(C)2018 PinehouseFilm Co., Ltd. All Rights Reserved大学の文芸創作学科を卒業し、運送会社のアルバイトをしているイ・ジョンスは、商店街で売り込みをしているコンパニオンの女性に呼びとめられます。彼女は、子供の頃、近所に住んでいたシン・ヘミでした。整形をしたらしく、見違えるほど綺麗になっていました。ヘミの休憩時間に煙草をふかしながら、二人は互いの近況を報告仕合いました。ジョンスがアルバイトをしながら小説家を目指していると言うと、ヘミは「かっこいい。作家、イ・ジョ … 村上春樹氏が1983年に発表した短編小説「納屋を焼く」を原作に巨匠イ・チャンドン監督が映画化!ユ・アイン×スティーヴン・ユァン×チョン・ジョンソ共演によるミステリードラマ。キャスト、あらすじ、感想、解釈、解説などをまとめました。(トップ画像https://entertain.naver.comより) スポンサーリンク 目次2018年5月17日韓国で公開(日本では2019年2月1日公開)上映時間:148分観客動員数:約52万人ユアイン骨腫瘍で兵役はどうなった?ドラマ情報とインスタ!熱愛彼女は? スティーブンユァン結婚後の妻と子供画像!インスタの旭日旗で炎上騒動とは? チョンジョンソのプロフィール!熱愛彼氏情報&演技力評価!インスタはある? 本作の原作となったのは村上春樹ファンの間で名作と評判の短編集「螢・納屋を焼く」の中の「納屋を焼く」。それをモチーフにし大胆にアレンジを加えた作品がこの映画です。この劇場版公開前にNHKで編集版ドラマ(2018年12月2日に日本語吹替による95分短縮版)が放送された時は驚きましたが、その内容にもまた驚かされました。NHKでは放送できない濡れ場などがカットされているのは分かりますが、本作の醍醐味とも言える原作のその後を描く部分が丸々カットされているんです。劇場版公開前に結末が分かるものを放送する訳がなく、原作を忠実に再現した部分ならネタバレにならないのも分かるのですが、その結果原作と同様に謎が謎のまま残されて終わってしまい、これを見た方からは映画のイメージがついてしまうという不満の声もあがることに。一方で、この続きが気になる編集は劇場版に興味を持つ切っ掛けになったという意見もあり、色んな意味で話題となりました。このバージョンが日本での劇場版公開前に放送されたのには、村上春樹作品の権利を多く持つNHKとの版権問題があるらしいのですが、わざわざ日本語吹替した点も賛否を呼ぶことに。そんな本作の監督・脚本を担当するのは、韓国が世界に誇る映画監督イ・チャンドンさんです。作品数は多くないのですがそのすべてが韓国はもとより世界の映画祭でも高い評価を得ており、カンヌ国際映画祭の常連としても知られています。本作も第71回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門にエントリーされ国際批評家連盟賞とバルカン賞を受賞したほか、第91回アカデミー賞外国語映画賞にも韓国代表作として出品され最終選考まで残りました。監督作品としては8年ぶりとなります。さらには、前アメリカ合衆国大統領のバラク・オバマが2018年のお気に入り映画に選んだことも話題となりました。主演は、演技派俳優として名高いユ・アインさんに、「ウォーキング・デッド」で知られるスティーヴン・ユアンさん(本作により第44回ロサンゼルス映画批評家協会賞で助演男優賞を受賞)、そして演技経験のない新人のチョン・ジョンソさん。当初は、カン・ドンウォンさんやf(x) 出身のソルリさん出演との報道もあったようです。 スポンサーリンク 流通会社でアルバイトとしながら小説家を目指しているジョンスは、同じ村で育った幼なじみのヘミと偶然再会します。二人はお互いに惹かれ合うようになるのですが、ヘミが夢であったアフリカ旅行に行くことになり、その際に彼女が飼っているネコの世話を頼まれることになります。その後、旅行から帰って来たヘミからアフリカで知り合ったという男ベンを紹介されます。このベンは謎多き男で、働いてもいないのに高級車に乗り贅沢な暮らしをしていました。そんなベンから、ある日秘密を打ち明けられるのですが、その内容は「僕は時々ビニールハウスを燃やしています」という奇妙なものでした。ベンに対して更なる疑念を抱くようになったジョンスでしたが、そんな中でヘミが姿を消してしまい・・・。 本作は、世界的映画監督イ・チャンドン×人気演技派俳優ユ・アイン×世界で人気のドラマ「ウォーキング・デッド」出演俳優スティーブ・ユアン×原作村上春樹という豪華なメンツによるミステリードラマです。原作は謎だらけのまま終わる問題作(?)なのですが、本作は原作のその先を描いているというのがポイントであり、監督や出演者のファンのみならずハルキストからも注目を集めた作品となります。原作とは舞台はもちろん時代背景も異なるのですが、原作を忠実に描いている前半や作品の空気感などから村上春樹さんへのリスペクトも伝わってきます。内容としては、未来も見えない貧しい主人公と、主人公の希望とも言える幼なじみのヒロイン、そして謎の金持ち男の3人からなるドラマであり、そこには格差から生まれる嫉妬や金持ちや都会への憧れなど、現代人が抱える喪失感や拡大化する格差社会の問題などが描かれています。登場人物は少ないのですが、ユ・アインさんのヒリヒリとした名演をはじめ、イメージとはちがった姿を見せてくれるスティーブ・ユアンさんの好演や、新人女優ながら大胆なベッドシーンを披露し今後の活躍も期待できるチョン・ジョンソさんと、その演技力の高さに注目して頂きたい作品となっています。ストーリー的には、消えたヘミの行方や謎の男ベンの正体、そして電話を使った多くのジーンズなどミステリアスさが魅力の作品ですが、沈む夕日をバックにヘミが服を脱いで踊るシーンも美しいですし、マイルス・デイヴィスによる「死刑台のエレベーター」のテーマ曲の使い方なども本作の魅力となります。 スポンサーリンク 謎というのは、・ヒロインはどうしていなくなったのか?生きているのか、死んでいるのか?など、主人公の妄想なのか現実なのか定かでない部分が多々あり、さもすれば主人公以外の二人は主人公により作られた空想の産物という可能性もあるなど、本当に実在したのかさえ分かりません。その辺は見る人によって意見が違いますし、そこを明らかにするのがテーマでもないんです。したがって、これは主人公が現代社会で生きる上での複雑な感情を描いた作品ということであり、色んな解釈が出来るということ。3人とも存在したかもしれないですし、主人公の別人格を描いた可能性やヒロインだけ存在しなかった可能性もあります。そんなことを考えながら見たり、見終わって考察するのが面白い作品なんです。 スポンサーリンク 私は村上春樹さんの原作を読んでおらずハルキストでもありませんが、監督やユ・アインさんのファンということで本作に注目していました。正直、日本での劇場公開前にNHK版を見たときは何だかよく分からなかったのですが(吹替にも違和感があり)、完全版である本作の後半を見たら作品そのものに対する印象がガラッと変わりました。とはいえ、難しい作品であることは変わりなく、人によって作品の捉え方も代わってくる作品ではあるので、その評価も賛否が分かれるかもしれません。全ては主人公の妄想とも言えるでしょうし、ヘミの正体も謎に包まれていて本当に存在していたのかも分からないなど、様々な解釈が出来ます。そんな曖昧さを楽しめる人にとっては本作は名作となるでしょうし、韓国の若者の実態を表現したメッセージ性も高く評価することでしょう。それ以外にも、ヒロインが裸で踊るシーンなど映像として素晴らしいシーンもあり、総合的には評価すべき作品だと私は思いました。ただ、いい作品だと思いながらも長くて暗い映画は見るのに覚悟がいるので、何度も見たいかと言われるとそれはしばらくは遠慮したいところ。 ミステリー作品でありながら、その謎を明かすことよりも主人公の内面を描くことに注力した作品です。映像の美しさや音楽使いのセンスなど、ストーリー以外でも楽しめるポイントはありますが、人によっては意味不明と感じるかもしれませんね。 この映画は、村上春樹作品を原作にしただけあって見た後に人と色々語りたくなる作品でした。あそこのシーンにはこういった意味合いがあったのでは?いや、あのシーンは夢だったのか現実なのか?など、どれだけ語り合っても結論は出てきません。それは、原作自体が謎を多く残したまま終わっていますし、本作の後半が原作では描かれていない独自のものであり、そこでも謎に対する明確な答えは出ていないからです。 チャンネル登録お願いします!ソウル在住15年の筆者が韓国情報を発信中!©Copyright2020 バーニング劇場版【韓国映画】解釈・解説・ネタバレ.
『バーニング 劇場版』が今年の暫定ベストを更新するとんでもない傑作だった。この映画を観て「長くて陰鬱で退屈」と思考停止してしまうのはあまりにも悲しいので、自分が思っていたより何歩も奥へ踏み込んだ作品だと気づいていった過程を記録したい。村上春樹の原作『納屋を焼く』を予習で読んだときは、「こんな数十ページの短編をどう2時間半の映画にするの?」と思っていたけど、予想外に原作に忠実でしかもその先へと踏み込んだ映画だと感じた。原作と比べた時の特に大きな改変はそれでもこれらはあくまで"きっとベンやヘミにとってはそんな事はどうでも良くて、言葉が一般的に指す対象など気にせず、物事をありのままに楽しんでいる。例えばヘミは、冒頭のバイト時代から「身体を使って働きたい」って述べていたしグレートハンガーの踊りもそうであった。ベンにとっての「ビニールハウス」も極端で危険な解釈ではあるけど感性的・抽象的な解釈。つまり、原作にある「だから終盤でも、彼女の失踪の原因としては状況証拠しかない状態なのに、決めつけで殺しに移る。これはきっと怒りを抑えられない父親からの影響も大きい。しかし、何も書けなかった真面目な凡人から脱却して作家へと進化したという結末とも捉えられる。宇多丸さんの解釈のように「だとすると、この映画を観て「ジョンスかわいそう…ベン最悪だ…」と思ってしまうのは監督の思うツボで、「ビニールハウスの周りをランニングしている」状態なんだろう。もう二つ先の悪にまで気付けるかどうかが本質なんじゃないかと感じた。自分は一つ先までしか自力では行けなかった。かといってベンが正解ではない。実際にはベンの感性とジョンスの理性を両立しないといけないし、ヘミがどんなに苦しんでいても、勝手に命を奪ってしまうのは自己中な「判断」でしかない。原作ではたどり着けなかったこのような奥まで到達出来たのは、明らかに『バーニング劇場版』による再解釈のおかげで、こういう非言語的な描写や説明的でない行間にこそ、映画の意味があると思っているので、自分はこの作品が大好きで、最近だと『サスペリア』と印象が近い。そりゃヘミとジョンスに幸せに暮らして欲しかったけど、ジョンスが幸せになるには決定的足りない「想像力」があったんだと思う。「「村上春樹の文学は、そのままでもいいんだよと言ってくれる。村上龍の文学はそのままでいいワケねぇだろと胸ぐら掴んでくる」というGO三浦さんのツイートを読んでなるほどね〜と思っていたけど、この作品は割と例外的に両方を兼ね備えている感じがある。初めはトントン拍子だったけど、最後は自分にとって大きな反省や教訓を与えられてしまった。村上春樹も自身の作品の中では例外的に陰鬱すぎて長編に膨らまなかったというような事は言っていた。『アンダーグラウンド』以降は踏み込むことが増えたという評論も聞いた。韓国に作られてしまったことが悔しいとも思うけど、日本にこれを作れと言われたら難しい気がする。かなり具体性は高いといえど『万引き家族』とテーマは近いと思うけど、『コクソン』『タクシー運転手』等…質の高いノワールを多く送り出せるのは業界の仕組みや観客の姿勢からして違う気がする。チョンジョンソさん(同い年)の一重と身のこなし好き…とか、フォークナーや村上春樹も色々読んでみようとか、イチャンドン作品は絶対好きなので見漁ろうだとか、マッチョかっこいいから筋トレしよとか、寡作でこれだけ評価されるのかっこいいとか、テレビ版観てみようとか、部屋の光の反射も伏線かとか、色々細かい刺激もあって、もう一回観たい。最近映画観るの楽しすぎるけど、これは作品の面白さだけでなく自分の解像度が上がってきているのも原因としてある気がする。でもそこで終わらずに自分の作品に昇華するのが大事だと改めてイチャンドンやジョンスから教わった。(訂正や反論などあればなんでも教えてください)