、日向狂歌 の生みの親、目野丁勘切(めのちょかんきり)こと、 目野清吉。 (ちょかんきりとは『蜥蜴/とかげ』のこと何度同じところをグルグルと回っているのであろう。日向国内の百姓一揆と廃仏毀釈白樺派と種蒔く人のクラルテ運動松本清張と都於郡伊東氏は伊豆よりいきなり都於郡「高屋」に本城を築き累々代を重ね日向全土を支配した。さらには島津の支配区域さえ48の支城をもって威圧席巻する勢いであった。木崎原の戦いで落ちる夕日の如く転落していった。その累々重ねられた末の隆盛、その後の没落のはやさは歴史に鮮やかなる1ページを残している。ここに不思議なることがある。何故いきなり都於郡「高屋」に下向したかである。「高屋」はせきやんの調査の途中の説では秘密であるが公表すると天孫降臨のウミサチの陵墓跡である。何故に伊東氏でさえこの地に居城をしたかの先例者がいた。景行天皇自ら熊襲征伐のときの天皇仮皇居を定めたのがその根拠である。島津がみずからの権威をよりどころにするためにもこの都於郡「高屋」がどうしてもほしかった。伊東氏の領土がほしかったのでなく都於郡「高屋山稜」がほしかったのである。いまでも雅楽の宮内庁の天皇家の諸行事に島津に由来する仮装が先頭を勤めるのがそれである。ゆえにこのように高屋山稜の地と伊東が何故との自らに宿題を定めたかテーマを抱えこんでいる。友人諸氏にご心配の掛け同士で申し訳ないどころか、お恥ずかしい次第。先日は白き金銭入りの包みを両手を合わせて頂くはめで恥じ入っている。法人化の苦悩で今しばらくお許しを頂き、テレアポで初心から商売の根性を鍛えなおしている。さて日々更新のブログゆえ時間がない。荒い筆致の中身となる。伊東氏には少なくとも3人のお家の貢献者がいる。六代祐国がそうである。業績はいずれ触れ省略する。昭和14年頃、都於郡・光照寺は住職が無く困っていた。六代祐国の菩提寺で供養塔もある。小倉の日切地蔵院の住職であった今坂清通。ご夫人は「つるゑ」小倉時代は裁縫の先生。日切地蔵院の寺の広間を利用して若い娘さんを教えた。魚売りの行商人がよくやってきた。息子の嫁探しを兼ねていたのである。。この頃松本清張は朝日新聞の小倉支局者見習。父は魚の行商人。件の人である。その人が内田直子さんを見初め世話することになった。今坂夫妻が仲人の労をとった。昭和57年5月17日住職は都於郡・光照寺で他界。その翌年つるゑ夫人も他界。文壇の重鎮に寸暇の時間もない。松本清張より丁重なる香典が都於郡・光照寺に届いた。都於郡・光照寺のお通や葬儀に集まった人々はお和尚さんのお人柄御厚誼ぶりに驚くこと仕切り。古来欠けねば両親は6名いた。自分・妻・仲人親である。ともに同じ扱いで生きたものだが今の時代は知らない。自分の両親さえ親とも思わぬ風潮ゆえである。小倉の松本清張記念館でも知れない逸話である。松本清張は平成4年9月。に亡くなった。九州に覇を競っていた伊東三位入道祐義のうた旅は憂し 窓の月見る 今宵かな牛窓風土物語。「月もみつ またいかならむ 行く末の空」元弘2年後醍醐天皇が隠岐に流さるるとき、摂津・今夜昆陽野・で詠んだ行く末の 空知らぬとの 言の葉は    今身の上の 限りなりけり 2007年09月29日コメント(0)午前二時のロマンチックコンサート・ビンテージジャズはレイチャールズ。ソウルの神様がビートルズのイマジンをフランスの銀行の依頼で歌い、日本の名曲89年サザン・いとしのエリーさえレイチャールズにかかると魔法の如く白が黒に黒が白になる。芸術の世界の元の曲変化の異変は感動だけで罪がない「オオシモフリエダシャク」こちらは履修不足でなく理系単位減で秀なる偏差値族でさえそれなーに?となるのであろうか。「生物」の授業で教わった「ガ」のことである。9・27開通したダージリン鉄道に始まる石油資源の地球埋設物の悠久の時代から眠りを覚まさせた石化文明の歩みの19世紀の英国でのことだ。もとは白っぽかったこの「ガ」だが工場の煤煙が木々を黒っぽく汚染するとどうなったか。「ガ」の体色も黒っぽく変わったのだ白いオオシモフリエダシャクは周りが黒くなったおかげで天敵の鳥に見つかりやすくなって激減ここで種保存の逆転はね働く。進化、生存生き残りの生命の記憶。DNAの先祖の遺産は何も霊長類の長たる人間さまだけの氏神様だけではない。わずかながらいた黒っぽい個体が保護色のおかげで激増したらしい。「工業暗化」といわれるこの現象、進化論の自然淘汰を示す例とされてきた話には後日談がある。煤煙規制で環境が元に戻ると、この「ガ」も再び白っぽく変わった。見た目では環境の変化に合わせて「先祖返り」したかたちである。もっとも生き残りのための先祖返りは、人の身勝手による環境汚染に振り回された虫の世界の出来事ばかりとは限らないようだ。ミヤンマーでは日本人死者が出た。僧侶の逮捕と凶暴化してる軍事政権。日本は動かぬどころか動けない政治空白。ニューヨーク国連総会での地球環境会議の再生可能なる地球環境の維持の京都議定書後の問題とりわけCO2削減の数値目標にドイツの世界を主導する姿勢には二つの対戦を反省する意思さえ感じ取る。米国の反対すかのごとき議事妨害には地球支配者の誇りも威厳もない軍事支配のならず者国家だ。発展途上国たる中国インドがこれを支持する。わが国は元職・森喜郎が安部あるいは福田に成り代わり急遽日本NO1として参加している。ただポイ投げ政変劇でのピンチヒッターにすぎずスクイズ一つ決めえる立場にない。プレイボール以前に試合放棄。白を黒に黒を白に生き残りをかける「ガ」にも劣る何の変化さえできぬ希少種なのかもしれない。まじめに考える気概もしない。地球環境の再生可能なる数値目標の処置の英知は進みそうにもない。蝶にも劣るDNAの人間の能力。石化エネルギーを掘り出し用いたことから始まった地球環境の頂点たる危機は温暖化としてのしっぺ返し。27日さえ30度を越えた残暑が危険なる状態を教えてるのに政治は機敏に動かぬ。エェッ!いやんなッちゃったあ~午前3時からは懐かしの戦前戦後昭和5年から昭和12年まで連続内向き音楽文化。せきやんすべて歌詞まですべて知ってる。ホント」、ナン年うまれなの。あなた?日清日露のじいちゃん子。大家族主義の末っ子ゆえのモンスター。17年間続けた老人ホームの司会でその知識は生かされさらに図書館でもよく勉強したものであった。昭和31年の9月28日の全国一万校、一斉の学力テストが実施された今日に思う世代でもある。日教組と文部省の対立の教育界の中でのこと。前回はひとりでのヒットパレード東海林太郎、水原弘に続く十人デビュー曲の勢ぞろい。垂涎の曲、歌手の十曲であるがテレビ懐メロでよくやって人たちの曲目。それが「オッス!」バタヤンこと田端義男のみしか生存していない。「オカッパル!」岡晴夫戦後の憧れのハワイ航路♪流れる前奏曲昔はこれが実に長かった。イントロの時間を精一杯勤めるせきやん。ニックネームで呼ぶスターたちの持つ大衆性。今の人たちのどこにあろうこの親しみせい。今夜の十曲はそれらの時間の一こまであった。昭和六年藤山一郎「酒は涙かため息か」でタップリに一時間。高   橋菊太郎・古賀政男ともにデビュー曲。昭和5年淡谷のり子「夜の東京」、    淡谷悠三(名前がちがってるか?三のところ?)と社会党の青森だったか代議士がいた。    確か武者小路実篤の宮崎新しき村の会員でもあり青森の    地での活動。昭和七年「忘らぬ花」いけがみとしお歌詞は江口ヨシのデビュー    曲七つの芸名での大活躍やなぎかわかずひこ・・昭和7年赤坂小梅福岡出身「ほんとにそうなら」古賀三味線メドレ   ーである。昭和8年小唄勝太郎「島の娘」佐々木俊一曲はぁ~で始まる草分け    ゆえ「はぁ~小唄」といわれる・    ねぁ名小唄昭和11年渡辺はま子「わすれちゃ~いやよ」    こちらは「ねぇ~小唄」の草分け座敷遊びはいいなぁ~・    昭和33年3月31日の以前にタイムスリップしたいオダンの     夢    市川フサエのおばかさ~~ん。昭和13年灰田勝彦「雨の酒場」ハワイアンを持ち込んだ兄の影響      からのハワイ調から演歌調の初曲。      佐伯孝雄佐々木俊一のコンビは「きらめく星座」「新雪」をすぐに生み出す。      せきやんの持ち歌。昭和12年上田敏「妻恋道中」藤田まさと作詞♪好いた女房に♪の       歌いだしはヨチヨチ歩きの頃から口ずさんでた      もちろんその意味を知るわけでも無し表面上ませた     子であった。      出身地の秋田・大館の顕彰の日に歌詞がある      ナント一番から四番まで知っている。昭和13年高美三枝子「よいまち草」一番の歌詞は竹下夢路二番を西条八十     竹下夢路との約束を果たした西条八十オオノタダスケ昭和14年岡晴夫「国境の春」上原けんとまつむらマサイチ「上         海」「港シャンソン」     流しからプロ転向浅草上野その後に田端義男上原けん     が続く最初の例     4時からは昨日の続きの写真家の話。「まず構図」山頂を見ない。安定する。効果的でない。光の線・山の空気。今だ!撮れ!富士山の正面天気がわるく撮れない撮って来い!師オカダコウヨウは渋谷の駅近くが仕事場。未舗装ゆえの30年代初頭でガタゴト建物がゆれるゆえ仕事は深夜から。睡眠時間は3時間ぐらい。遅くとも7時起床修行仲間は逃げ出した。生まれ故郷の写真に心配ついてくる母。おふくろは悪天の頂上でお岩の陰で。防寒着がない中守ってくれた。。父の山はチョウカイザン庄内山形生まれの父。サジベエ曽祖父の家に向かう。ひょんなことで案内は、はじめてみるおばさん二人であった。魂が呼んだ。昨夜に続く写真家シラハタシロウ、昭和34年ケルンの夜明けでデビュー。29歳山岳写真家宣言世界初めての職業。南アルプス北岳二番目に高いがその頃はそうしれてなかった。山々。北は松本からで遠かった。遭難で死線を超えそうであった。まけてたまるか!山が好きだから。せせらぎ樹林のたたずまい。自然と融合して生きる姿勢がないと地球そのものが生きていけない。自然が大切でないと人間が滅ぶ。地球に住んでるので壊すは人間だけでそれが、地球を蝕んでいる。みあがってる人間、地球に育てられてきたのを忘れている。6千ねんまえあちこち水が合ったが日本のみに近い形になってる豊穣なる水サハラもかって緑があつた。淡水がなくなっているわけで飲み水がなくなるのは近い。森林が守られてない。泥水のネパールの水。昔はそうであった。人間はそうであった。なぜかと問われれば欲でしょうかとこたえる。反省が必要で自然をうやまう科学恩恵は受けてるが忸怩たるものがある自然に生きたい。悔しい荒らしてる人進んでやる勝手、自分の欲盗んで販売する草花。その生き様はすべてに通じてる訳で公害垂れ流しもそうである。懐しきころの日本人の心得。政治家を含め日本人自体の精神の乱れ。江戸の文化の深さの頃の冠たるものに戻れないものか。山登りの秘訣は一歩一歩確実な、全身を使い無駄に体力を使わず、登り三分の一、下山の三分の二楽しむ。くだりは体力がいる。十分の余裕。無理しない。技術と体力山に入れていただく敬虔な心。ゴミを捨て花を盗る撮影個所でのわれこそで場所とり。散らかす平気注意もきかない。タバコのひまもないハズ。会員団体白い峰200人社会人としての良識自慢しない機材の自慢登った山の自慢有名になると名前を使って山小屋商売本来はお互い仲良く切磋琢磨性別年齢地位平等良識のある集まる。出ないと自然にやめることになる。教えたらその人の写真でなくなる。個性を生かす。創造の世界撮るだけでない自分の表現。それが写真である。人格が出る。自分を磨く。荒らしてる一軒綺麗心がない。やたら行きたがる。没個性。アマチャカメラマンにありがち。12年キングアルバート功労賞授与2年後と山岳文化写真の表現貢献日本であるのに知ってるのでびっくりした。みんな見て決めたらしい。「もっと早くが遅くなりました。」との挨拶。スイスの材・ファンベルギー国王山が好き亡くなった人の資金の財団。今まで表彰者は世界で一人。通訳までつける二人分の旅費。講演では出版者仲間認めた人々両親を称えた。いつ死ぬか分からぬ仕事。ロッキー取材のとき父の死に目にあえず、母はできたせめてもの慰め。企画をまとめる。記念館も南アルプス二つ、オオツキ尾瀬と四つ。未整理ぎっしり八つ。今後の写真集の何が出てくるか分からない。みちありゆきてくいなし。このとしでいちからはじめているのはおなじである。南米中国中東むずかしいが行きたい。世界の平和が前庭となるそして文化向上わたしはよかったが後の若い人たちはどうなるか心配の74歳穏やかなる聞き手のインタビュアーはサノゴウヘイ6・11ノアンコール放送。9月28日は十六夜。いざよう=ためらいがちである。日本人の、しゃいなど他国人にない奥ゆかしさ。NOといえない日本人のようにそれは世界では通用しないようだ。それが失われつつある日本人である。満月よりも楽しめる十六夜の月いざよいやささやくひとのうしろより 2007年09月28日コメント(0)15夜をみなで祝って16夜悠久の大宇宙は一昼夜の変化ぐらいでは同じ満月の月である。それにしては見上げる眼の数は大きく違い見向く人こそ風流人。軒先のお祝い膳もススキの花々さえお役目を終えている。16夜花々さえも頭垂れ残暑厳しいが朝夕にハッとする冷気が感じられる。ポッカリ浮かんでる月はなんか15夜の大役を終えホットしているのか。その神秘さを漂わせている。やはり餅つきをしていたりタコに似た人々が住んでるのやも知れない。日本の探査機「かぐや」の打ち上げから13日、月への旅は半ばの頃合いだ。「未来の資源庫」への関心ゆえか、世界的に改めての月探査ブーム。かぐやは、表面の様子や環境を調べて月の起源に迫り、利用価値を探る。首尾よくいけば後々の月面着陸や、有人探査に道が開けるそうだ。 月の正体が分かるにつれて、神話や俗説は葬られた。そこは荒涼の世界で、地球から見えない裏手に宇宙人が集結している気配もない。まだ夢があった頃の月に対する知識のノスタルジーが捨てがたい。団塊の世代の教育ほどお恥ずかしいものはない。誰もが月にはウサギがもちをついていると教えられある時期までそう信じてた。『竹取物語』で、かぐや姫は「おのが身はこの国の人にもあらず。月の都の人なり」と明かし、涙のうちに故郷に発つ。鹿児島県の大野城(?)だったか竹取姫の町がある。恩人の老夫婦が残る地球は穢れの星。絶えぬ戦争、環境汚染の原因をとなかなかの洞察力。かぐやが送ってくる手はずの「地球の出」の動画に、私たちは何を見るだろうか。人類は地球の中より石化燃料を掘り出し地球表面をいじり、目先の利便や享楽を追求してきた1825年9月27日。イングランドの18KMダージリン鉄道が完成。日本では1925年(大正14年)上野浅草の地下鉄の工事が着工。石炭が悠久の眠りから覚め生活手段に用いられだした。いじり尽くした贅の所を都会と称する。これまでには田舎より集団就職列車まで仕立て多くの人材が送り込まれた。団塊の世代である。定年を迎えつつあり再度集散、生まれ育った故郷を第一義についの住家を求め都会を去る。あちこちに都会を作りどのような感慨を月に求めこの日の夜を過ごした団塊世代であろう。この何日かの夜の空を見上げ手つかずのあばた面を見つめ、足元の厚化粧の地球を省みるのも一興日向西都の十五夜でのお祝いの膳は、子供らが大きな袋に盗みまわった奇祭奇習があった。餅は食いたし命は惜しし、。9派閥のうち8派閥が福田康夫を担ぎ本命であったはずの麻生太郎はかすんだ。不夜城六本木ヒルズあたりはにぎやかでも三宅坂界隈は目指す大臣のイスさえすでに決まっていて新たに座ったる人はわずか一人。安部かわ餅の商売にならないと投げ出された餅は誰も食えない。消化試合と目された通りの戦いに勝って、福田康夫が「天下餅」を食った。新しい自民党総裁は、戦後29人目の首相に選出され親子宰相は史上初めてとなる。就任の年齢も奇しくもともに71歳というから、因縁めいている。 安倍首相の投げ出した安倍川餅ならぬ安部餅である。それを、家康よろしく「座りしまま」に食う印象だ。「夢にも思っていなかった」と出馬を表明したら、瞬く間に派閥力学の生む上昇気流に乗った。ちょうど南に向かうサシバ、ハチ熊鷹の猛禽類の集団の蚊柱に似た鷹柱の如くである。対抗馬の本命であった麻生がやや健闘したのは、古い体質への「先祖返り」に対する反発もあってのことか。 群馬県は前橋と高崎のことを先月ブログに書いた関東にさえシャッター街が駅まえに出現している。父親の赳夫総理は正月は宮崎で過ごした。宮崎青島でゴルフをするのが新年の行事であった。そのとき、秘書たる康夫現総理も一緒にいたのであろう。270年の徳川絶対主義を脱却した明治維新後に、憲法はドイツに議会制は英国に学んだ。森嶋通夫は英国から祖国愛を平和な国として生きるメッセージとして送りつづけ論争も文芸春秋紙上で受けてたった。逝去されて瑶子夫人が昨日触れた二世議員にご意見を寄せられてたのをみた。吉田茂と岸信介の孫コンビ浅生太郎と安倍信三に関することだ。事の発端はこうである。1963年28歳の橋本竜太郎と小渕恵三が当選して二世議員が騒がれた。時は移ろい今はこの世にさえいないお二人。人生は一瞬の如し。地盤カバン看板と金権選挙につながる萌芽がそこに見て取れる。今では安部総理そのお友達内閣らの3世4世」議員が一時席巻した。議会制度先進国英国は300年ブレアからブラウンウァルフオールまで52人の宰相。半数以上の20名が世襲に見えるただ、相当の国内議論があったのか伺い知れないがチャーチルから以降11人は世襲首相はいない29人中26名と20世紀前は施主が蔓延っていた。時代背景もあるが、民主主義の成熟度の問題である。日本は首相制度を導入して122年。伊東博文から福田康夫まで58人。芦田均鳩山一郎宮沢喜一羽田孜橋本竜太郎小渕恵三小泉純一郎安倍信三福田康夫9人が二世世襲首相。小渕安倍は三世。首相県議町長を入れると片山哲福田赳夫宇野宗佑細川森善郎5人。世襲を卒業した英国、踏襲の日本今後は改善されるのか。有力視される首相候補出見てみるとどうにもそうならない。。麻生太郎谷垣貞一小沢一郎世襲である弁護論もある。未練がましくなくまともにやっているという点いいところもあると思う。血筋がいいから人柄よくまじめ。地盤撤去を考える時期がきたのかもしれない。資質が問題ならば挿げ替えれば住むこと。ただ、安倍信三みたいに居直られ放り投げられると・・・安倍おろしの声も吹き消され鈴ゐつける人がいない。と書いたのにである。その無責任さか職を賭したのかのギャップ。権力者の怖いところを垣間見る。祖父の元首相をよりどころにした安倍総理からのバトンタッチに室町時代の『風姿花伝』の一節が頭をよぎる。 この能楽の秘伝書は、子々孫々に奥義を授ける上で、たとへ一子たりといふとも、不器量の者には伝ふべからずと、くぎを刺した。さらに「血統が続くのが芸の家ではない。芸の神髄が続くのが芸の家である」と、勘所を突いている。 「芸の家」を「政界」に置き換えれば分かりやすい。国民にとっても、続いてほしいのは血筋ではあるまい。政治家の神髄とも言うべき、高い志や、強い責任感のはずである。就任の夜の記者会見で福田新総理は、自民党は国民の信頼を得ていない、と繰り返し挙党体制を訴えた。ただ、麻生の名を見ることはできない。所信表明での信頼を回復させる話の実現の器量を備えているかどうかは、これから問われる。天下餅を平らげて胃もたれしないタフな心身にはみうけられず、公明党頼み。、対抗する政治勢力の小沢一郎は福田康夫が初当選のときは自民党NO2の幹事長のポストにあった政治経験の差は参議院政治勢力のように逆転している。昭和36年9月27日の今日、柏鵬(柏戸、大鵬)が揃って横綱に推挙された。照国の23歳横綱昇任の年齢記録を破る二人の青年横綱は高度成長の日本の歴史でもあった。東西両雄がリードした。さらに、政権党たる自民党内の挙党一致には麻生がいなく綻びさえ見える。魑魅魍魎の世界は怖いところである。小泉のオペラ好きにたいして福田新総理はバルトーク好きらしい。無愛想で人を寄せ付けない印象だが、時にお茶目で無邪気な表情も見せる官房長官時代の能吏ぶり。数式を思わせる知的な構造から、ふと飄々とした遊び心に満ちた旋律が飛び出すバルトーク風。バルトークは第一次大戦の混乱期を生きたハンガリーの作曲家。東欧から北アフリカまで歩き回り、2万曲に及ぶ口承の民謡を採取している民俗音楽の研究の業績もある。一つ一つを丹念に採譜した分類カードが、几帳面な性格を物語る。民俗性の語法を伝統に取り入れた斬新さ。ただ、バルトークの作風は古典主義の延長線上にあるらしい。バッハやベートーベンに似た安心感が聴き慣れるほど漂うという。幼き頃からクラッシック好きのめだたぬ小さき背丈の子だったらしい。校庭での整列時にはたくさんの赤とんぼが飛んでいた青の頃。あの頃の如く飛んでくれないかなクラッシック好きは表情の豊かな子だったろう。草花は一日2センチも伸びるマンジュシャゲに囲まれてたに違いない。あきさめや桑に親しきけさの音。近郊の桐生や武蔵野台地の田舎の状態は宮崎のそれとはそうは変わらなかった。都会の東京も田舎もそのころはそんなに差はなかった。本源的資本の蓄積の差が敗戦でそうはなかった。昭和2年以前以降で大きく違う思考形態。ハトハナハコマメがサイタサイタサクラガサイタなのだ。学究肌の本人には、主流派のドイツ音楽に挑む改革の野心はあっただろうか。福田総理の「好み」の理由はどこにあるのであろう。福田康夫政権の最初の難問は海自派遣の継続だろう。そして急遽、大きくなりつつある、ミャンマーの軍事政権問題。アフガンノに展開する11ヶ国は「この指とまれ」と米国が呼びかけた有志連合にすぎない。海上自衛隊が洋上給油を行うインド洋の有志連合作戦である。何をやっているのか実態不明だ、といわれる第二次大戦以来、最大の国際海軍の集結」(米軍事研究団体、グローバル・セキュリティー)は出口が見えない長期戦。有志連合は国連安保理の承認や委任を受けない。米国にとっては国連の枠外にこそ意味がある。対象地域や期間、権限が制限されないからだ。勝手に動ける。作戦対象がアフガン関係に限られてないからだ。日本は来月、伊豆大島近海で7カ国が参加する海上訓練を主催するそこにミャンマー問題が発生した。福田新政権には渡りに船。仏教の国からの救いの手に見える。アウンサン・スチー女史は天照大神やもしれない。道ありて悔い無し。小沢一郎の茨の政治への道がそれぞれの人生にダブリ悲憤慷慨ぶりが察してあまる。 [編集する]2007年09月27日コメント(0)